知識は鎧だ
「坊主……」
バルガスの表情から笑みが消えた。
「お前、今なんて言った?」
「え?」
アルトは首を傾げる。
「隣にいたのがライで──」
「その前だ!」
バルガスは勢いよく立ち上がり、机を回り込んでアルトの前まで詰め寄る。
「ヴォルグでヒルトそっくりな奴を見たって言ったのか!」
「は、はい……」
突然の剣幕に、アルトは思わず身を引いた。
バルガスはアルトの肩を掴みそうになるのを堪え、低い声で尋ねる。
「……リヒト・エルナーを見たと言ったのか?」
「リヒト……エルナー?」
聞き覚えのない名前に、アルトは目を瞬かせた。
「このことは誰に話した!」
「ヒルトには!」
「アーヴェルには!」
「い、いいえ!」
アルトは慌てて首を横へ振る。
「忘れてたので……」
バルガスはしばらくアルトを見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……ふぅ」
ゆっくりと椅子へ腰を下ろす。
「声を荒げてすまなかった」
「許してくれ」
「い、いえ……」
「この件は、俺から上へ報告しておく」
「坊主は、しばらく誰にも話すな」
「……はい」
重苦しい沈黙が流れる。
やがてバルガスは気持ちを切り替えるように咳払いをした。
「……授業の続きをしよう」
アルトも姿勢を正す。
「そうだな」
「魔素と霊素の話の続きだ」
バルガスはアルトを見る。
「もし、人間の魔素が底を尽いた状態で、それでも術を使い続けたらどうなると思う?」
アルトは少しだけ考えた。
「……アーヴェル隊長が」
「精霊に心を食われるって言ってました」
「……!」
バルガスは僅かに目を見開く。
「そうか……」
「アーヴェルが、そこまで話したか」
静かに頷く。
「その通りだ」
「人は精霊に心を喰われる」
「そして精霊は自我を失う」
「互いを支え合うはずの関係が壊れた結果、術師も精霊も、元には戻れなくなる」
アルトは真剣な表情で聞いている。
「だが」
バルガスの声が低くなる。
「中には、自我を保ったまま人の姿となり、人間のように振る舞う奴もいる」
「俺たちは、そいつらを人喰らいと呼んでいる」
アルトの背筋に冷たいものが走る。
「なぜそんな存在になるのか」
「何が目的なのか」
「それは今でも分かっていない」
「だが、一つだけ確かなことがある」
バルガスは真っ直ぐアルトを見た。
「奴らは強い」
「そして、厄介だ」
一瞬、部屋の空気が重くなる。
「ヒルトの兄」
「そして、アーヴェルの元部下だったリヒト・エルナーも」
「氷の精霊に喰われた人喰らいだ」
「そ、そんな……」
アルトは小さく呟く。
「精霊が……人を喰う……?」
「勘違いするな」
バルガスは静かに首を横へ振った。
「精霊は俺たちの大切なパートナーだ」
「だが同時に、一歩間違えれば命さえ奪う危険な存在でもある」
「だからこそ、俺たち術師は学ばなきゃならねぇ」
バルガスは机の上の教本を軽く叩く。
「知識は鎧だ」
「そして、武器にもなる」
そう言って、再び豪快な笑みを浮かべた。
「さぁ、小僧」
「もうすぐ試験を始めよう」
「……はい!」
アルトは力強く頷いた。




