崩れゆくヴォルグ
◇
ヴォルグの市街地には、けたたましい警報が鳴り響いていた。
工場の煙突から立ち上っていた黒煙が、一本、また一本と途絶えていく。
轟音を響かせていた機械は止まり、街を照らしていた灯りも不規則に明滅していた。
「第三工区も止まったぞ!」
「一体、何が起きている!」
「ガイストが攻めてきたらしい!」
「軍は何をしているんだ!」
人々が慌ただしく通りを行き交う。
店の扉を閉める者。
子どもの手を引き、家へ急ぐ者。
動かなくなった荷車の前で立ち尽くす者。
誰も、正確な事情など知らない。
ただ、これまで当たり前に動いていたものが次々と止まり、日常が崩れていくことだけは分かった。
「お母さん……」
一人の少女が、通りの脇に設置されたランタンを見上げる。
弱々しく明滅する光。
その中では、閉じ込められた精霊が小さく身を縮めていた。
「あの子、苦しそうだよ」
母親は何も答えなかった。
ただ少女の手を強く握り、足早にその場を離れていく。
少し離れた場所では、止まった機械を前に、老いた職人が呆然と立ち尽くしていた。
「精霊が止まれば……何も動かんのか」
誰に聞かせるでもなく呟く。
その言葉を聞いた若い工員が、苛立ったように振り返った。
「今さら何を言ってるんだ。ずっとそうだっただろ」
「……ああ」
老職人はゆっくりと頷く。
「ずっと、そうだった」
工場も。
灯りも。
兵器も。
この国の豊かさは、全て精霊の力で成り立っていた。
だが、その力が失われた瞬間。
ヴォルグという国が、どれほど脆い土台の上に立っていたのかが露わになった。
遠くで、何かが崩れる音が響く。
人々の悲鳴が上がり、兵士たちが通りを駆け抜けていった。
◇
王城の執務室にも、市街地の警報が届いていた。
机の上には、各地から届いた報告書が積み上げられている。
工場停止。
フェルギア部隊との連絡途絶。
研究施設への侵入。
そして。
「《コマンダー》《ヴァルキリー》だけでなく……」
報告書を握るバルドゥルの手が震える。
「《アルケミア》と《レイス》まで戦闘不能だと……」
声は次第に掠れ、怒りに染まっていく。
次の瞬間。
「無能どもめ! 何をしている!」
拳が机へ叩きつけられた。
積み上げられていた書類が宙を舞い、床へ散らばる。
バルドゥルの額からは滝のように汗が流れていた。
怒鳴るたびに唾が飛ぶ。
横から無理やり撫でつけていた髪も崩れ、薄くなった頭皮へ張りついている。
「もう……いいのではないか」
部屋の奥から、静かな声がした。
バルドゥルが勢いよく振り返る。
ヴォルグ国王は、窓の外へ目を向けていた。
止まり始めた煙突。
通りを逃げ惑う民衆。
遠くで明滅する警告灯。
「国王よ!」
バルドゥルは机を回り込み、玉座へ詰め寄る。
「何をおっしゃる!」
「我が先祖の代から秘密裏に練られてきた精霊奴隷化計画を!」
「こんなところで終わらせるとでも言うのですか!」
国王はゆっくりと立ち上がった。
「初めから、間違えていたのだ」
「……何を」
「精霊を……」
国王は拳を握る。
「生命を搾取し、使い捨てるなど間違えている!」
その声が執務室へ響き渡った。
バルドゥルは目を見開く。
「ここまで来て何を言う!」
国王へ指を突きつける。
「王よ! 貴方も今まで、この計画を認めてきたではないか!」
「ああ!」
国王は目を逸らさなかった。
「余も今まで間違えていた!」
バルドゥルの指先が止まる。
「国の繁栄を理由に、見て見ぬふりを続けてきた」
「精霊たちが苦しんでいると知りながら、止めることができなかった」
国王は床へ散らばった報告書を見下ろす。
「だが、間違いは正さなければならん」
そして、再びバルドゥルを見る。
「バルドゥル」
「共に罪を償おう」
「そして、この国を正すのだ」
しばしの沈黙。
やがてバルドゥルの顔が、怒りで大きく歪んだ。
「貴様……」
低い声が漏れる。
「馬鹿を言うな!」
もはや、目の前の男を王と呼ぶ気すらないようだった。
「これまで、どれほど我が一族がヴォルグの繁栄へ貢献してきたと思っている!」
「工場を築き!」
「兵器を生み!」
「この国を弱小国から大国へ押し上げた!」
胸を叩き、唾を飛ばしながら叫ぶ。
「それを今さら間違いだったと?」
「罪を償えだと?」
「ふざけるな!」
バルドゥルは国王へ背を向けた。
荒々しい足取りで扉へ向かう。
「待て、バルドゥル!」
国王の制止にも振り返らない。
扉の前で立ち止まり、肩を大きく上下させる。
「かくなる上は……」
低く呟く。
そして。
バルドゥルは執務室を後にした。




