いってらっしゃい
◇
「では、出発前に目的地を共有します」
シオンが木箱の上に広げた地図へ指を滑らせる。
ガイストから南へ。
商業国家メルカディアを越え、さらに神聖国家セフィロアへ近づく一帯。
その途中で、シオンの指が止まった。
「向かう先は――《獣の森》です」
「……!」
フィリアの表情が変わる。
ゼンも眉を寄せた。
「獣の森……」
「危険区域じゃねぇか」
「はい」
シオンは淡々と頷く。
「正式な街道から外れた広大な森林地帯です。魔獣の数が多く、地形も複雑。通常、軍人であっても単独での進入は禁止されています」
「そんな場所にリヒトさんが?」
フィリアが地図を覗き込む。
「正確には、リヒト・エルナーと思われる人物が森の周辺で目撃されています」
シオンの指が森の北側から奥へと移動する。
「その後、森へ入ったところまでは確認されていますが、それ以降の足取りが途絶えました」
「ったく……」
ゼンが頭を掻く。
「なんでよりによって獣の森なんだよ」
「…………」
その横で、アルトだけが妙に落ち着いていた。
「獣の森かぁ」
フィリアが振り向く。
「アルト、知ってるの?」
「うん」
「前に行ったことある」
「「は?」」
フィリアとゼンの声が重なった。
アルトはきょとんとする。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ!」
フィリアが思わず身を乗り出す。
「危険区域だよ!?」
「知ってる」
「じゃあなんで行ったの!?」
「んー……」
アルトは少し考える。
「昔住んでた場所の近くだったから?」
「それ先に言えよ!」
ゼンが呆れたように吐き捨てる。
シオンはアルトをじっと見た。
「森の地形は覚えていますか?」
「全部じゃないです」
アルトは地図を覗き込む。
「でも、川とか崖とか、大きな道なら少し」
「十分です」
シオンは地図を畳む。
「アルト君には、知っている地形があれば随時報告してもらいます」
「はい!」
「ルールー」
「は、はいぃ!」
名前を呼ばれたルールーが背筋を伸ばした。
「森へ入ってからは《澪標》を使用してください」
「わ、分かりました」
「フルケは地形と足跡の確認を」
「はいはい」
「返事」
「……分かりました」
「フィリア・リーベ」
「はい!」
「上空からの索敵をお願いします。ただし、森の上空は魔獣の縄張りにもなります。深追いはしないこと」
「了解です!」
シオンは全員を見渡す。
「今回の任務は捜索です」
「リヒト・エルナーとの戦闘が目的ではありません」
フィリアの拳が僅かに握られる。
「本人を発見しても、独断で接触しないでください」
「……はい」
「アルト君」
「はい!」
「あなたは試験中です」
「戦うことよりも、まず指示に従うことを優先してください」
「分かりました!」
「では」
シオンが歩き出す。
「出発します」
◇
まだ薄暗い早朝の街を、一行は南へ向かって進み始めた。
先頭を歩くシオン。
その少し後ろを、巨大な大斧を背負ったルールーが小走りで追う。
ゼンは両手を上着のポケットへ突っ込み、面倒そうに歩いている。
フィリアはその隣。
そしてアルトは、初めて同行する者たちを興味深そうに眺めながら後ろをついていった。
「なぁフィリア」
「ん?」
「さっき聞けなかったけど」
アルトが少し声を落とす。
「ヒルト、どうしたんだ?」
「…………」
フィリアの足が僅かに鈍る。
「それは……」
その時。
「話は移動しながらにしてください」
先頭からシオンの声が飛んできた。
「は、はい!」
「……耳いいなぁ」
アルトが小さく呟く。
フィリアは苦笑したが。
すぐに、その表情が曇った。
(ヒール……)
もうどこまで行ったのだろう。
ちゃんと休んでいるのか。
何も分からない。
ただ。
向かう先が同じなら。
きっと、どこかで追いつける。
フィリアは前を向いた。
「待ってろよ……」
小さく呟く。
「バカヒール」
◇
そして。
彼らが街を離れてから、しばらく経った頃。
誰もいなくなった道の脇。
建物の陰から、小さな淡い光がゆっくりと姿を現した。
「ギィ……」
幼い鳴き声。
エーテルだった。
遠ざかっていくアルトたちの姿を、じっと見つめている。
追いかけることはしない。
ただ。
「ギィ……」
小さな手を伸ばす。
もう姿の見えなくなったアルトの方角へ。
まるで。
行ってらっしゃい。
そう伝えるように。
エーテルはしばらくそこに立ち続けていた。




