関係ねぇんだよ
◇
「チッ……!」
ゼンは白い霧の中を走っていた。
視界はほとんど利かない。
数歩先すら見えない。
だが。
ゼンにとっては問題なかった。
「逃げ足だけは速ぇな」
右腕。
服の下に隠していた《クラッシャー》が、拳を覆っている。
足元から伝わる振動。
地面を蹴る音。
草を踏む重さ。
その全部が。
霧の向こうを逃げる男の位置を教えていた。
「……そこ!」
ゼンが踏み込む。
霧の中から。
「なっ!?」
男――ムウが現れた。
ゼンの拳が振り抜かれる。
ドゴッ!
「ぐぁっ!」
ムウの身体が横へ吹き飛んだ。
木の幹へぶつかり。
そのまま地面へ転がる。
「くっ……!」
「終わりか?」
ゼンがゆっくり近づく。
「霧出して隠れてりゃ勝てると思ってたのかよ」
「黙れ……!」
ムウがクナイを投げる。
一本。
二本。
三本。
ゼンは身体を僅かにずらす。
全て。
紙一重で通り過ぎた。
「なんで……」
ムウの顔が引きつる。
「なんで見える!」
「見えてねぇよ」
「あ?」
「感じてんだ」
ゼンが足元を軽く踏む。
「お前がどこ歩いて」
一歩。
「どっち向いて」
さらに。
「いつ動くか」
ムウの顔から余裕が消えた。
「全部な」
「……っ!」
ムウが立ち上がる。
そして。
背を向けた。
「待て!」
「誰が待つか!」
走る。
霧の奥へ。
ゼンも追った。
「逃がすかよ!」
◇
「はぁっ……はぁっ……!」
ムウは必死に走っていた。
脇腹が痛む。
さっき殴られた場所。
「なんなんだよ……あいつ!」
霧が効かない。
どれだけ視界を奪っても。
位置を知られている。
「クソ……!」
その時。
木々の向こうから。
水の音が聞こえた。
「……!」
ムウの表情が変わる。
「そうだ……!」
速度を上げる。
やがて。
森が開けた。
そこにあったのは。
大きな池。
「ハッ……!」
ムウが笑う。
「ここなら……!」
池へ手を向ける。
「《霧隠》!」
水面が揺れる。
大量の水が細かな粒へ変わり。
一気に辺りへ広がった。
ゴォッ――!
今までとは比べものにならない。
濃い。
白い霧。
自分の手すら見えないほどに。
「ハハッ……!」
ムウが息を整える。
「これなら見えるわけねぇ」
その時。
霧の中から。
ザッ。
足音。
「…………」
ムウが笑みを浮かべる。
来た。
ゼンだ。
だが。
今度は違う。
水がこれだけある。
《霧隠》の濃さも。
範囲も。
さっきまでとは桁違い。
「…………」
ムウは音を殺す。
ゆっくり。
回り込む。
一歩。
また一歩。
霧の中心。
ゼンが立っている。
動かない。
「……見えてねぇ」
ムウの笑みが深くなる。
当然だ。
見えるはずがない。
ムウはクナイを逆手に持った。
背後へ。
あと少し。
「…………」
ゼンはまだ動かない。
「終わりだ!」
ムウが地面を蹴った。
背後から。
ゼンへ飛びかかる。
「死ねぇ!」
クナイを振り下ろす。
その瞬間。
ゼンが。
振り返った。
「……え?」
右拳を引く。
服の下から覗く。
魔器。
「――《ブレイクブロー》」
ドゴンッ!
「がっ――!」
拳が。
ムウの腹へ深々とめり込んだ。
「……ぁ」
一瞬。
呼吸が止まる。
身体がくの字に折れ。
そのまま。
後方へ吹き飛んだ。
ドサッ!
「…………」
霧の中。
ムウは動かない。
「…………」
ゼンが拳を下ろす。
「だから」
倒れたムウへ顔を向ける。
「霧の濃さとか関係ねぇんだよ」
少し遅れて。
水面を覆っていた霧が。
ゆっくりと薄れていった。




