幕開け
◇
風を切りながら。
フィリアは男の背中を追っていた。
「待ちなさい!」
《天翔け》を強める。
身体を包む風が勢いを増し、一気に距離を詰めた。
だが。
男は木から木へと飛び移りながら。
こちらを振り返ろうともしない。
「ほんっと……!」
フィリアは《遠音》を構えた。
狙いを定め。
放つ。
ヒュン!
矢が一直線に男の背中へ迫る。
しかし。
届く寸前。
フッ――。
「また……!」
矢が不自然に軌道を変えた。
男の身体を避けるように逸れ。
木の幹へ突き刺さる。
「どうなってんのよ……!」
これで何度目か。
こちらの矢は。
男へ届く直前に、必ず逸らされる。
その時。
男が足を止めた。
「……?」
太い枝の上。
ゆっくりと。
フィリアへ振り返る。
「いやはや」
大袈裟に肩を竦めた。
「随分と遠くまでお付き合いいただきましたね」
「…………」
フィリアも速度を落とす。
周囲を見る。
いつの間にか。
シオン達の姿は完全に見えなくなっていた。
「やっぱり……」
《遠音》を握る。
「最初から私を引き離すつもりだったんだ」
「ご名答」
男は杖をくるりと回すと。
舞台の上で観客へ挨拶するように。
深々と頭を下げた。
「役者が多すぎては、舞台が窮屈ですからね」
「……気持ち悪い喋り方」
「おや」
男が胸へ手を当てる。
「これは手厳しい」
そして。
ニィッと笑った。
口元を飾る特徴的な髭が持ち上がり。
その隙間から。
きらりと。
一本の金歯が覗く。
「…………」
フィリアは目を細めた。
どこかで。
見たことがある。
あの髭。
金歯。
それに。
襟元から覗く首には。
酷く焼け爛れたような。
古い火傷の痕が残っている。
「……あ」
思い出した。
「キール・ヘペス……」
「おや?」
男――キールが目を丸くする。
そして。
嬉しそうに両手を広げた。
「あなたのようなお嬢さんでも、私をご存じとは」
「アカデミアの教科書で出てきたよ」
「ほう?」
「二十年近く前に、ガイストでテロを起こしたって」
「おやおや!」
キールが大袈裟に胸へ手を当てる。
「私の功績が! 教科書に!」
感極まったように天を仰ぐ。
「なんという栄誉! いやぁ、なんとも嬉――」
「未遂だけどね」
「…………」
ぴたり。
キールの動きが止まった。
「若い頃のバルガス隊長に負けて」
フィリアがニヤッと笑う。
「逃げたんだってね」
「…………」
キールの笑みが。
消えた。
「……バルガス」
低い声。
先ほどまでの。
芝居がかった口調ではない。
キールの手が。
ゆっくりと首元へ伸びた。
指先が。
古い火傷の痕をなぞる。
「……あの忌々しい名を」
ギリッ。
歯を噛み締める。
「口にしたな……!」
「……?」
フィリアが僅かに眉を上げる。
キールが顔を上げた。
そこには。
先ほどまでの余裕も。
笑みもない。
「女……」
殺気が。
膨れ上がる。
「貴様、死んだぞ?」
「……!」
フィリアの背筋に。
冷たいものが走った。
空気が。
一瞬で変わった。
「…………」
だが。
フィリアの頭に。
別の男の顔が浮かぶ。
自分達に何も言わず。
一人で森の奥へ行った。
あのバカ。
「……私も」
「あ?」
「今、イライラしてるんだ」
《遠音》へ。
一本の矢を番える。
「…………」
キールの眉が動く。
「だから――」
フィリアの身体を包む風が。
強く渦巻いた。
「八つ当たりする!」
「……ほう」
キールのこめかみが僅かに引きつる。
フィリアは矢の先を。
真っ直ぐキールへ向けた。
「おっさん」
「…………」
「あんた――」
ゴォッ!
《天翔け》の風が一気に膨れ上がる。
「終わりだぞ?」
「…………」
キールの額に。
青筋が浮かんだ。
そして。
ゆっくりと杖を持ち上げる。
「……よろしい」
口元が歪む。
再び。
金歯が覗いた。
「では――」
大袈裟に片腕を広げる。
「幕を上げるといたしましょう」
フィリアは。
《遠音》を引き絞った。




