玉子サンド
◇ ◇ ◇
「……ぐっ……」
首が。
軋む。
「…………」
ヒルトの身体は。
宙に浮いていた。
足が。
地面へ届かない。
「はぁ……っ……」
首を掴む。
一本の腕。
リヒト。
「…………」
その手から。
冷気が。
絶えず流れ込んでくる。
首筋。
頬。
肩。
ところどころに。
白い霜が。
張りついていた。
「…………っ」
寒い。
痛い。
指先の感覚も。
ほとんどない。
左手の《ツインコード》は。
既に。
地面へ落ちている。
右手。
握っているはずの。
もう一丁も。
引き金へ。
指をかけることすらできない。
「はぁ……はぁ……」
リヒトも。
無傷ではない。
肩。
脇腹。
頬。
ヒルトが刻んだ傷が。
確かに残っている。
それでも。
「…………」
届かなかった。
《破城》も。
《蜘蛛檻》も。
《乱星》も。
そして。
《絆重》も。
確かに。
強くなった。
そう。
思った。
けれど。
五年。
その時間は。
そんな簡単に。
埋まってはくれなかった。
「……はぁ……」
リヒトの手に。
僅かに。
力が入る。
「ぐっ……!」
冷気が。
首筋を這う。
パキッ。
霜が。
また一つ。
増えた。
「…………」
ヒルトは。
リヒトを見る。
「…………」
おかしい。
この距離。
この状態。
リヒトなら。
いつでも。
終わらせられる。
首を。
凍らせればいい。
身体中へ。
冷気を流し込めばいい。
それだけで。
自分は。
死ぬ。
「…………」
なのに。
しない。
「……兄さん」
「…………」
返事はない。
「はは……」
「…………?」
ヒルトが。
笑った。
「……なに」
「いや……」
苦しい。
声を出すだけで。
喉が痛む。
それでも。
「兄さん……」
ヒルトが。
口元を上げる。
「弱くなったなぁって」
「…………!」
リヒトの眉が。
動いた。
「……黙れ」
「だって……」
ヒルトが。
自分の首を掴む手へ。
視線を落とす。
「こんなに……」
「…………」
「殺しやすいのに」
「……っ」
「まだ……」
リヒトを見る。
「僕、生きてるよ?」
「…………!」
パキッ!
「ぐっ……!」
霜が。
頬まで広がる。
「黙れ……」
「図星?」
「黙れ」
「はは……」
「黙れ!」
冷気が。
一気に強くなる。
「ぐ……っ!」
ヒルトの身体が。
震える。
白い息が。
漏れる。
「…………」
それでも。
「……やっぱり」
「…………?」
「殺せないんだ」
「…………!」
リヒトの瞳が。
揺れた。
「違う……」
「…………」
「俺は……」
首を掴む手に。
力が入る。
「殺す……」
「じゃあ……」
ヒルトが。
笑う。
「やれば?」
「…………っ!」
「ほら」
逃げない。
そもそも。
逃げられない。
「凍らせればいいじゃん」
「…………」
「兄さんなら……」
白い息を。
吐く。
「一瞬でしょ?」
「…………っ」
冷気が。
強くなる。
けれど。
「…………」
それ以上。
進まない。
霜は。
ヒルトの身体を覆っていくのに。
命を奪う。
最後の一線だけを。
越えてこない。
「…………」
やっぱり。
「はは……」
「……何がおかしい」
「いや……」
ヒルトが。
目を細める。
「五年経っても……」
「…………」
「そこは変わってないんだなって」
「…………!」
「……黙れ」
「…………」
「黙れ……」
「ねぇ、兄さん」
「……黙れ!」
「玉子サンド」
「…………?」
リヒトの声が。
止まった。
「…………」
「覚えてる?」
「…………」
「僕が初めて食べた時」
ヒルトが。
苦しそうに。
息を吸う。
「美味しいって……言ったらさ」
「…………」
「次の日も」
白い息。
「その次の日も……」
また。
白い息。
「作ってくれたよね」
「…………っ」
「三日目くらいだったかな……」
ヒルトが。
小さく笑う。
「僕が、もう飽きたって言ったら」
「…………」
「兄さん……めちゃくちゃ拗ねてた」
「……黙れ」
「自分だって……」
「黙れ……」
「玉子サンドばっかりで、飽きてたくせに」
「黙れ!」
パキッ!
「ぐっ……!」
冷気が。
また。
強くなる。
それでも。
ヒルトは。
笑っていた。
「でもさ……」
「…………っ」
「今でも好きなんだ」
「…………」
「玉子サンド」
「…………っ」
リヒトの手が。
僅かに。
震える。
「…………」
「食べると……」
ヒルトの笑みが。
少しだけ。
変わる。
「兄さんのこと」
「…………」
「思い出すから」
「…………!」
リヒトの瞳が。
大きく揺れた。
「……知らない」
「…………」
「そんなもの……」
首を掴む指が。
震える。
「知らない……!」
「そっか」
「…………」
「じゃあ――」
ヒルトが。
リヒトを見る。
クリアな。
水色だった瞳。
今は。
何も映していないような。
死んだ目。
それでも。
その奥に。
まだ。
兄がいると。
信じたかった。
「帰ったら」
「…………?」
「また作ってよ」
「…………っ!」
「今度は……」
白い息が。
二人の間へ。
ゆっくりと。
消えていく。
「飽きたなんて言わないから」
「…………」
「兄さん」
「……っ」
リヒトの顔が。
歪んだ。
「違う……」
「…………?」
「俺は……」
何かを。
振り払うように。
首を振る。
「知らない……!」
「兄さん」
「違う!」
ドンッ!
「がっ……!」
ヒルトの身体が。
地面へ。
叩きつけられた。
「ぐっ……!」
肺から。
空気が抜ける。
身体が。
動かない。
「…………」
それでも。
ヒルトは。
兄から。
目を逸らさなかった。
「…………」
リヒトは。
荒く。
息をしている。
「はぁ……はぁ……」
《薄氷》を握る手が。
震えていた。
「…………」
ヒルトが。
それを見て。
小さく。
笑う。
「……やっぱり」
「…………」
「いるじゃん」
「……?」
「まだ……」
ヒルトが。
掠れた声で。
呟いた。
「そこにいるじゃん……兄さん」




