迷いません
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「命令だ!」
背後から響いたアーヴェルの声に、レテの足が止まった。
振り返りたい。
今すぐ戻りたい。
けれど、それでは彼が一人で残った意味がなくなる。
「……絶対に、戻ってきてください」
返事の代わりに、鋼と風が激しくぶつかり合う音が轟いた。
レテは唇を噛み、《水凪》を握り締める。
「行こう、ディーネ」
傍らを泳ぐ小さな魚が、静かに尾を振った。
レテは前を向き、工場の奥へと走り出す。
この国とカイルの繋がりを示す証拠を見つける。
そして、捕らわれている精霊たちを助け出す。
それが今、自分にできることだった。
通路を進むほど、鉄と油の臭いが濃くなっていく。
やがてレテは足を止めた。
壁際に、壊れたランタンが転がっている。
砕けた硝子の奥で、淡い光が弱々しく明滅していた。
「……また」
力を使い果たされ、形を保つことすらできなくなった精霊。
ここへ来るまでに、何度も見た。
空になった容器と一緒に積み上げられたもの。
光を失い、廃材の山へ捨てられたもの。
まだ消えていないのに、壊れた道具のように放置されたもの。
レテはその場に膝をついた。
「ごめんなさい。今は、連れていけなくて……」
指先から生まれた水が、淡い光を優しく包み込む。
それだけで救えるわけではない。
それでも、乾いた床の上で消えていくのを見過ごすことはできなかった。
ディーネがレテの頬へ身体を寄せる。
「大丈夫です」
レテは立ち上がった。
「ただ……少し、怒っているだけですから」
再び歩き出した先にも、壊れた容器があった。
その先にも。
冷たいものが、胸の奥へ静かに積もっていく。
やがて通路を抜けると、広い格納庫へ出た。
「そこまでです!」
鋭い声が響く。
正面の足場に、一人の女性将校が立っていた。
赤褐色の髪を後ろで束ね、軍服の上から操縦装具を身につけている。
その背後に立つのは、赤い装甲を纏った鉄人形。
他の機体より細身で、背には翼を思わせる二枚の装甲板が伸びていた。
女性将校は迷いなく操縦席へ乗り込む。
「ヴォルグ軍中尉、エリナ・ステイツ」
赤い機体の瞳に光が灯る。
「専用フェルギア《ヴァルキリー》の名に懸けて、これ以上の侵入は許しません!」
《ヴァルキリー》は両腰から、細身の長剣を一本ずつ引き抜いた。
二本の刃が胸の前で交差し、甲高い音を鳴らす。
レテも《水凪》を抜いた。
だが、その視線はエリナではなく、《ヴァルキリー》の胸部へ向けられている。
装甲の奥。
そこから、苦しげな淡い光を感じた。
「……その子たちを解放してください」
「その子たち?」
「その機体を動かしている精霊です」
エリナの眉が寄る。
「精霊は我が国を支える重要な資源です。それを奪われれば、多くの民が路頭に迷います」
「だから、使い潰してもいいんですか?」
「何を……」
「ここへ来るまで、何度も見ました」
レテの声は静かだった。
けれど、《水凪》を握る指には力がこもっている。
「力を奪われて、動けなくなって……壊れた道具と一緒に捨てられた精霊たちを」
エリナの表情が、わずかに揺れた。
「あなたも、あの子たちを同じように捨てるんですか?」
「私は……」
エリナは一瞬だけ言葉を詰まらせる。
それでも、すぐに前を向いた。
「私はヴォルグの軍人です」
二本の長剣が構えられる。
「国を守るためなら、迷いません!」
「……そうですか」
ディーネがレテの周囲を一度だけ泳ぐ。
言葉は交わさない。
けれど、何をしようとしているのかは互いに分かっていた。
レテは《水凪》を正眼に構える。
「では、私たちも迷いません」
足元に薄く水が広がっていく。
「行きましょう、ディーネ」
次の瞬間。
《ヴァルキリー》が床を蹴り砕いた。
左右から迫る二本の刃が、レテを挟み込むように閃いた。




