自分一人で
その声を合図に。
ノアの姿が、音もなく消えた。
「――っ!」
アルトは反射的に《砕》を構える。
だが。
右ではない。
左でもない。
後ろでもない。
(どこだ!?)
次の瞬間。
ガギィィンッ!!
頭上から振り下ろされた《緋爪》を、《砕》で受け止める。
「ぐっ!」
腕が痺れる。
重い。
細い身体のどこに、これほどの力があるのか。
「悪くありません」
ノアは淡々と呟く。
「ですが」
《緋爪》を滑らせるように《砕》へ絡ませる。
「武器を見すぎです」
「え?」
アルトが視線を落とした、その一瞬。
ノアの膝がアルトの腹部へ突き刺さった。
「がっ……!」
空気が肺から一気に吐き出される。
アルトの身体が数メートル吹き飛び、床を転がった。
「かはっ……」
息ができない。
痛みよりも、呼吸が奪われた苦しさが先に来る。
「立ってください」
ノアの声だけが静かに響く。
「まだ終わっていません」
アルトは《砕》を杖代わりにして立ち上がる。
腹を押さえながら笑った。
「いてて……」
「やっぱり、強ぇ」
「そうでしょうねぇ」
ノアは感情のない声で答えた。
「軍事局長ですから」
アルトは構え直す。
「もう一回!」
再び飛び出す。
今度はフェイントを混ぜる。
右へ踏み込み。
左へ切り返し。
《砕》を振り上げる。
だが。
ノアは避けない。
《緋爪》の一本で《砕》を軽く逸らした。
「重心」
「……!」
「腕」
「足運び」
「視線」
アルトの攻撃を受け流しながら、ノアは淡々と指摘する。
「全て正直です」
《緋爪》が閃く。
制服の肩が裂けた。
「もっと相手を騙してください」
「戦場で正直者は、早く死にます」
アルトは距離を取る。
肩からは血が一筋流れていた。
それでも笑う。
「難しいな!」
「だから学ぶんです」
ノアは《緋爪》を下ろした。
「あなたは吸収が早い」
「教えたことを、すぐ試そうとする」
「それは長所です」
「本当ですか!」
「ですが」
赤い瞳が細くなる。
「致命的な欠点があります」
アルトの表情が引き締まる。
「欠点?」
「ええ」
ノアはアルトを真っ直ぐ見据えた。
「あなたは、自分が傷つくことを恐れていません」
「……」
「それは勇気ではありません」
「ただの無謀です」
その言葉に、アルトは黙り込んだ。
ノアは静かに続ける。
「ヴォルグでの報告では」
「あなたは真っ先に飛び込み、自分を犠牲にして精霊や仲間を守ろうとした」
「それは立派です」
「ですが」
《緋爪》をアルトへ向ける。
「隊長になれば」
「あなた一人の命では済まなくなる」
「あなたが倒れれば」
「あなたを信じた部下も死ぬ」
訓練室が静まり返る。
アルトは《砕》を見つめ、ゆっくりと拳を握った。
「……俺は」
静かな声で呟く。
「まだ、自分一人で戦ってるつもりだったのか」
ノアは何も答えない。
ただ、その言葉を待っていたかのように、赤い瞳を細めていた。




