心を食われる。
◇
レテの身体から、淡い水色の光が溢れ出した。
その光は治癒を受けていたアルトへ流れ込み、瞬く間に全身を包み込んでいく。
「な、何だ……?」
ログが目を見開く。
光はアルトの身体へ吸い込まれるように消えていった。
次の瞬間。
「……っ!」
アルトが大きく息を吸い、勢いよく目を開いた。
「アルト!」
ガオンが声を上げる。
つい先ほどまで消えかけていた脈は戻り、苦しげだった呼吸も落ち着いている。
アルトは何が起きたのか分からない様子で、何度か瞬きをした。
「オレ……」
その時だった。
レテの身体が大きく傾いた。
「オーズィラ!」
アーヴェル隊長が咄嗟に手を伸ばし、その身体を抱き止める。
レテの瞳は閉じられ、呼びかけにも反応しない。
顔色は急速に青白くなっていた。
アーヴェル隊長はレテの手を取り、脈を確かめる。
そして、その異変を一瞬で察した。
「魔素切れだ」
「魔素切れ?」
ログが聞き返す。
アーヴェル隊長の表情が険しくなる。
「精霊へ渡す魔素を失いすぎた。このままでは――」
レテの足先が、わずかに揺らいだ。
軍靴の輪郭が崩れ、透き通った水のようなものへ変わっていく。
「精霊に心を食われる!」
「なっ……!」
ログの顔色が変わった。
アーヴェル隊長はすぐさまレテの胸元へ手を当てる。
「俺の魔素を使え!」
体内から魔素を送り込む。
しかし、レテの身体は魔素を受け取らない。
流れ込んだはずの魔素が、触れた端から外へ弾き出されてしまう。
「何故だ……!」
足先から始まった変化は止まらない。
足首。
脛。
少しずつ、レテの身体が水へ溶けるように形を失っていく。
「隊長、代わって下さい!」
ログがレテへ手を伸ばした。
「俺のも使え!」
魔素を送り込む。
だが、やはり効果はない。
「クソッ……なんで入らねぇ!」
「僕もやります!」
ユノが続く。
キュウも怯えながら、契約者へ力を貸そうと寄り添った。
ユノの魔素がレテへ流れる。
それでも、変化は止まらなかった。
「そんな……」
別の場所から駆けつけたガオンも、黙ってレテへ手をかざす。
「私の魔素も使ってください」
アーヴェル隊長へ断りを入れ、自身の魔素を送り込む。
だが、それさえも弾かれた。
「何なんだ、これは……」
さらに。
「どけ」
低い声とともに、傷だらけのガレスが近づいてきた。
つい先ほどまで敵としてアルトと戦っていた男。
それでも今は迷わず、レテへ手を伸ばす。
「俺のものも使え」
残された魔素を送り込む。
しかし――届かない。
レテの膝までが水へ変わり始める。
アーヴェル隊長の脳裏に、遠い記憶が蘇った。
同じように魔素を失い。
人としての輪郭をなくし。
契約精霊へ呑まれていった者。
伸ばした手が届かなかった、あの日。
「クソォォォッ!」
アーヴェル隊長の怒声が響き渡った。
「何故だ! 何故、魔素を受け取らない!」
「俺なら、なんとかできる」
突然、アルトが言った。
一同の視線が集まる。
「……は?」
ログが呆気に取られる。
ガオンは険しい表情でアルトを睨んだ。
「急に起きて、寝ぼけたことを抜かすな!」
「寝ぼけてねぇ」
アルトはゆっくりと起き上がる。
「オレなら、レテを助けられる」
「あなたは下がっていてください!」
ユノがアルトの前へ立つ。
「つい先ほどまで死にかけていたんですよ!」
《燈環》を構え、レテへ視線を戻す。
「僕が《暖脈》を――」
「大丈夫だ」
アルトはユノの横を通り過ぎた。
ふらつきもせず、真っ直ぐレテのもとへ歩いていく。
アーヴェル隊長が鋭く問いかける。
「何をするつもりだ」
「分かんねぇ」
「何?」
「でも、できる気がする」
何の根拠もない言葉。
普段なら止めていただろう。
だが、今は他に手がなかった。
アルトはレテの前へ膝をつき、その胸元へ手をかざした。
「戻ってこい、レテ」
その瞬間。
アルトの掌から、眩い光が溢れ出した。
「なっ――!」
光は水へ変わりかけていたレテの身体を包み込む。
足元から失われていた輪郭が、ゆっくりと元へ戻っていく。
水が形を取り戻し。
肌へ。
衣服へ。
人の身体へと変わっていく。
やがて光が収まる頃には、レテの身体は完全に元の姿へ戻っていた。
呼吸も安定している。
先ほどまでの異変が、まるで初めから存在しなかったかのように。
「……なっ!?」
その場にいた全員が、言葉を失った。
当のアルト自身も、自分の手を見つめていた。
「……治った?」
その一言を最後に、レテの身体から力が抜ける。
アーヴェル隊長が再び抱き止めた。
今度は眠っているだけだった。
◇
「――ということだ」
ログが話し終える。
病室には静かな沈黙が流れていた。
レテは自分の手を見下ろす。
「一体……何が……」
「僕たちにも分かりません」
ユノが静かに答えた。
「あなたへ魔素を送っても、全く受け付けなかったんです。それなのに、アルトさんが触れた途端……」
「元どおりになった」
ログが続ける。
「本人に聞いても、何をやったのか分からねぇってよ」
レテは窓の外へ視線を向けた。
白い空間。
顔を思い出せない女性。
そして――忘れないで、という言葉。
それが関係しているのだろうか。
そう考えた瞬間、その女性の姿はまた記憶の中から薄れていった。
「……ヴォルグは、どうなったのですか?」
レテは話題を変えるように尋ねた。
ログは壁へ背を預けたまま答える。
「俺と戦ったゼインって奴と、ドクター・ヴェルナーは捕まった」
「ヴォルグ国王も、自分たちの非を認めて正式に謝罪した。まあ、国同士の細かい話はこれからだろうな」
「エリナ・ステイツ中尉は?」
「ああ。その人と、アルトと戦ってたガレスって人は、今も取り調べを受けてる」
レテは小さく息を吐いた。
命を奪われてはいない。
それだけは安心できた。
「それで……」
ログの表情が僅かに険しくなる。
「黒幕のバルドゥルは、死体で発見された」
「……え?」
レテの目が見開かれる。
「死体……?」
「ああ。施設から離れた場所でな」
「鉄人形ーフェルギアからは緊急脱出してたはずだ。けど、見つかった時にはもう死んでたらしい」
「誰が……」
「分からねぇ」
ログは首を横へ振った。
「ヴォルグ軍も調べてる。けど、今のところ何も出てない」
レテの胸に、説明できない不安が広がる。
ディーネが怯えていた、あの気配。
バルドゥルの不自然な死。
何かがまだ、この事件の陰に隠れている。
「まあ、人様の国のことは一旦置いとけ」
ログが腕を組み直す。
「今の問題は、もっと近くにある」
「近く……?」
レテが首を傾げる。
ログは深いため息をついた。
「アーヴェル隊長と、ガオンと、アルトだ」
病室にいた全員が、何とも言えない表情を浮かべた。




