第9話 戸惑う心
フリードリヒ殿下が私を抱えたまま、兵士に命令を告げる。
「竜騎士隊から二名、急いで呼んでこい!」
殿下の胸に額をくっつけていると、そのバリトンボイスが私の頭を直接揺らす。なんだかくらくらと眩暈を覚えて、変な気分だ。
「はっ!」
返事をした兵士が慌てて走り去っていく気配がする。そのまま私は室内に運び込まれ――部屋の中の侍女たちが、ひそかに息をのむ気配がした。……やっぱり、これは噂になるんじゃないの?! フリードリヒ殿下が私を優しくソファに下ろしてくれたけれど、私は顔を手で覆ってうつむいたまま、動けなくなっていた。殿下の声が耳のそばから聞こえてくる。
「……大丈夫か」
「――はい! 大丈夫です!」
思わず答えた私の声が上ずった。なんだか余計に照れくさくて、侍女たちの視線に耐えられなくて、そのまま顔を伏せていた。でも殿下は私の婚約者なんだしっ! 噂が流れるくらい、殿下は気にしないと思うしっ! 殿下も気にしてないだろうし! なんでこんなことを私は気にしてるのかなぁっ?! 私がもやもやと考えこんでいると、フリードリヒ殿下が私に告げる。
「すまなかった。そこまで恥ずかしい思いをするとは思わなかった」
「いえ、その、私もこんなに恥ずかしいとは思いませんでした。男性に抱えられるなんて、初めてでしたし……」
それっきり黙りこんだフリードリヒ殿下が気になって、そっと顔を上げて殿下を盗み見る。殿下は私の隣に腰を下ろして前を向いたまま、不安そうに眉をひそめていた。さっきまであんなに近かった顔が、今はもう遠い。それがなんだか寂しく感じられて、私は殿下の顔を見上げていた。
「……どうした、何を見ている」
「えっ?! いえ、その、なんでもありません!」
なんで見てるってわかったんだろう?! 侍女が給仕してくれた紅茶を手に取り、カップに視線を落とす。落ち着こう。異常事態で気が動転してるだけだ。いつもの自分、いつもの自分にもどらないと――。深呼吸をして紅茶を一口飲んだ私は、改めてフリードリヒ殿下の顔を見つめた。
「フリードリヒ殿下、『聖竜』とはなんなのですか?」
「この大陸に四頭いると言われている、巨大な古代竜だ。そのうちの一頭がセクレトス王国内に棲んでいる」
古代竜……じゃあその竜に会えば、次に私が何をするのかがわかるのか。
「殿下は、その竜を見たことがおありですか?」
「ある。かなり巨大だ。王宮より背が高いかもしれん。遠目に見ただけだがな」
竜は人の言葉を理解できるんだっけ。質問すれば答えてもらえるのかな。そうすれば、今の私がどうするべきか、道を示してくれるかもしれない。
「その竜に会えますか?」
フリードリヒ殿下がようやく私に視線を移し、瞳を覗き込んできた。
「……会えるが、会いたいのか」
「神様の言うとおりになるのは癪ですが、今は手掛かりがそれしかないと思うんです。婚姻同盟を維持するためにも、話を聞いてみる価値はあるんじゃないかと思います」
殿下は私を見つめて何か考え込んでいるようだった。そこに入り口から男性の声が響く。
「フリードリヒ殿下、お呼びですか!」
殿下がソファから立ち上がり、その顔がさらに遠ざかった気がした。なんだか心細くなった私の手が、思わずフリードリヒ殿下のシャツを掴む。驚いた様子の殿下がこちらに振り返り、私は気まずい視線にさらされていた。――いや、なんで掴んでるの、私は!
