何も奪わないで
「……?」
レテが僅かに眉を寄せる。
(私は……)
目の前にいるリシェルを見る。
そして。
自分が握っている《水凪》へ視線を落とした。
(なぜ、この方に《水凪》を向けているのでしょう?)
「…………!」
慌てて切っ先を下げる。
「ご、ごめんなさい!」
「…………」
「私、貴女に失礼なことを……」
「……本当ですよ」
「⁉︎」
胸の奥が。
ズキッと痛んだ。
「嫌だ……!」
《水凪》を握る手が震える。
「ごめんなさい!」
嫌われたくない。
どうしてなのかは。
分からない。
ただ。
目の前の彼女に嫌われることが。
たまらなく怖い。
「嫌いにならないでください!」
「ふふふ……」
リシェルが優しく笑う。
「可愛らしい」
「…………」
「いいですよ」
六枚の翼が。
霞のように揺れる。
「まずは、その霊器をしまって?」
「はい……!」
レテが慌てて頷く。
「すぐに……」
《水凪》の刀身が消える。
そして。
柄を鞘へ収めた。
「いい子ですね」
「…………」
「こっちに来て?」
「はい!」
思わず。
笑顔になる。
「嬉しい……」
一歩。
リシェルへ近づく。
「側に行けるなんて……」
もう一歩。
だが。
「…………?」
足が止まった。
「あれ……?」
レテが自分の足を見る。
「なんで私……」
頭の奥。
消えかけていた何かが。
僅かに引っ掛かる。
「今は……」
戦っていた。
誰と?
何のために?
「戦闘中……?」
「…………」
リシェルの笑みが。
僅かに消えた。
「まだ完全に魅了できていないみたいですね」
「魅了……?」
「えぇ」
リシェルが六枚の翼を広げる。
「私の《星纏》の力です」
「星纏……」
その言葉も。
どこか遠く感じる。
「まぁ、いいでしょう」
リシェルが《射恋》を一本持ち上げた。
「動かないでくださいね?」
「はい……」
――ヒュッ!!
「⁉︎」
――ズッ!!
「いっ……!」
肩。
《射恋》が突き刺さった。
「…………!」
血が軍服を濡らす。
「ふふふ」
リシェルが笑う。
「まだ動かないでくださいね?」
「…………」
痛い。
逃げたい。
それなのに。
「……はい」
――ヒュン!!
「いっ!」
腿。
――ヒュッ!!
「あっ……!」
腕。
さらに。
一つ。
二つ。
複数の《射恋》が。
次々とレテの身体へ突き刺さっていく。
「っ……!」
痛い。
怖い。
でも。
動いてはいけない。
この人に。
嫌われたくない。
「うーん……」
リシェルが首を傾げる。
「心臓を狙ったのに」
「…………!」
レテの身体は。
ほんの僅かに動いていた。
数センチ。
それだけ。
それでも。
《射恋》は急所を外れている。
「少しずつ動いて、急所を外してますね」
「…………」
「まぁいいです」
リシェルが。
一本の《射恋》を指の間へ挟む。
「直接やればいい」
――ダン!!
「…………!」
一気に駆け出す。
距離が消える。
狙うのは。
首。
鋭い《射恋》が。
レテの喉元へ迫る。
「これで――」
その瞬間。
「止め――」
リシェルの手が止まった。
「あ?」
「…………」
レテの顔が。
すぐ目の前にある。
ほんの数十センチ。
「え……?」
見えている。
確かに。
見ている。
なのに。
顔が。
分からない。
「…………?」
目。
鼻。
口。
髪。
一つ一つは視界に入っている。
だが。
それを一人の人間として認識した瞬間。
抜け落ちる。
「なに……これ……」
一度瞬きをする。
また見る。
そして。
また忘れる。
「いや……」
リシェルが一歩下がった。
「私は……何を……」
何をしていた?
誰と戦っていた?
「あなたは……」
目の前の少女を見る。
分からない。
「誰……?」
「…………」
レテは何も答えない。
いや。
レテ自身も。
何が起きているのか分かっていない。
「ここは……?」
リシェルが周囲を見回す。
「なんで……私はここに……」
誰のために戦っていた?
何を守ろうとしていた?
「…………⁉︎」
思い出そうとした。
その瞬間。
何かが。
消えた。
「嫌……」
リシェルの顔から。
血の気が引く。
「嫌……!」
六枚の翼。
その中に浮かんでいた記憶が。
一つ。
また一つ。
霞のように消えていく。
「嫌!!」
頭を押さえる。
「なんで……!」
思い出そうとする。
だが。
思い出そうとしたことすら。
次の瞬間には。
分からなくなる。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
膝をつく。
「やめて!」
記憶が。
消える。
「もう!」
大切だったはずのものが。
消えていく。
「何も!!」
自分を形作っていた何かが。
次々と。
抜け落ちていく。
「奪わないでぇぇぇぇぇぇ!!」
――シン……。
「…………」
突然。
静かになった。
リシェルが。
ゆっくりと両手を下ろす。
薄桃色の瞳から。
感情が消えていた。
「…………」
自分の手を見る。
周囲を見る。
最後に。
目の前のレテを見る。
「私は……」
小さく。
呟く。
「誰?」
――ドサッ。
「⁉︎」
リシェルが。
その場へ崩れ落ちた。
同時に。
六枚の翼が白銀の光となり。
霞のように消えていく。
「…………」
レテは。
動けなかった。
「……っ!」
肩。
腕。
腿。
刺さった《射恋》の痛みが。
一気に戻ってくる。
「何が……」
倒れたリシェルを見る。
「起きたの……?」
「…………」
答える者はいない。
ただ。
レテの傍ら。
淡い光を纏ったディーネが。
大きな尾鰭を。
ゆっくりと揺らしながら漂っていた。
◇
救護所外の戦い。
レテ・オーズィラ対リシェル。
勝者――
レテ・オーズィラ。
――なのだろうか。




