地眼
◇
ガイストを出てから、数時間が経った。
朝日はすっかり昇り、南へ続く街道を明るく照らしている。
先頭を歩くのはシオン。
そのすぐ後ろをルールーが歩き、ゼン、フィリアと続く。
アルトは最後尾で、時折周囲の景色へ目を向けながら歩いていた。
「…………」
フィリアは何度目か分からないほど、街道の先を見る。
昨日からずっと頭から離れない。
ヒルトは今、どこにいるのか。
自分たちより先に出発しているのなら、もうかなり遠くまで進んでいるかもしれない。
「フィリア」
「ん?」
隣に並んだアルトが声をかける。
「さっき聞けなかったけど」
「…………」
「ヒルト、どうしたの?」
フィリアの足が僅かに遅くなった。
「……昨日ね」
「うん」
「軍、辞めた」
「…………」
アルトの足が止まる。
「え?」
「だから……」
フィリアも立ち止まり、振り返った。
「ヒール、軍辞めちゃったの」
「えぇ!?」
「うるせぇ!」
前を歩いていたゼンが振り返る。
「急にでけぇ声出すな!」
「だってヒルトが軍辞めたって!」
「どうでもいいだろ、あんな奴」
「よくない!」
「あぁ?」
「アルト君」
先頭からシオンの声が飛んできた。
「歩いてください」
「あ、はい!」
アルトは慌てて歩き出す。
「……耳いいなぁ」
小さく呟きながら、再びフィリアの隣へ並んだ。
「なんで急に?」
「リヒトさん」
「……!」
「アルトがヴォルグで見たって話、聞いてたみたい」
「俺とバルガス隊長の……」
「うん。試験の時に、たまたま聞いちゃったんだって」
「…………」
アルトは俯いた。
「俺がもっと早くヒルトに言ってれば……」
「それは違う」
フィリアがすぐに遮った。
「ヒールも言ってたよ。アルトは悪くないって」
「でも……」
「悪いのはヒール!」
フィリアは拳を握った。
「怪我治ったばっかりなのに、一人で勝手に行ったヒールが悪い!」
「……そっか」
アルトも思い出す。
ヴォルグで負った傷。
ユノのおかげで予定より早く復帰できたとはいえ、つい最近まで療養していたのだ。
「大丈夫かな……」
「大丈夫じゃないから怒ってるの!」
「見つけたらどうするの?」
「ボコす」
「怪我人だよ?」
「…………」
フィリアが少し考える。
「一発」
「殴るんだ……」
「軽く!」
「それなら……いいのかな?」
「よくねぇだろ」
前からゼンの声が飛んできた。
フィリアの眉がぴくりと動く。
「なに?」
「くだらねぇって言ってんだよ」
ゼンは振り返りもせずに続ける。
「軍まで辞めて兄貴探し? 馬鹿じゃねぇの」
「ゼン」
「あ?」
「次ヒールの悪口言ったら、森に着く前に埋めるよ?」
ゼンが振り返った。
「やってみろよ」
「やる?」
「お、お二人ともぉ……」
弱々しい声が割って入る。
ルールーがおずおずと二人を見ていた。
「け、喧嘩は……その……よくないですぅ……」
「…………」
「…………」
二人の視線が同時に向く。
「ひぃっ!」
ルールーは慌ててシオンの後ろへ隠れた。
「た、隊長ぉ……!」
「私を盾にしないでください」
「す、すみませぇん!」
「…………」
アルトが思わず笑う。
その時。
「……ん?」
ルールーの足元。
淡い光が、ちょこちょこと動いているのが見えた。
「あ!」
アルトの目が輝く。
「ルールーさん!」
「ひゃい!?」
「その子、精霊ですよね?」
「え?」
ルールーは自分の足元を見る。
「あ……リルですか?」
「リル?」
「は、はい」
アルトには淡い光しか見えない。
そこに精霊がいることは分かる。
だが、どんな姿をしているのかまでは分からない。
「どんな精霊なんですか?」
「えっ?」
「俺、本当の姿は見えないから」
「あ……」
ルールーは少し驚いたようにアルトを見る。
それから足元の光へ視線を落とした。
「カ、カワウソです」
「カワウソ!」
アルトが一気に食いつく。
「どれくらいの大きさですか?」
「えっと……」
ルールーが両手を広げる。
「こ、このくらいで……」
「毛は?」
「ふ、ふわふわです」
「可愛い!」
「は、はい。すごく人懐っこい子で――」
ぴくっ。
淡い光が止まった。
「……?」
アルトが少し近づく。
すると。
光は、さっとルールーの後ろへ隠れてしまった。
「あ」
「リ、リル?」
「…………」
アルトの肩が落ちる。
「逃げられた……」
「あ、あのぉ……」
ルールーがおろおろし始める。
「リル、本当に人懐っこい子なんですけど……」
「それ余計に傷つきます……」
「ひぃ!? ご、ごめんなさいぃ!」
「ルールーさんが謝ることじゃないですよ!」
「す、すみません!」
「だから謝らなくて大丈夫ですって!」
「ふふっ」
フィリアが吹き出した。
「フィリア!」
「ごめんごめん!」
アルトは頬を膨らませる。
そしてもう一度、ルールーの後ろに隠れた淡い光を見た。
