容態
◇ ◇ ◇
父上の部屋へ向かう。
王宮の奥へ進むにつれ、人の姿が減っていく。
「…………」
昔から、この辺りは静かだった。
父上は執務中に騒がしくされるのを嫌う。
だから余計な者が近づかないよう、衛兵も最低限しか置かれていない。
だが。
「……姉上」
「あぁ」
少し違う。
静かすぎる。
使用人の姿すら見えない。
長い廊下を進み、やがて父上の部屋が見えてきた。
扉の前には二人の衛兵。
「ガオン様。ナーラ様」
こちらに気づき、姿勢を正す。
「ご苦労」
姉上は短く返し、そのまま扉へ向かう。
「お待ちください」
「あ?」
二人が前へ出た。
「陛下は現在、療養中です」
「知ってるよ」
「医師より、面会は控えるようにと」
「それも聞き飽きた」
姉上は止まらない。
「今日は入る」
「…………」
扉へ手を伸ばす。
だが。
衛兵がその前へ立った。
「お通しできません」
「…………」
空気が変わる。
「俺が誰か分かって言ってんだろうな?」
「もちろんです」
「なら退け」
「できません」
「…………」
姉上の眉間に皺が寄る。
「姉上」
「止めんな」
「止めません」
「あ?」
「俺も入ります」
「…………」
姉上がこちらを見る。
そして。
僅かに口元を上げた。
「そうかよ」
「ガオン様」
今度は衛兵が俺を見る。
「申し訳ございません。ガオン様もお通しすることはできません」
「なら、父上に確認してくれ」
「できません」
「なぜ?」
「陛下をお休みさせるよう、命じられております」
「…………」
「誰からだ?」
「…………」
衛兵が黙る。
「父上から直接?」
「いえ……医師団からです」
「医師団?」
「はい」
「では、父上から俺達を入れるなと言われたわけではないんだな?」
「…………はい」
「ほぉ」
姉上が低い声を漏らした。
「じゃあ親父は、俺達に会いたくねぇとは一言も言ってねぇわけだ」
「ですが、陛下のご容態を考えれば――」
「だから、その容態を確かめに来たんだよ」
「お通しできません」
「…………」
また。
同じ言葉。
姉上の拳が握られる。
「姉上」
「今度こそ止めんなよ」
「止めませんが、殴るのは駄目です」
「まだ殴ってねぇよ」
「今から殴る顔をしていました」
「…………」
「…………」
「お前、ガイスト行ってから妙に生意気になってねぇか?」
「そうでしょうか」
「絶対なってる」
姉上が舌打ちする。
その時。
「何事です?」
廊下の奥から。
落ち着いた声が聞こえた。
「…………」
一人の男がこちらへ歩いてくる。
白を基調とした衣服。
その上から羽織った、丈の長い外套。
腰にはいくつもの小さな革袋と薬瓶。
歩くたびに、中の器具が小さな音を立てる。
「これは、ナーラ様。ガオン様」
男は胸に手を当て、静かに頭を下げた。
「セヴェル」
姉上がその名を呼ぶ。
セヴェル・スコルネ。
医療と薬学を担うスコルネ族。
その族長の息子。
次期族長候補でもあり。
若くして王族の治療を任されるほどの医師だ。
「お久しぶりです、ガオン様」
「あぁ。久しぶりだな」
「ご帰国されたことは伺っております」
昔から。
この男は変わらない。
声を荒らげることもなく。
表情もほとんど変えない。
何を考えているのか分かりづらい。
だが。
医師としての腕は確かだ。
父上を任せるなら。
本来なら、これ以上ない相手のはず。
「それで」
セヴェルが俺達を見る。
「陛下への面会でしょうか?」
「あぁ」
姉上が答える。
「入るぞ」
「申し訳ありません」
セヴェルは。
いつもと変わらない穏やかな声で答えた。
「それはできません」
「…………」
「お前もかよ」
「陛下には今、何より安静が必要です」
「どこが悪い」
「…………」
「親父は何の病気だ?」
姉上が詰め寄る。
それでも。
セヴェルは動じない。
「現在、詳しくお話しすることはできません」
「なんでだ」
「…………」
ほんの僅かに。
間があった。
「陛下の治療に関わることですので」
「俺はその陛下の娘だぞ」
「承知しております」
「なら話せ」
「申し訳ありません」
「…………」
姉上の額に青筋が浮かぶ。
「姉上」
「分かってる。まだ殴らねぇよ」
まだ。
なんだ。
「セヴェル」
今度は俺が呼ぶ。
「はい」
「父上には会えない?」
「はい」
「容態も教えられない?」
「申し訳ありません」
「では、一つだけ」
「なんでしょう」
「父上は今、意識はあるのか?」
「…………」
セヴェルが黙った。
「セヴェル?」
「…………」
妙だ。
そんなに。
答えにくい質問か?
「おい」
姉上も気づいたらしい。
「なんで黙る?」
「…………」
セヴェルが。
ゆっくりと息を吐いた。
「お二人とも」
声が。
少しだけ低くなる。
「ここでは、その話はお控えください」
「…………?」
姉上と顔を見合わせる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です」
「分かんねぇから聞いてんだよ」
「姉上」
「あ?」
「…………」
セヴェルを見る。
さっきまでと。
何かが違う。
表情は変わらない。
声も。
立ち方も。
何も変わっていない。
それでも。
「セヴェル」
「はい」
「何か知っているのか?」
「…………」
答えない。
「父上の身体に、何か?」
「…………」
長い沈黙。
やがて。
セヴェルが口を開いた。
「まだ」
「?」
「私にも分かりません」
「…………」
「だからこそ、今は何も申し上げられないのです」
「お前にも?」
「はい」
スコルネ族の医師。
それも。
族長の息子であるセヴェルが。
分からない?
「病気じゃないのか?」
「…………」
また。
沈黙。
そして。
「ガオン様」
セヴェルの視線が。
ほんの一瞬。
周囲へ向けられた。
衛兵。
廊下。
その奥。
「ここでは、お話しできません」
「…………」
姉上の顔から。
完全に怒りが消えた。
「セヴェル」
「はい」
「てめぇ……何を知ってる?」
「まだ何も」
「嘘つけ」
「嘘ではありません」
セヴェルは静かに答える。
「何かがおかしい。それ以上は、私にも分かりません」
「…………」
その言葉で。
胸の奥にあった違和感が。
一気に形を持った。
やっぱり。
俺だけじゃない。
姉上だけでもない。
父上を直接診ている。
この男まで。
何かがおかしいと思っている。
「……父上は無事なんだな?」
「今は」
セヴェルが答える。
「私が診ています」
「…………」
答えになっているようで。
なっていない。
だが。
その目は。
真っ直ぐ俺を見ていた。
「今夜」
「?」
「私からお二人のもとへ伺います」
「今じゃ駄目なのか?」
「はい」
「なぜだ」
「…………」
セヴェルが。
再び周囲へ視線を向ける。
「それも」
一拍。
「今は、お答えできません」
「…………」
王宮の廊下。
昔から知っている場所。
何度も歩いた場所。
なのに。
今は。
まるで。
知らない場所にいるように感じた。




