吸血鬼
眠たげだった赤い瞳が、ゆっくりとアルトを見据える。
「……少しだけ、本気を出しましょう」
「え?」
アルトは目を丸くした。
「今まで本気じゃなかったんですか?」
「ええ」
ノアは淡々と答える。
「今までは、様子見でしたから」
《緋爪》の先端を、自らの左手へ滑らせる。
赤い血が静かに滴り落ちた。
「固有術――《血界》」
ぽたり、と落ちた血が床へ触れる。
「また……!」
赤い血糸が、一瞬で床を走った。
壁を這い。
天井へ伸び。
訓練室全体を覆い尽くしていく。
しかし。
先ほどとは明らかに違う。
一本一本の血糸が脈打つように揺れ、生き物のような気配を放っていた。
アルトは思わず《砕》を握り直す。
「さっきより……すごい。」
ノアは返事をしない。
再び《緋爪》を自らの腕へ走らせる。
流れ出た血は地面へ落ちることなく、腕を這い、肩へ、胸へ、背中へと広がっていく。
「精霊術――《血殻》」
赤黒い霊素が血と混ざり合う。
その瞬間。
血が逆流した。
背中から大きく広がり、一枚の外套を形作る。
風もないのに揺れる深紅のロングコート。
袖や裾は煙のように揺らめき、絶えず形を変え続けている。
暗灰色の髪。
赤い瞳。
血でできた外套を纏ったその姿は、人ではなく夜を支配する吸血鬼そのものだった。
ノアはゆっくりと両腕を広げる。
バサァッ――。
血の外套が、大きな翼のように翻った。
その内側から、無数の赤い光が浮かび上がる。
アルトは息を呑んだ。
「……っ!」
赤い光は、一匹、また一匹と形を変えていく。
血でできた蝙蝠。
ノーチェによく似た、小さな使い魔たち。
数十匹もの血の蝙蝠がノアの周囲を旋回し始めた。
ノアの肩へ、淡い光が止まる。
契約精霊ノーチェ。
アルトには姿こそ見えない。
だが、そこへいることだけは分かる。
「ノーチェ」
ノアが静かに名を呼ぶ。
キィ……。
小さな鳴き声が訓練室へ響いた。
その瞬間。
血の蝙蝠たちが一斉にアルトへ赤い瞳を向ける。
肌が粟立つ。
思わず一歩、後ろへ下がった。
「怖いですか?」
ノアは静かに尋ねた。
アルトは額を流れる汗を拭い、苦笑する。
「はい。」
「めちゃくちゃ。」
それでも。
口元だけは笑っていた。
「でも……」
《砕》を強く握り締める。
「やっぱり、すげぇ!」
その返事に、ノアは僅かに目を細める。
(この状況で、憧れるのですか。)
(本当に……。)
(変わった子ですね。)
ノアは《緋爪》を静かに構えた。
「では」
「ここから先は、本当に手加減しません。」
アルトも《砕》を構える。
「お願いします!」
次の瞬間。
ノアが右手を軽く振った。
「行きなさい」
血の蝙蝠たちが、一斉にアルトへ襲い掛かった。