慌てて殿下のシャツから手を放し、うつむいて殿下に告げる。
「し、失礼しました!」
殿下は私に何も答えず、入り口の男性たちに告げる。
「ロルフ、オットー、おまえたちはこの部屋の警護に当たれ。俺の許可なく、夜天教会の人間を通すな。俺は父上たちの元に行ってくる。後は頼んだぞ」
殿下の足音が私から離れていく。その気配が部屋から消えてから、私は部屋の入り口に目を向けた。見知らぬ男性騎士が二名、部屋の入り口を守るように立っている。――殿下、行っちゃったのか。ため息をついた私に、カリンが語り掛けてくる。
「姫様……どうなさったのですか? らしくありませんよ?」
「私らしくない、か。そう、だよね。なんかちょっと調子がおかしくて。ショックなことがあって、動揺してるのかも……」
それから私は、侍女のカリンに洗礼の儀で起こったことを語り始めた。
****
セクレトス国王は会議室で、ツェルネ司祭長たち夜天教会の幹部と意見を交換していた。国王のそばには王妃とシュテファン王子が座っている。
「――王家としては、彼女を王家に迎え入れたい。彼女の実家を守るためにも、これは必須で、譲りがたい」
ツェルネ司祭長が困り顔で額を掻いていた。
「こちらも申し上げた通り、星の乙女の管理は夜天教会で行いたい。我が教会はそのように運営されてきました。星の乙女の婚姻も、認められた前例はありません」
シュテファン王子が微笑みながら告げる。
「先ほどから堂々巡りになっていますよ。それでは話が進みません。前例がないのであれば、前例を作ればいい。あなたがたの教義に、『星の乙女は純潔でなければならない』とあるのですか?」
ツェルネ司祭長が困惑したように眉をひそめた。
「そのような教義はありません。ですが神に仕える聖女が婚姻するなど、今まで聞いたこともない。これは、私の一存では決められませんな。夜天教会本部へ申し送りをして判断を仰ぎませんと」
国王が頷いて答える。
「では、答えが出るまでリディアの身分は我が王家預かりとする。アルティナウス第二王女でフリードリヒの婚約者――ここまでなら異存はないな?」
ツェルネ司祭長がゆっくりと頷いた。
「婚姻を控えていただけるなら、応じられる範囲だと思います。本部にもそう伝えておきましょう」
王妃が不安げにツェルネ司祭長に尋ねる。
「それで、答えが出るまでどのくらいかかるのかしら」
「急いで報せを走らせれば、一カ月以内に最初の返事は届くと思います。ですが本部でも意見が割れれば、何日かかるかは読めませんな」
その場の全員がため息をついた頃、会議室のドアがノックされ、フリードリヒ王子が入室した。
「父上、お話があります」
国王がフリードリヒ王子に振り返り尋ねる。
「なんだ、なにかあったのか」
「リディアが『聖竜』の名を口にしました。星竜神から『聖竜に会え』と伝えられたと。私はこれから、彼女を連れて聖竜に会いに行こうと思います」
シュテファン王子がニヤリと笑みを浮かべて告げる。
「もう日が落ちる。今から出かけるのはやめておきなさい。それに今夜は彼女を歓迎する夜会もある。出発は明日以降がいいんじゃないかな」
フリードリヒ王子が、不機嫌そうに眉をひそめた。
「夜会など必要でしょうか」
王妃が苦笑を浮かべながら答える。
「あなたとリディアの婚約を祝い、周囲に知らしめるためのものよ? それともあなた、彼女が他の誰かに奪われても構わないの?」
「そうは言っておりませんが」
国王が楽しげにフリードリヒ王子に告げる。
「ではおまえも参加しなさい。きちんとリディアをエスコートしてやるといい。昼間の騒ぎで、もう王宮内では噂になっている。正式に婚約者だと宣告する必要があるだろう」
フリードリヒ王子はしばらく目を伏せたあと、「わかりました」とだけ言い残し、会議室から立ち去った。その背中を見送った国王が、椅子に背中を預けて息をつく。
「あいつが夜会の参加に応じるとはな。これはいよいよ、リディアを手放すことが難しくなった」
ツェルネ司祭長が立ち上がり、国王に告げる。
「事情は把握いたしました。では急ぎ本部へ連絡の使者を出します。リディア様にご挨拶に伺っても大丈夫ですかな?」
シュテファン王子が笑みをこぼしながら答える。
「それはやめておいた方がいい。あの様子では、リディアの周囲に騎士を配置して守ってそうだ。面会に行っても会わせてはもらえないだろう」
ツェルネ司祭長も笑みをこぼして頷いた。
「そういうことであれば、リディア様にはよろしくお伝えください。我々もなるべく彼女の意に沿えるよう、尽力いたしますと」
国王たちが頷くと、ツェルネ司祭長たちも会議室を後にした。国王が立ち上がって告げる。
「我々も夜会の準備を始めるとしよう。災難続きだが、リディアをできる限り歓迎してやらねばな」
頷く王妃とシュテファン王子も立ち上がり、会議室から人がいなくなった。




