功績と危険性②
ノアは眠たげな赤い瞳をゆっくりと扉へ向けた。
「バルガス隊長……」
「ノックくらい、されては?」
「いやー、すみませんねぇ」
バルガスは頭を掻きながら、悪びれもせず笑う。
「話が聞こえたもんで、つい」
「それは盗み聞きというのでは?」
「細けぇことは気にしないでくださいよ、局長殿」
「気にしますよ」
「次から気をつけますって」
口ではそう言いながら、反省している様子はまるでない。
ノアは小さくため息をついた。
バルガスはそのままアーヴェルの隣へ歩み寄り、太い腕を組む。
「そんな怖ぇ顔すんなよ、アーヴェル」
「ガオン王子の方は、もしかしたら技術留学の打ち切りになるかもしれねぇ」
「だが、相手はルミナスの王子だ」
「こっちの一存でどうこうできる立場じゃねぇよ」
「……そうだな」
アーヴェルは静かに頷く。
ガオンは謹慎を破り、無断でヴォルグへ潜入した。
だが、他国の王族である以上、ガイストが勝手に重い処分を下すことはできない。
問題になるとしても、技術留学の打ち切りか、ルミナスへの強制帰国。その程度だろう。
バルガスは顎を撫でる。
「だが、小僧の方は分かんねぇな」
その言葉に、ノアの表情が僅かに引き締まった。
「ええ」
「私も、問題はアルト君の方だと考えています」
机の上へ置かれた報告書へ視線を落とす。
「アルト君は謹慎中でした」
「それにもかかわらず、独断で国外へ出た」
「ヴォルグの重要施設へ侵入し、複数のフェルギアを破壊」
「さらに、詳細不明の力まで使用しています」
淡々と事実だけを並べる声。
アーヴェルの拳へ、僅かに力が入った。
「ですが、結果として囚われていた精霊たちは救われました」
「ヴォルグ国王が方針を改めるきっかけも作った」
「功績は認めていますよ」
ノアは報告書を閉じる。
「ですが、功績と危険性は別の問題です」
室内へ、重い沈黙が落ちた。
「アルトは精霊を助けるために動いただけです」
アーヴェルが真っ直ぐノアを見る。
「そこに私欲はありません」
「その思いに嘘はないのでしょう」
ノアは否定しなかった。
「しかし彼は、自分が正しいと思えば命令を破る」
「国境を越える」
「己の命すら顧みない」
「そのような人物を、私はまだ信用できません」
アーヴェルの眉間へ、深い皺が刻まれる。
「アルトは危険人物などではありません」
「そうかもしれません」
「ですが私は、彼をほとんど知りません」
ノアの眠たげな赤い瞳が、静かに細められる。
「経歴も不明」
「これまでどこで何をしてきたのかも曖昧」
「力の正体も分からない」
「そして、何を基準に行動する人物なのかも、まだ完全には把握できていません」
一拍置き、ノアは続けた。
「分かっているのは、精霊を救うためなら、自分の命も命令も顧みないということだけです」
バルガスは腕を組んだまま、低く唸った。
「報告書を見る限りじゃあ、随分と無茶する小僧だな」
「俺ぁ、まだ一度も会ったことねぇけど」
「精霊のために命を張る。そりゃ結構なことだ」
「だが、周りまで巻き込むようじゃ、軍人は務まらねぇ」
「アルトはまだ軍人ではありません」
アーヴェルが返す。
「だったら、なおさら厄介ですね」
ノアは間を置かずに答えた。
「軍属ですらない青年が、独断で他国へ入り、一国の情勢を変えてしまった」
「私はそれを危険だと判断しています」
バルガスは二人の顔を交互に見た。
「まあ、局長殿の言い分も分かりますけどねぇ」
ノアへ向ける言葉だけが、少しだけ丁寧になる。
「ですが俺ぁ、実際に会ってみねぇことには何とも言えねぇ」
今度はアーヴェルへ顔を向けた。
「報告書だけじゃ、人柄までは分かんねぇからな」
「……ああ」
アーヴェルは静かに頷いた。
ノアも否定はしなかった。
「だからこそ、陛下も直接会われるのでしょう」
「彼が国へ大きな功績をもたらした青年なのか」
「それとも――」
僅かに言葉を切る。
「国として管理すべき危険人物なのか」
アーヴェルの表情がさらに険しくなる。
「管理、ですか」
「必要であれば」
ノアの答えに迷いはない。
「未知の力を持ち、命令に従わず、精霊のためなら何処へでも向かう」
「放置するには、あまりにも危うい」
「それでも私は、アルトを信じています」
「君が信じることを否定するつもりはありません」
ノアは椅子へ深く背を預けた。
「ですが私は、軍事局長です」
「一人の人間ではなく、国全体を見なければならない」
「信頼だけで判断することはできません」
張り詰めた空気の中、バルガスが大きく息を吐いた。
「まったく、堅ぇ話だな」
アーヴェルへ向けて肩をすくめる。
「お前が小僧を庇いたくなるのも分かる」
「局長殿が警戒するのも分かりますよ」
ノアへ視線を移し、くだけた敬語で続ける。
「けど、難しく考えたって仕方ねぇでしょう」
「ガオン王子が国へ返されるのか」
「小僧が褒められるのか、怒られるのか」
「それとも、精霊術師として何かしらの称号を授けられるのか」
口元を吊り上げる。
「答えなんざ、もうすぐ分かるさ」
アーヴェルは窓の外へ視線を向けた。
王城のある方角。
そこへ向かっているであろうアルトとガオンの姿を思い浮かべる。
「……どうか、余計なことだけはしないでくれ」
誰に聞かせるでもなく呟く。
バルガスはその横顔を見て、鼻で笑った。
「それをあの小僧に期待するのは、もう遅ぇんじゃねぇか?」
「バルガス」
「冗談だって」
低い声で名前を呼ばれ、バルガスは両手を上げた。
ノアはそんな二人を眺めながら、机の上の報告書を静かに閉じる。
「さて」
「陛下が、どのような判断を下されるのか」
眠たげな赤い瞳の奥へ、鋭い光が宿った。
「私も興味がありますね」




