五年
◇
同じ頃。
獣の森、そのさらに奥。
「……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸が、静かな森の中に響いていた。
ヒルトは一本の木へ手をつき、俯く。
「…………っ」
右腕が痛む。
傷そのものは、もう治っている。
ユノの《暖脈》のおかげもあり、予定よりずっと早く復帰することができた。
だから、大丈夫。
そう思っていた。
だが――
ガイストを出てから三日。
ほとんど休まず歩き続けている。
睡眠は最低限。
食事も、歩きながら口にできるものだけ。
治ったばかりの身体には、さすがに無理がきていた。
「……まだ、大丈夫」
誰に言うでもなく呟く。
木から手を離し、再び足を踏み出そうとした。
その時。
目の前へ、淡い光を纏った小さな影が回り込んだ。
「……キャンバス」
白い身体をした、小さなカメレオン。
ヒルトの契約精霊――キャンバス。
二つの丸い目が別々に動き、ヒルトの顔から足元までをじっと観察している。
普段なら肩や腕にしがみついていることが多い。
だが今は地面へ降り、ヒルトの進む先を塞ぐように立っていた。
「どいて」
キャンバスは動かない。
「キャンバス」
もう一度呼ぶ。
白い尾が、くるりと丸まる。
それでも退こうとしなかった。
「…………」
ヒルトは小さく息を吐く。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけだから」
横から通ろうとする。
キャンバスも横へ動く。
「…………」
反対側へ。
また塞がれた。
「……しつこいな」
二つの目が同時にヒルトへ向いた。
「…………」
昔から。
こいつには嘘が通じない。
「……分かったよ」
ヒルトは近くの木へ背中を預けた。
「少しだけね」
その場へ腰を下ろす。
キャンバスは満足したのか、ゆっくりとヒルトの脚を登り、腕を伝って肩へ移動した。
「……三日か」
ヒルトは頭上を見上げた。
空はほとんど見えない。
幾重にも重なった枝葉が、日の光を遮っている。
「思ったより遠かったな……」
肩へ寄り添うキャンバス。
ヒルトはその白い背中を指先で撫でた。
「…………」
身体を休ませる。
ほんの少しだけ。
そう決めたはずなのに。
落ち着くほど、焦りが湧いてくる。
「……休んでる間に」
ヒルトが俯いた。
「またいなくなったら、どうするんだよ」
キャンバスの片方の目だけが、ヒルトへ向く。
「五年だよ」
ヒルトは拳を握った。
「五年間……何も分からなかった」
生きているのか。
死んでいるのか。
どこにいるのか。
どうして消えたのか。
探しても。
調べても。
何も掴めなかった。
それがようやく。
ヴォルグでアルトが兄らしき人物を見た。
リヒトは生きているかもしれない。
五年間で初めて掴んだ、確かな手掛かりだった。
「やっと……見つけられるかもしれないんだ」
ヒルトは立ち上がった。
足は重い。
それでも、さっきより少しだけ身体は楽になっていた。
「もう行っていい?」
肩のキャンバスを見る。
丸い目がくるりと動く。
「……いいってことで」
歩き出す。
白い尾がヒルトの首元へ、そっと巻きついた。
「…………」
ヒルトは僅かに笑った。
「ありがとうね」
そして。
再び森の奥へ進み始めた。




