嵐の前③
レテがその名を告げると、アルトの目が輝いた。
「最強……!」
ログは腕を組んだまま、どこか歯切れ悪く口を開く。
「まあ、最強ではあるが……。」
「最馬鹿でもあるからねー。」
フィリアが気の抜けた声で続けた。
ヒルトは少し困ったように眉を下げる。
「最馬鹿は失礼だよ。」
「超バカだよ。」
「そっちの方が失礼ですよ。」
レテは深くため息をついた。
「質問がなければ、今日はこれで解散してください。」
それぞれが席を立とうとする中、レテは一人を呼び止める。
「あ、ヒルト。」
「嫌だ。」
ヒルトは即答した。
「まだ何も言っていませんが。」
「嫌な予感がする。」
「はぁ……。」
レテは額へ手を当てる。
「アルトくんと一緒に、魔器を選びに行ってください。」
「これは命令です。」
ヒルトはしばらく黙ったあと、諦めたように肩を落とした。
「……はいはい。やればいいんでしょ。」
「ヒルト!」
アルトが勢いよく立ち上がる。
「今から行くぞ!」
「ちょっ、待って!」
アルトはヒルトの腕を掴むと、そのまま扉へ向かって歩き始めた。
「引っ張らないで!」
「自分で歩けるから!」
「早く行こう!」
「だから、引っ張んないでぇぇぇ!」
ヒルトの悲鳴が廊下の奥へ遠ざかっていく。
またしても引きずられていくその姿を、残された三人は無言で見送った。
「……仲良しだねー。」
「どこがですか。」
フィリアの呟きに、レテは疲れ切った声で答えた。
◇
その少し後。
アーヴェルの執務室の扉が、軽く叩かれた。
「ミレイア・ローヴェンです。」
「どうぞ。」
「失礼しまーす。」
間延びした声とともに、ミレイアが部屋へ入ってくる。
その手には、何枚もの紙が抱えられていた。
アーヴェルは書類から顔を上げる。
「ミレイア先生。どうされましたか。」
「アルトくんについて、ちょっと気になることがありまして。」
「何かありましたか。」
ミレイアは机の前まで歩み寄ると、抱えていた紙を置いた。
「あの子、やっぱりおかしいと思います。」
「それは私も承知しています。」
「そういう意味ではなくてですね。」
ミレイアは一枚目の紙を指先で叩いた。
「まず、アカデミーのことを知りませんでした。」
アーヴェルの眉がわずかに動く。
「存在そのものを、ですか。」
「はい。」
ミレイアは紙へ視線を落とす。
「精霊と契約した者はアカデミーへ入り、精霊術の基礎、魔器の扱い、戦闘訓練、精霊との接し方を学ぶ。」
「そして、定められた課程と卒業試験を終えた者だけが、正式に精霊術師を名乗ることを許される。」
「ガイストで暮らしていれば、子供でも知っていることです。」
「それを、アルトくんは何一つ知らなかった。」
「精霊と契約すれば、誰でも精霊術師になれると思っていたようです。」
「アカデミーを通らずに術を使う者については、どう認識していましたか。」
「そもそも、その区別すら知りませんでした。」
ミレイアは次の紙をめくる。
「未認可のまま精霊術を使うことはできます。」
「ですが、軍や行政の任務には就けない。」
「魔器の所持にも制限があり、事故を起こせば厳しく処罰される。」
「その説明をしても、全部初めて聞いたような顔でした。」
アーヴェルの表情がわずかに険しくなる。
「精霊術そのものについては。」
「それも同じです。」
「精霊術師が、人間の魔素と精霊の霊素を合わせて術を使うことすら、ほとんど理解していませんでした。」
「契約については、どうでしたか。」
「それもです。」
「人間が精霊へ魔素を与え、精霊が霊素を貸す。」
「互いの力を分け合い、初めて術として形になる。」
「そう説明したら、本当に初めて聞いたような顔をしていました。」
ミレイアは腕を組む。
「アカデミーどころか、入学前の子供が教わるような知識すらないんです。」
「精霊術師、英霊士、星詠みの違いも分かっていません。」
「ガイストでは精霊と契約し、スパーナでは英霊の力を受け継ぎ、セレスティアでは星に選ばれた者が力を纏う。」
「その程度のことすら、本当に何も知らない。」
「……しかし。」
アーヴェルが先を促す。
ミレイアは別の紙を持ち上げた。
「歴史については、ほぼ満点です。」
「各国の成り立ち、現在の情勢、他国との関係。」
「それだけではありません。」
「地形を見せて、ヴォルグが侵攻するとしたらどこを通るかと尋ねたところ、補給路や撤退経路まで含めて答えました。」
アーヴェルの表情がさらに険しくなる。
「戦術についても、ですか。」
「はい。」
「兵の配置、退路の確保、相手の目的の推測。」
「知識だけでいえば、下手な士官候補生より上です。」
部屋に短い沈黙が落ちた。
ミレイアは腕を組んだまま、首を傾げる。
「精霊に関する常識だけが、きれいに抜け落ちている。」
「なのに、人間が築いた歴史と戦い方は知っている。」
「普通ではありません。」
アーヴェルは机の上の資料へ視線を落とした。
「誰かに意図的に教え込まれた可能性は、ありますか。」
「高いと思います。」
「ただ、何のためにそこまで偏った教育をしたのかは分かりません。」
ミレイアの口元が、楽しげに緩む。
「だからこそ、もっと詳しく調べたいんですけど。」
「それは認められません。」
「まだ何も言ってませんよ?」
「お顔を見れば分かります。」
ミレイアは不満そうに頬を膨らませる。
「研究者を信用していませんね?」
「研究者としては、深く尊敬しています。」
「では、人としては?」
「回答は差し控えます。」
ミレイアは声を上げて笑った。




