終幕
キールの周囲の空気が。
大きく震えた。
「……っ!?」
キールが。
咄嗟に飛び退く。
ドンッ!
「ぐぁっ!」
何もないはずの空間から。
衝撃が叩き込まれた。
身体が大きく揺れる。
「な……なんだ……今のは……!」
キールが。
仕込み杖を振るう。
ブワッ!
風が。
自らを守るように。
幾重にも巻きついていく。
「こんなもの……!」
さらに。
風を重ねる。
「すべて防いでしまえばいい!」
「…………」
フィリアは。
《遠音》へ指を添えたまま。
キールを見つめる。
もう。
分かっていた。
どれだけ風を纏っても。
どれだけ風を乱しても。
そこから。
空気そのものが。
なくなるわけじゃない。
「…………」
キールの顔が。
引きつる。
「認めん……」
「…………」
「認めんぞ……!」
仕込み杖を。
強く握り締める。
「お前のような小娘が……!」
風が。
さらに激しく渦巻く。
「この私を……!」
乱れた髭。
露わになった首元の火傷痕。
金歯を剥き出しにして。
キールが叫ぶ。
「このキール・ヘペスを差し置いて!」
仕込み杖を。
大きく振り上げる。
「主役になどぉぉぉ!」
「…………」
フィリアは。
そんなキールを。
静かに見つめていた。
「別に……」
「あぁ!?」
「私」
《遠音》を握る。
「主役になりたいわけじゃないよ」
「……!」
「私はただ――」
浮かぶ。
みんなの顔。
帰りたい場所。
そして。
帰ってきてほしい。
たった一人の顔。
「みんなのところに帰りたいだけ」
「黙れぇぇぇぇ!」
キールが。
地面を蹴った。
風を纏い。
一直線に。
フィリアへ迫る。
「私が主役だ!」
一歩。
また一歩。
凄まじい速度で。
距離が縮まる。
「この舞台の!」
仕込み杖を振りかぶる。
「最後に立っているのは!」
風が。
唸りを上げる。
「この私だぁぁぁぁ!」
「…………」
フィリアは。
動かなかった。
逃げない。
矢も。
番えない。
ただ。
《遠音》を。
胸の前へ。
そっと掲げる。
弓身に浮かぶ。
蝶の翅脈のような紋様が。
淡く輝く。
ひらり。
ひらり。
光が。
蝶のように。
フィリアの周囲を舞った。
「ヒバリ」
ピン――。
幾重にも重なった光の弦が。
小さく鳴る。
「……行くよ」
「端役がァァァァァ!」
キールが。
仕込み杖を振り下ろす。
刃が。
目前へ迫る。
「…………」
フィリアの指が。
光の弦へ触れた。
「――《彼方音》」
ピィン――。
たった。
一音。
澄んだ音が。
響いた。
「…………?」
キールの目が。
僅かに見開かれる。
矢は。
飛んでこない。
風も。
吹かない。
「ハッ……!」
キールの口元が。
吊り上がった。
「何も起きな――」
――――ン。
「……?」
空気が。
鳴った。
「な……」
右。
左。
上。
下。
前。
後ろ。
キールを取り囲む。
空気そのものが。
震えている。
「なんだ……これは……!」
キールの足が。
止まった。
「…………」
フィリアが奏でた。
たった一つの音。
その響きが。
空気を伝い。
彼方へ。
そして。
キールのいる場所へ。
届く。
「ふざけるな!」
キールが。
仕込み杖を振り回す。
ゴォッ!
全身を。
風が覆った。
「届かせるものか!」
風を。
さらに。
さらに。
重ねていく。
「私の風を越えて!」
キールが叫ぶ。
「私に届くものなど――!」
ピシッ。
「……え?」
風が。
歪んだ。
「な……」
ピシッ。
また。
一つ。
「なんだ……」
キールの顔から。
血の気が引いていく。
どれだけ。
風を重ねても。
意味がない。
その風すら。
空気なのだから。
「ま、待て……」
――――ン。
「やめろ……!」
震えが。
大きくなる。
「やめろ!」
「…………」
フィリアは。
《遠音》を握る。
そして。
小さく笑った。
「届いた」
「――っ!?」
ドォォォォンッ!
空気が。
一斉に震えた。
「がぁぁぁぁぁぁぁっ!」
キールを覆っていた風が。
内側から。
弾け飛ぶ。
仕込み杖が。
手から離れ。
宙を舞った。
「ば……馬鹿な……!」
キールの身体が。
浮き上がる。
「わ、私が……!」
ドンッ!
「がっ!」
さらに。
衝撃。
「この……私が……!」
ドンッ!
「ぐぁっ!」
身体が。
大きく吹き飛ぶ。
「主役の……!」
それでも。
キールは叫ぶ。
「この私がぁぁぁぁぁ!」
ドォンッ!
最後の響きが。
キールを打ち抜いた。
「がぁぁぁぁぁぁ――!」
身体が。
地面へ叩きつけられる。
土煙が。
大きく舞い上がった。
「…………」
やがて。
風が。
土煙を運んでいく。
そこには。
仰向けに倒れた。
キール・ヘペス。
「…………」
もう。
動かない。
「…………」
静かになった。
フィリアは。
その場に立ち尽くしていた。
「……勝った?」
ピン――。
《遠音》が。
小さく鳴った。
「…………」
フィリアの口元に。
笑みが浮かぶ。
「……そっか」
勝った。
そう理解した瞬間。
身体から。
全部の力が抜けた。
「あ……」
ぐらり。
視界が傾く。
もう。
立っている力なんて。
残っていない。
ドサッ。
フィリアは。
そのまま。
仰向けに倒れた。
「…………」
空が。
見えた。
広く。
青い空。
風が。
蜂蜜色の髪を。
優しく揺らしていく。
「…………」
腹が痛い。
喉も。
腕も。
脚も。
身体中が。
痛くて仕方ない。
それでも。
フィリアは。
笑っていた。
(……勝った)
これで。
帰れる。
みんなのところへ。
そして。
ヒールが。
帰ってきたら。
(伝える)
ちゃんと。
あいつの顔を見て。
(帰ってきたら伝える!)
(おかえりって!)
「…………」
風が。
また吹いた。
蜂蜜色の髪が。
ふわりと揺れる。
フィリアは。
目を細めた。
(……でも)
胸の奥にある。
もう一つの言葉。
(本当に伝えたいのは――)
唇が。
僅かに動いた。
「……大好きだよ」
小さな。
本当に。
小さな声。
風が。
その声をさらっていく。
小さく。
小さく。
やがて。
誰にも聞こえないほど。
遠くへ。
消えていった。