「……カワウソかぁ」
昨日、ミレイアに言われた言葉を思い出す。
――嫌われていると決まったわけじゃない。
「いつか……」
アルトは小さく笑った。
「ちゃんと見てみたいな」
「…………」
ルールーが少し不思議そうにアルトを見る。
その時だった。
「止まってください」
シオンの声。
「……!」
一瞬で空気が変わった。
全員が足を止める。
シオンは街道の端を見つめていた。
土の上。
僅かに乱れた地面。
「フルケ」
「あいよ」
ゼンが前へ出た。
しゃがみ込み、地面へ視線を落とす。
先ほどまでの粗暴な態度が消える。
「《地眼》」
茶色の瞳に、淡い光が宿った。
「…………」
地面の凹凸。
踏み潰された草。
僅かに崩れた土。
ゼンはそれらをじっと見つめる。
「一人」
フィリアの表情が変わった。
「人?」
「多分な」
「いつ通ったの?」
「急かすな」
ゼンが目を細める。
「……そんなに経ってねぇ」
シオンが隣へ立つ。
「方向は?」
「そっち」
ゼンが指差した。
南へ続く街道――ではない。
そこから外れた、細い道。
獣の森がある方角へ続いている。
「…………」
フィリアが息を呑む。
「ヒール……?」
「まだ決めつけないでください」
シオンが静かに告げる。
「……はい」
「ですが、確認する価値はあります」
シオンは細い道へ目を向けた。
「ここから捜索を開始します」
◇
街道を外れてから、しばらく。
人の手が入らなくなった道は、徐々に険しくなっていった。
草木も増え始めている。
まだ獣の森ではない。
だが、確実に人里からは離れていた。
「フルケ」
「残ってる」
ゼンが歩きながら地面を見る。
「一人で間違いねぇ。ずっと南に向かってる」
「歩き方は?」
「普通……」
ゼンの眉が寄る。
「いや」
少し先の地面へ移動する。
「時々乱れてんな」
「乱れてる?」
フィリアがすぐに反応した。
「疲れてんのか、怪我してんのか……そこまでは分かんねぇよ」
「…………」
フィリアの胸がざわつく。
怪我。
嫌でもヒルトが頭に浮かんだ。
「ルールー」
「は、はい」
シオンが足を止める。
「《澪標》をお願いします」
「わ、分かりました」
ルールーはその場にしゃがみ込んだ。
「アルト君……す、少し離れてもらってもいいですか?」
「はい」
アルトが数歩下がる。
ルールーは片手を地面へ添えた。
静かに目を閉じる。
「…………」
小さく息を吸う。
「《澪標》」
ぽたり。
一滴の水が地面へ落ちた。
そこから。
薄い水の膜が、音もなく広がり始める。
草の根を伝い。
木々の根元を抜け。
岩肌を這い。
幾つにも枝分かれしながら、周囲へ伸びていく。
「…………」
ルールーの表情が変わった。
先ほどまでの気弱な様子はない。
目を閉じたまま、広がった水から伝わる感覚へ意識を集中させている。
「……右に、小さな反応が七つ」
「た、多分……小動物です」
さらに集中する。
「左……大きいのが一つ」
「動いてます。こっちには向かってきてません」
アルトが目を輝かせる。
「すごい……」
「前方は?」
シオンが尋ねる。
「…………」
ルールーが探る。
数秒。
「人の反応は……ありません」
「…………そっか」
フィリアの肩が僅かに落ちる。
「でも……」
ルールーが目を開けた。
「《澪標》が届いていない場所まで進んでいるだけかもしれません」
「範囲の限界ですね」
「は、はい」
ルールーが立ち上がる。
アルトが首を傾げた。
「もっと遠くまで探せないんですか?」
「えっ」
「アルト君」
シオンが答えた。
「できます」
「できるんですか?」
「ルールーは霊器使いです」
「……!」
アルトの目が一気に輝く。
ルールーが嫌な予感を覚えたように一歩下がった。
「霊器!?」
「ひぃっ!」
「どんなのですか!?」
「え、えっと……」
「見たい!」
「い、今は出しませんよぉ!」
「えぇー!」
ルールーが慌てて両手を振る。
「霊器を発現すれば、《澪標》の範囲と感知能力は大幅に向上します」
シオンが説明する。
「ですが、その分ルールーへの負担も増える」
「必要のない段階で使うものではありません」
「……なるほど」
アルトは少し残念そうにしながらも頷いた。
「じゃあ、必要になったら見れるんですね!」
「そ、そこ楽しみにするところですかぁ……?」
「はい!」
「即答……」
ルールーの肩が落ちた。
「行きます」
シオンが再び歩き出す。
「《地眼》で痕跡を追える間は、温存します」
「は、はい」
「フルケ」
「分かってるよ」
ゼンが先へ進む。
フィリアもその後を追った。
「…………」
足跡はまだ続いている。
自分たちより先を行く、一人の人間。
(ヒール……)
フィリアは前を見据えた。
まだ。
それがヒルトだという証拠はない。
それでも。
胸の奥の嫌な予感だけは――
少しずつ、大きくなっていた。




