第8話 返品棄却
燭台の明かりだけが照らす大聖堂の中、来客たちのざわめきは収まることがなかった。ツェルネ司祭長たちは私にひざまずき、私はどうしたらいいのか途方に暮れていた。午前中、ツェルネ司祭長は『聖女の責任は重大』と言っていた。『身柄は夜天教会預かりになる』とも言っていたっけ。ん? 教会預かり? 私はあわててツェルネ司祭長の両肩に手を置いて揺さぶった。
「ツェルネ司祭長! それじゃあ私の婚姻はどうなるんですか?!」
顔を上げたツェルネ司祭長が、私の顔を見つめて答える。
「『星の乙女』に婚姻は認められません。これは夜天教会に伝わる習わしです。リディア様の身柄は我々夜天教会が管理することになり、今後は各地へ巡礼の旅に向かっていただくことになります」
――それは困る?! それじゃあ、婚姻同盟が不成立になっちゃう!
私は拳を固く握りしめてツェルネ司祭長に告げる。
「そのラネティアという名前、返品します! もう一度洗礼をやり直してください! 別の名前を私に付けてください!」
私の脳裏に、また神様の声が聞こえてくる。
『いや~だから無理なんだってば~。ひとまず君は“聖竜”のところに行って、次にすることを聞いておいて~』
「――ですから、お断りします! 神様かなんだか知りませんが、これ以上私の人生を滅茶苦茶にしないでください!」
『ごめんね~。頑張って~』
だんだんと薄れていく声に、私はもう一度声を張り上げる。
「返品させてください!」
『無理だよ~』
脳裏の声が途切れ、大聖堂にはうろたえた顔のツェルネ司祭長と興奮する私、そして動揺する来客たちだけが残された。貧乏くじばかりの人生だったけど、最後は『神様に奉仕する人生を歩め』? それはいくらなんでも、あんまりじゃない? 気が付くと、私の目からは涙がこぼれていた。ドレスの袖で乱暴に涙を拭い、ツェルネ司祭長に尋ねる。
「洗礼の儀を、もう一度やっていただけませんか」
困惑するツェルネ司祭長が、首をゆっくりと横に振った。
「一度授かった名前は、もう変化することはありません。あなたは確かに『星の乙女』です。それを覆すことは、おそらく星竜神様でもできますまい」
「そんな……」
足元が崩れるような錯覚を覚えた。まるで地面がなくなったかのような……? 本当に体が浮いてる?! 気が付くと、私はフリードリヒ殿下に抱き上げられていた。驚く私をよそに、フリードリヒ殿下がツェルネ司祭長に告げる。
「リディアは俺の妻となる女性だ。夜天教会には渡さん」
そう言うと、殿下は私を抱えたまま大聖堂から出ていってしまった。
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大聖堂に残されたツェルネ司祭長に、セクレトス国王が近づいていった。
「司祭長、これはどうするべきか答えよ」
立ち上がったツェルネ司祭長が、小さく息をついて頷いた。
「夜天教会の教義に従えば、リディア様には我々の管理下に入っていただきたい。しかし、リディア様はそれを嫌がっておいでだ。国王陛下、あなたはどうするべきだと考えますか」
国王はフリードリヒ王子が去っていった大聖堂入り口をみやって答える。
「フリードリヒがあのような行動に出るほどの女性、我が王家としても手放すことはできない。アルティナウスとの婚姻同盟の件もある。今は身柄を我が王家に預けてはもらえないか。どうするのが最善か、話し合うべきだと思う」
「……そうですな。百四十八年ぶりの『星の乙女』、彼女には星竜神様への真摯な祈りを捧げてもらわねばなりません。心が納得しないままでは、それは叶いますまい。なんとか彼女に納得していただける道を、我々で探しましょう」
「頼む。では後程、会合を開く――皆の者、洗礼の儀は終わりだ! 以後は各自の仕事に戻れ!」
国王が号令を発すると、困惑する貴族たちが頷き、大聖堂から続々と退出していく。人の流れをみやりながら、国王がぼんやりと考え込んでいると、そのそばにシュテファン王子が笑顔で近づいていった。
「父上、お聞きになりましたか? あのフリードリヒが見事な啖呵を切りましたよ」
「……シュテファンか。ああ、聞いていたとも。あのフリードリヒが、ああも執着する女性が現れるとはな。だが我が国も夜天教会と敵対する真似はできん。いったいどうしたらいいのか」
シュテファン王子はにこやかに答える。
「きっと大丈夫でしょう。リディアはこんなことでしおれてしまう女性ではありません。必ず道は開けます。私たちは、その背中を押す方法を探りましょう」
「そう、だな……うむ、そう信じよう」
頷き合った国王とシュテファン王子も、司祭長らと共に大聖堂を後にした。
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私はフリードリヒ殿下に抱きかかえられながら、部屋に向かって廊下を進んでいた。懐からハンカチを取り出して涙を拭う私に、殿下が声をかけてくる。
「大丈夫か」
私は笑顔を作って頷いた。
「ええ、大丈夫ですわ。でも、ありがとうございます。殿下にああ言って大聖堂から連れ出していただけて助かりました。あのままでは、夜天教会に身柄を預けることになっていたでしょう。フリードリヒ殿下には不本意な言葉を口にさせてしまって、本当に申し訳ありません」
フリードリヒ殿下がわずかに眉をひそめた。ん? 何か間違ったかな?
「……いや、問題ない。あとのことは俺や父上が何とかする。おまえは要らん心配などするな」
ん~、なんかごまかされた気がする。でも、『白い結婚』を言い出したのはフリードリヒ殿下だし。なのに公衆の面前であんな啖呵を切ってしまったら、子供を作らずに過ごすのは不自然だ。これからは夫婦生活を営むふりをするだけでも大変だろうし。どうやってごまかすつもりなんだろう? ――あ、そういえば!
「殿下、『聖竜』という言葉に心当たりはありませんか? 神様が『あとは聖竜に聞け』と言っていたんですが」
フリードリヒ殿下が私の顔をまじまじと見つめてきた……いや、距離が近い。こうしてみると整ってるんだよなー。切れ長の目にシュッと筋の通った鼻。精悍な顔つきで、これだけ近いとちょっと戸惑ってしまう。
「聖竜か。教えていない言葉を知っているということは、星竜神と会話した、ということでいいのか」
私は小さく頷いた。
「頭の中に声が聞こえました。なんだか軽薄な声で『ごめんね~』とか言ってましたけど。謝るくらいなら、最初から授けなければいいのに!」
まったく、神様ってのは無責任なのかなぁ?! ……ふと気が付くと、私は廊下にいる従者や兵士たちの視線を集めていた――あ。私、フリードリヒ殿下に抱え上げられっぱなし?! これは恥ずか死ぬ?!
「フリードリヒ殿下?! もう一人で歩けます! ですから、降ろしてください!」
だけど、殿下の足は歩みを止めてくれなかった。黙って私を抱え上げたまま、ずんずんと廊下を突き進んでいく。通り過ぎる兵士たちの目が、信じられないものでも見たかのように見開かれていた。……ここまで、ずっと見られてたんだろうか。恥ずかしくなって、思わず両手で顔を隠していた。
「……辱めるつもりはなかった。だが夜天教会の人間が接触するのを許すわけにはいかん。部屋まで我慢しろ」
そうは仰いますがねぇ?! これじゃあ『フリードリヒ殿下が私に入れ込んでる』みたいに噂されるんじゃないの?!
私はフリードリヒ殿下の広い胸に顔を隠しながら、必死に視線から逃れ続けていた。




