試験終了
後編
「……そうか。」
アルトは小さく呟いた。
次の瞬間だった。
アルトは踵を返し、ノアとは反対方向へ駆け出した。
「……?」
ノアの眉が僅かに動く。
血の蝙蝠たちはすぐさまアルトを追う。
血糸が床を這い、逃げ道を塞ぐ。
アルトは《砕》を振るった。
「《砕円》!」
轟ッ!!
円形の衝撃が血の蝙蝠を吹き飛ばし、血糸を弾き飛ばす。
開いた僅かな道へ飛び込む。
「逃げますか。」
ノアが静かに呟く。
だが追撃の手は緩めない。
深紅の外套が翻る。
無数の血の礫がアルトの背中へ降り注いだ。
「ぐっ!」
肩へ一発。
脚へ一発。
背中へ二発。
痛みに顔を歪めながら、それでも走る。
(もう少し……!)
訓練室の出口まで、あと数歩。
血糸が足元を這う。
アルトは前へ飛び込んだ。
床を滑る。
《砕》を伸ばす。
ガンッ!
杖の先が扉の取っ手へ引っ掛かった。
「開けぇぇぇぇ!」
全身の力で引く。
重厚な扉がゆっくりと開き始める。
「まだです。」
ノアが右手を上げる。
血の蝙蝠が一斉にアルトへ迫った。
その瞬間。
バンッ!!
扉が勢いよく開いた。
アルトはそのまま廊下へ転がり出る。
仰向けのまま、大きく息を吸った。
「誰かぁぁぁぁぁ!!」
静かな軍事局の廊下へ、声が響き渡る。
「助けてくださぁぁぁい!!」
巡回していた兵士たちが一斉に振り向く。
「軍事局長が暴れてまーーーす!!」
廊下が静まり返った。
兵士たちはアルトを見る。
訓練室を見る。
そして、その奥に立つノアを見る。
「……え?」
「局長?」
「暴れてる?」
「試験じゃなかったのか?」
誰も状況を理解できない。
アルトは必死に叫び続ける。
「助けてくださーい!」
「俺一人じゃ勝てませーん!」
ノアは訓練室の中で立ち止まっていた。
しばらく無言だった。
やがて。
深紅の外套が霧となって崩れ落ちる。
血の蝙蝠も。
血糸も。
赤い霧となって静かに消えていった。
《緋爪》を外したノアは、ゆっくりとアルトの前まで歩いてくる。
廊下に集まった兵士たちも固唾を呑んで見守っていた。
「……試験終了です。」
アルトは目を丸くする。
「え?」
ノアは眠たげな赤い瞳でアルトを見下ろした。
「アルト君。」
「はい……。」
「あなたは、なぜ逃げたのですか?」
アルトは少しだけ考えた。
「……勝てないと思ったからです。」
「それで?」
「俺一人じゃ無理なら。」
アルトは周りの兵士たちを見回した。
「誰かに助けてもらえばいいと思いました。」
ノアは静かに頷く。
「その通りです。」
廊下へ静かな声が響く。
「軍人とは。」
「必ず勝つ者ではありません。」
「生きて帰る者です。」
兵士たちも耳を傾けていた。
「勝てない相手へ無謀に挑み続けること。」
「それは勇敢ではありません。」
「ただの無謀です。」
ノアはアルトへ視線を戻す。
「あなたは最後まで諦めませんでした。」
「ですが。」
「最後に選んだのは、勝つことではなかった。」
「生き残ること。」
「仲間を頼ること。」
「助けを求めること。」
「それこそが、今回の試験で私が見たかった答えです。」
アルトはゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ……。」
ノアは小さく口元を緩めた。
「合格です。」
一瞬、時間が止まった。
「…………。」
「やったぁぁぁぁ!!」
アルトは思わず飛び跳ねようとして。
「いったぁぁぁ!!」
全身の傷が悲鳴を上げ、その場へしゃがみ込んだ。
廊下から笑い声が漏れる。
ノアも珍しく、小さく笑っていた。
「ですが。」
アルトが恐る恐る顔を上げる。
「軍事局の廊下で。」
「『軍事局長が暴れてまーす』と叫ぶのは、感心しませんねぇ。」
「えぇぇぇ!?」
アルトの悲鳴が再び廊下へ響く。
兵士たちは堪えきれず笑い出した。
ノアは笑みを浮かべたまま、小さく肩を竦める。
「……冗談です。」
そう言ってアルトへ手を差し伸べた。
「改めまして。」
「試験、お疲れ様でした。」
アルトはその手をしっかりと握る。
「ありがとうございました!」
その姿を見ていた兵士たちは、大きな拍手を送った。




