兄弟喧嘩②
その口から。
誰のものとも分からない。
掠れた息が。
漏れた。
「……やめ……て……」
「…………」
ヒルトの指が。
止まる。
「兄さん……?」
「…………」
リヒトは。
俯いたまま。
動かない。
「今……」
聞こえた。
確かに。
やめて。
そう言った。
「…………」
ヒルトが。
ゆっくりと。
《ツインコード》を下げる。
「何を……やめてほしいの?」
「…………」
「僕が呼ぶこと?」
「…………」
パキッ。
「……!」
リヒトの足元が。
凍りつく。
「……やめろ……」
「兄さん」
「やめろ……!」
リヒトが。
頭を押さえる。
ガリッ。
指が。
青白い髪を掻き乱す。
「うるさい……」
「…………」
「うるさい……うるさい……」
ヒルトが。
息を呑む。
明らかに。
変わってきている。
自分が。
呼びかけるたびに。
兄の中で。
何かが。
揺れている。
「兄さん」
「……っ!」
ビクッ!
「やめろ!」
ヒュンッ!
「……!」
《薄氷》が。
飛んでくる。
ヒルトが。
《ツインコード》を上げる。
ギィンッ!
「ぐっ!」
弾かれた。
右腕が。
大きく開く。
「…………!」
もう。
リヒトは目の前。
「っ!」
ザシュッ!
「ぐ……!」
肩から。
血が飛ぶ。
「…………」
リヒトが。
踏み込む。
首。
胸。
腹。
急所だけを。
正確に狙ってくる。
「くっ!」
ギィン!
「兄さん!」
ガキンッ!
「僕だよ!」
ギィンッ!
「ヒルトだよ!」
「…………」
ドゴッ!
「がっ!」
蹴りが。
腹へ突き刺さった。
身体が。
地面を転がる。
「ぐっ……!」
立たないと。
「……!」
顔を上げた時には。
氷の刃が。
目の前。
咄嗟に。
頭を逸らす。
ザッ!
頬が。
浅く裂けた。
「…………」
血が。
一筋。
落ちる。
「……本当に」
ヒルトが。
苦笑する。
「容赦ないな……」
「…………」
何も。
返ってこない。
「兄さん」
パンッ!
「覚えてる?」
キィンッ!
「僕が小さい頃」
パンッ!
パンッ!
「一人で勝手に出かけて」
ギィンッ!
「帰りが遅くなった時!」
「…………」
パンッ!
「帰った僕より!」
キィンッ!
「兄さんの方が泣きそうな顔してた!」
「……っ」
「……!」
リヒトの動きが。
僅かに。
鈍った。
「兄さん……?」
「…………っ」
「それなのに」
パンッ!
「僕の顔見た瞬間!」
キィンッ!
「すっごい怒ってさ!」
パンッ!
「どれだけ心配したと思ってるんだって!」
「……っ」
また。
リヒトの腕が。
止まる。
「…………」
ほんの。
一瞬だけ。
「兄さん」
「……知ら……ない……」
「……!」
ヒルトの目が。
見開かれる。
「今……」
「知らない……」
リヒトが。
頭を押さえる。
「知らない……知らない……」
「兄さん!」
「知らない!」
ドンッ!
「ぐあっ!」
氷塊が。
ヒルトの胸へ直撃した。
身体が。
宙を舞う。
ズザァッ!
「ぐっ……!」
地面を転がり。
止まる。
「ハァ……」
息を吸うだけで。
胸が痛い。
「ハァ……ハァ……」
足にも。
力が入らない。
まともな一撃すら。
入れられていない。
それでも。
「…………」
ヒルトが。
立ち上がる。
「……嘘つき」
「…………」
「知らないなら」
ふらつきながら。
《ツインコード》を構える。
「なんで……そんなに苦しそうなんだよ」
「…………っ」
「僕の話をするたびに」
一歩。
「兄さんって呼ぶたびに」
一歩。
「なんで……」
声が。
震える。
「そんな顔するんだよ……!」
「…………」
リヒトが。
一歩。
後ろへ下がった。
「……!」
ヒルトが。
目を見開く。
初めて。
だった。
戦いが始まってから。
初めて。
リヒトが。
自分から距離を取った。
「兄さん……?」
「来るな……」
「…………!」
「来るな……」
リヒトが。
《薄氷》を握り締める。
「来るな……!」
「嫌だ」
「……っ!」
「絶対に嫌だ」
ヒルトが。
また。
一歩近づく。
「やっと会えたんだ」
「来るな!」
「ずっと探してた」
「……っ」
「兄さんがいなくなって」
もう一歩。
「どこに行ったのかも分からなくて」
「…………」
「生きてるのかも」
「…………っ」
「分からなくて……」
ヒルトが。
《ツインコード》を握り締める。
「だから僕は」
唇を噛む。
「兄さんを探せるくらい」
「強くなろうって……」
「…………」
リヒトが。
頭を押さえる。
「やめろ……」
「軍に入った」
「やめろ……!」
「戦い方だって覚えた」
「やめろ!」
「仲間もできた!」
「やめろぉぉぉ!」
ドゴォンッ!
