星詠国家ルミナス
◇ ◇ ◇
――星詠国家ルミナス。
おかしい。
帰国してから、ずっとそう感じている。
ヴォルグへの潜入。
しかも、ガイストに留学している身でありながら無断で国境を越えた。
その件で父上に咎められる。
いや。
大目玉を食らう。
そう覚悟して帰国したのだが――。
「…………」
ガオンは一つの扉の前に立っていた。
王宮の奥。
父。
ルミナス国王の私室。
「父上に会いたい」
「ガオン様」
扉の前に立つ衛兵が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「陛下は体調が優れず……本日もお会いになることは難しいかと」
「……今日もか?」
「……はい」
「…………」
帰国してから一度も会えていない。
最初は、本当に体調を崩しただけだと思っていた。
長く国を治めてきた人だ。
疲れが出ることだってある。
だが。
いくらなんでも長い。
「医者は?」
「毎日、診察を」
「容態は?」
「それは……」
衛兵が言葉を詰まらせる。
「俺にも言えないのか?」
「申し訳ございません」
「…………そうか」
ガオンは扉を見る。
この向こうに父上がいる。
それなのに。
会うことすらできない。
「何かあれば、すぐ俺に知らせろ」
「はっ」
その場を離れる。
「…………」
ずっとこの調子だ。
父上には会えない。
詳しい容態も教えられない。
それだけじゃない。
王宮そのものが、どこかおかしい。
廊下を歩く。
開け放たれた窓から乾いた風が入り、薄い布のカーテンを揺らしていた。
いつもと変わらない。
見慣れた王宮。
見慣れた故郷。
なのに。
「…………?」
何かの気配。
「!」
その瞬間。
足に衝撃が走った。
「うおっ!」
何かが。
俺の脚にしがみついている。
「…………」
下を見る。
「おにぃたま……」
「お?」
「あそぶ……?」
「ジル〜!」
思わず顔が緩んだ。
俺の脚に抱きついていたのは、小さな女の子。
淡い金色の髪。
ふわふわとした髪の間から、大きな青紫色の瞳が俺を見上げている。
妹。
ジル・レオニス。
「おはよう、ジル!」
「おはよう……!」
「今日も元気だなぁ!」
「うん……!」
ジルがにへっと笑う。
可愛い。
やっぱり可愛い。
「おにぃたま」
「ん?」
「パパ上のお部屋……行ってたの?」
「あぁ!」
「パパ上……だいじょぶ?」
「…………」
不安そうに。
ジルが俺を見る。
俺はしゃがみ込むと、その小さな頭を撫でた。
「大丈夫だ!」
「ほんと……?」
「あぁ! そのうちきっと良くなる!」
「……うん」
「ジルは優しいなぁ!」
「へへへ……」
嬉しそうに目を細める。
可愛い。
もう一回撫でる。
「へへ……」
もう一回。
「えへへ……」
もう一――
「けっ! 呑気なもんだな、長男さんよぉ!」
「!」
声のした方を見る。
一人の女が立っていた。
長い赤褐色の髪を高い位置で束ね、鋭い琥珀色の瞳がこちらを睨んでいる。
背は高く。
腰には武器。
王族というより。
どう見ても戦士。
俺の姉。
ナーラ・レオニス。
「あ、姉上。おはようござい――いって!」
耳を掴まれた。
「遊んでんなよ!」
「遊んでないです! 妹との大切な交流です!」
「朝っぱらから妹にデレデレしてる奴が何言ってんだ!」
「だってジルですよ!?」
「それは分かる!」
「分かるんじゃないですか!」
「うるせぇ!」
「いって!」
耳を引っ張られる。
相変わらず。
姉上は怖い。
「それより」
ナーラ姉上の表情が変わる。
「タウルス族の方で積荷が届いたようだぞ」
「積荷……ですか?」
「あぁ」
「何が?」
「大量のな」
「中身は――いって!」
さらに耳を引っ張られた。
「痛いです姉上!」
「お前……」
「はい?」
「偉くなったもんだな? あぁん?」
「え?」
ぐいっ。
「いだだだだ!」
「さっきから何だ、その口の利き方は」
「え?」
「『何が?』『中身は?』だぁ?」
「…………」
あ。
「お前、ガイスト行ってる間に随分偉くなったみてぇだな?」
「ち、違います姉上!」
「あぁ?」
「向こうの人達と話してるうちに、その……」
「ほぉ?」
「いって! 耳取れる! 耳取れます!」
「取れねぇよ!」
「おねぇたま……」
「ん?」
ぴたり。
姉上の手が止まる。
ジルが。
姉上を見上げている。
「どした? ジル」
声。
優しっ。
さっきまで俺の耳を引きちぎろうとしていた人と同じとは思えない。
「おにぃたま……」
「うん」
「いじめちゃ……」
ジルが小さな人差し指を立てる。
「めっ!」
「…………」
ナーラ姉上が固まった。
「…………」
震えている。
「姉上?」
「…………っ」
「?」
「かわいすぎんだろうがぁぁぁぁ!」
「うおっ!」
「きゃっ……!」
姉上がジルを抱き上げた。
「なんだ今の! 『めっ!』って! もう一回やってくれ! ジル!」
「おねぇたま……くるしい……」
「悪い!」
すぐに離す。
そして。
俺を見る。
「おい! ガオン!」
「はい!」
「なんでてめーだけこんなに懐かれてんだ!」
「そ、それは……」
「あぁ?」
「姉上が怖いから――」
「…………」
「…………」
しまった。
「あ?」
「い、いえ!」
俺は立ち上がった。
「タウルス族の積荷! 調べてまいります!」
「おい待てガオン!」
「では!」
「逃げんな!」
走る。
「おにぃたま……」
後ろから。
ジルの声。
「いってらっしゃい……!」
「おう!」
振り返らず。
手だけを大きく振った。
そのまま角を曲がる。
「…………ふぅ」
危なかった。
姉上は相変わらずだ。
「…………」
でも。
足が止まる。
タウルス族。
大量の積荷。
まただ。
父上の体調。
王宮の妙な空気。
そして。
今度は大量の積荷。
一つ一つなら。
別におかしくない。
けど。
「…………」
なんだ?
帰ってきてから。
ずっと。
胸の奥に引っかかっている。
何かが。
少しずつ。
動いているような。
「……考えてても仕方ねぇな」
まずは見る。
自分の目で。
「タウルス族、か」
ガオンは再び歩き出した。
まだ。
この時は。
その積荷が何を意味するのか。
知る由もなかった。




