喧嘩の果て
「……やっぱり」
「…………」
「いるじゃん」
「……?」
「まだ……」
ヒルトが。
掠れた声で。
呟いた。
「そこにいるじゃん……兄さん」
「…………」
リヒトの身体が。
止まった。
「…………」
《薄氷》を握る手が。
震えている。
「兄さん」
「…………」
「帰ろう」
「…………っ」
「一緒に――」
「違う」
「…………」
小さな。
声。
「俺は……」
リヒトが。
頭を押さえる。
「俺は……違う……」
「兄さん?」
「違う……!」
ガリッ。
爪が。
額へ食い込む。
「俺は……」
息が。
荒くなる。
「マロウ……」
「……!」
ヒルトの目が。
見開かれた。
「俺は……マロウ……」
「…………」
「リヒトは……」
そこで。
言葉が。
止まる。
「リヒトは……」
「兄さん……?」
「食っ……」
「…………!」
リヒトの瞳が。
大きく揺れた。
「違う……!」
頭を。
激しく振る。
「違う!」
ガシャンッ!
《薄氷》が。
地面へ落ちる。
「食べたくない……」
「…………」
「もう……」
両手で。
頭を抱える。
「食べたくない……!」
「兄さん!」
「違う……違う違う違う!」
リヒトが。
後ずさる。
「リヒト……」
「…………」
「リヒト……どこ……?」
「…………!」
ヒルトは。
息を呑んだ。
今。
目の前にいるのは。
誰だ。
「兄さん」
「…………!」
リヒトが。
顔を上げる。
ヒルトを見る。
「…………」
一瞬。
動きが止まった。
「リヒト……?」
「…………」
ヒルトの顔を。
じっと。
見つめる。
そして。
「……っ!」
怯えた。
「違う……」
「…………?」
「リヒトじゃない……」
リヒトが。
自分の身体を見る。
手。
腕。
胸。
「違う……」
「兄さん!」
「来るな!」
「……!」
ヒルトの身体は。
動かない。
それでも。
手を。
伸ばそうとする。
「兄さん、僕だよ!」
「違う!」
「ヒルトだ!」
「……!」
「ヒルト・エルナー!」
「…………」
「兄さんの弟だよ!」
「…………っ」
リヒトの瞳が。
また。
揺れる。
「ヒ……」
「…………!」
ヒルトが。
息を止める。
「兄さん?」
「…………」
唇が。
震える。
「…………ヒ……」
「そうだよ」
ヒルトが。
笑う。
「僕だよ」
「…………」
「だから」
震える腕を。
少しだけ。
持ち上げる。
「帰ろうよ」
「…………っ!」
「兄さん」
「……違う」
「…………」
「違う……!」
「兄さん!」
「来るな!」
パキィンッ!
冷気が。
爆ぜた。
「ぐっ……!」
ヒルトが。
腕で顔を庇う。
「はぁ……はぁ……!」
リヒトが。
後ずさる。
「もう……」
「…………」
「もう……食べないで……」
「……?」
「もう……」
怯えた目で。
ヒルトを見る。
「食べないで……!」
「兄さん……?」
「来るなぁぁぁぁ!」
冷気が。
吹き荒れる。
「くっ……!」
ヒルトが。
目を閉じる。
そして。
次に。
目を開いた時。
「…………」
リヒトは。
背を向けていた。
「……兄さん!」
走り出す。
「待って!」
ヒルトが。
地面へ手をつく。
「ぐっ……!」
立てない。
脚に。
力が入らない。
「待てよ……!」
遠ざかる。
兄の背中。
「兄さん!」
「…………」
一瞬。
リヒトの足が。
止まった。
「……!」
「兄さん!」
振り返らない。
ただ。
立ち尽くしている。
「…………」
ヒルトが。
必死に。
息を吸う。
「僕は!」
「…………」
「諦めないから!」
リヒトの肩が。
僅かに揺れた。
「何回逃げたって……」
ヒルトが。
地面を握り締める。
「何回、僕のこと忘れたって!」
「…………」
「絶対に!」
声を。
振り絞る。
「兄さんを連れて帰るから!」
「…………」
静寂。
「だから――」
ヒルトが。
笑う。
「今度こそ、玉子サンド作ってよ」
「…………」
リヒトが。
ほんの少しだけ。
顔を。
横へ向けた。
「…………!」
見えたのは。
横顔だけ。
その唇が。
ゆっくりと。
動いた。
「…………」
声は。
聞こえない。
けれど。
ヒルトには。
分かった。
――すまん。
「…………っ」
バッ!
リヒトが。
森の奥へ。
駆け出す。
「兄さん!」
今度は。
止まらなかった。
木々の向こうへ。
その姿が。
消えていく。
「…………」
ヒルトは。
追えなかった。
ただ。
地面に座り込んだまま。
兄が消えた場所を。
見つめていた。
「…………」
最後の。
あの口の動き。
見間違いかもしれない。
そう。
思うのに。
「……はは」
ヒルトの口元が。
僅かに。
緩んだ。
「やっぱり……」
目頭が。
熱くなる。
「いるじゃん……」
五年。
探し続けた。
兄は。
「ちゃんと……」
まだ。
あの中に。
「いるじゃん……兄さん」
白い霜が残る頬を。
一筋の涙が。
ゆっくりと。
伝った。