冷気が。
爆ぜた。
「ぐっ!」
ヒルトが。
腕で顔を覆う。
冷たい。
痛い。
それでも。
腕を下ろす。
「…………!」
リヒトが。
頭を抱えていた。
「……いやだ……」
「…………」
「いやだ……」
「兄さん……?」
「……違う……」
「…………?」
「違う……」
リヒトの呼吸が。
荒くなっていく。
「違う……違う……」
「何が……?」
「…………」
ヒルトが。
手を伸ばす。
「兄さん」
「……!」
リヒトが。
弾かれたように。
顔を上げた。
「…………!」
怯えている。
ヒルトには。
そう見えた。
自分を。
何度も殺そうとした兄が。
今は。
何かに。
怯えている。
「……大丈夫」
ヒルトが。
《ツインコード》を下げる。
「僕だよ」
「…………」
「ヒルトだよ」
「……っ」
「兄さん」
一歩。
近づく。
「覚えてる?」
「…………」
「小さい頃」
ヒルトが。
僅かに笑う。
「僕が怪我して帰るたび」
「……っ」
「兄さん、すぐ怒ったよね」
「…………」
「危ないことするなって」
「やめ……」
「五つしか違わないのに」
「…………っ」
「ずっと兄貴ぶってさ」
「やめろ……」
「何するにも口出して」
「やめろ……!」
「僕が大丈夫って言っても」
一歩。
「全然聞いてくれなくて」
「…………」
「本当に」
ヒルトの笑みが。
少しだけ。
寂しそうに歪む。
「うるさい兄さんだった」
「…………っ」
「でも……」
ヒルトが。
リヒトを見る。
「僕は」
「…………」
「そんな兄さんが――」
「やめろ!」
ヒュンッ!
「……!」
《薄氷》が。
ヒルトの手を掠めた。
血が。
散る。
「…………」
ヒルトは。
手を引かなかった。
「……痛いよ」
「…………っ」
「兄さん」
血の流れる手を。
見せる。
「ほら」
「…………」
「昔だったら」
少し。
笑う。
「これだけで大騒ぎしてた」
「……っ」
「消毒しろ」
「…………」
「ちゃんと手当てしろ」
「やめ……」
「傷が残ったらどうするんだって」
「やめろ……」
「僕よりずっと――」
「やめろ!」
「…………」
ヒルトの表情が。
歪む。
「だったら……」
声が。
震えた。
「戻ってきてよ……」
「…………!」
「こんなの……」
血の滲む手を。
握り締める。
「兄さんじゃないだろ……」
「…………」
リヒトの瞳が。
大きく揺れた。
「兄さん」
「……っ」
「僕だよ」
「…………」
「ヒルトだ」
リヒトの。
《薄氷》を握る手が。
震える。
「帰ろう」
「…………っ」
「今度は僕が」
一歩。
ヒルトが。
近づく。
「兄さんを連れて帰るから」
「……やめ……」
「兄さん」
「やめろ……!」
「リヒト兄さん!」
「――っ!」
パキィンッ!
《薄氷》が。
地面へ突き刺さる。
「……ぁ……」
リヒトが。
両手で。
頭を抱えた。
「……ぁぁ……」
「兄さん……?」
「…………っ」
苦しそうに。
身体を丸める。
「……ちが……」
「…………?」
ヒルトが。
足を止める。
「今……何て?」
「…………」
返事はない。
「兄さん?」
「…………っ」
リヒトの中で。
何かが。
軋んでいる。
何かと。
何かが。
ぶつかっている。
そんな。
奇妙な違和感。
「…………」
それでも。
ヒルトには。
まだ。
その正体が分からない。
「……兄さん」
もう一度。
呼ぶ。
「…………っ!」
リヒトの身体が。
大きく震えた。
その口から。
また。
掠れた声が漏れる。
「……やめ……て……」
ヒルトは。
《ツインコード》を握ったまま。
兄を見つめる。
攻撃は。
一度も届いていない。
勝負にすら。
なっていない。
それでも。
初めて。
自分の声だけは。
届いている気がした。




