第3話 変な人
フリードリヒ殿下の睨みつけるような眼差しにさらされながら、私はハッと気が付いた――自己紹介しろって言われてたっけ!
微笑みを顔に貼り付け、カーテシーで告げる。
「リディア・フォン・アルティナウスですわ。お初にお目にかかります。お話はわかりましたが、なぜ殿下がここにいらっしゃるのかしら」
フリードリヒ殿下がソファから立ち上がって――背が高いな?! 私より頭が二つくらい高いぞ?!
「俺も長く王宮を空けていられない。おまえを連れて、このままセクレトスに帰る。今すぐ出立の準備をしろ」
――はぁ? 突然なにを言い出すの、この人!
「……殿下? 性急に過ぎますわ。まだ婚約が決まっただけなのでしょう?」
フリードリヒ殿下が鼻を鳴らして答える。
「父上の命令だ。『逃げられる前に確保しろ』とな。帰国して洗礼を受けたら、すぐに婚姻に移る」
洗礼? 私は小首を傾げて尋ねる。
「その『洗礼』とはなんですか? セクレトスの風習なのでしょうか」
フリードリヒ殿下が小さく息をついた。
「知らんのか。セクレトスでは十五歳で洗礼を受け、聖名を授けられる。それで成人の証とし、婚姻にも聖名が求められる――所詮は人質婚、肩肘張らずに気楽についてくればいい」
オブラートに包むってことを知らないのかなぁ、この人! もうちょっと言い方とかないのかな?! 私は微笑みを崩さないように努力しながら答える。
「女性の旅支度には時間がかかります。『はい、そうですか』で出発はできません。それに今から出発すれば、すぐに日が暮れます。明日一日は準備にいただけませんと、頷けませんわ」
私の微笑む視線とフリードリヒ殿下の睨み付ける視線がバチバチと火花を上げてるようだった。
「……そうか、では一日だけ待つ。出発は明後日の早朝、それで構わないか」
「ええ、構いませんわ――お父様、それでよろしくて?」
お父様が私たちを交互に見ながら頷いた。
「リディアが納得したなら、それでいいよ。殿下はいくら言っても言葉を翻さなかったのに、おまえの言葉は聞いていただけるのだな」
え? お父様も説得はしてくださってたの? 慌ててフリードリヒ殿下を見るけど、殿下は私から視線を外してソファに腰を下ろし、紅茶を口に含んでいた。
……よくわからない人だ。これから先、うまくやっていけるのかなぁ。
私は侍従に振り返って告げる。
「お客様よ、客室を用意して頂戴。失礼がないようにね」
侍従が頷いて部屋を辞去していった。それを見たお父様が、私に告げる。
「まずは二人で話してみなさい。私たちは着替えてくるよ」
そう言ってお父様とお母さまは、応接間から出ていった。私は空いたソファを見下ろしながら悩んでいた。
……この人と、何を話せと?
「どうした? 座らないのか」
フリードリヒ殿下の言葉にハッとして、ゆっくりとソファに腰を下ろす。給仕される紅茶を見つめている間も、フリードリヒ殿下はこちらに視線を向けようとしない。……興味がない、のかなぁ。私は思い切ってフリードリヒ殿下に尋ねる。
「殿下、このような話、あなたにこそ不満はなかったのですか?」
「俺に? いつかは妻を娶らねばならなかった身だ。それがたまたま今回だっただけの話。気にするようなことではない」
いや、自分の妻なんだから、もう少し気にしようよ……。
その整った顔つきを見てると、女性に騒がれそうではある。目が怖いし、しゃべり方もぶっきらぼうだけど。黙って立っていればごまかせそうなんだけどな。
「殿下はこれまで、縁談はなかったのですか?」
「三度あったが、すべて解約された。『婚約者として不適合』と言われてな。女とは面倒な生き物だな」
いや~、私も女なんですけど。本人の目の前で、そういうこと言わない方が。
私は笑顔を引きつらせながら尋ねる。
「殿下はおいくつなんですか? 私は十六歳です」
「……十八だ。おまえの二つ上だな」
……うわぁ?! この人、会話をする気がないのかなぁ?! 話が終わって続かない! え、これ、どうしたらいいの?
私は微笑みでごまかしながら、紅茶を口に運ぶ。一口飲んでから、フリードリヒ殿下に尋ねる。
「殿下にご兄弟はいらっしゃるの?」
フリードリヒ殿下の表情が、わずかに緩んだ気がした。
「兄上がいる。尊敬できる方だが、身体が弱くてな。兄上に負担をかけないためにも、俺は早く帰国せねばならん」
ふ~ん、尊敬してるんだなぁ。いいなぁ、そういう兄弟がいるのって。うちの兄姉と交換してもらいたい。
……話が続かない?! 沈黙が息苦しい!
そうか、そういう人か。これは婚約者、逃げるわ……この人が夫ねぇ……ふむ。こういうタイプならいっそ――。
「ねぇ殿下、私の人質婚の条件はご存じかしら」
庭を見ていたフリードリヒ殿下が、こちらを横目で睨み付けてくる。
「そんなことをおまえが知ってどうする」
「どうもこうも、我が国に関する大切なことですわ。たとえば婚姻同盟といえど、『同盟維持費』の取り決めはあるのでしょう? 私の身柄を国内に得たからって、それで同盟に頷くような国でもございませんでしょうし」
フリードリヒ殿下がフッと笑みをこぼし――笑った?!
「素直に『上納金』と言っても構わんぞ――相場より大幅に減額したらしい。よほど俺に妻を娶らせたいのだろうな、父上は。ほぼ戦費負担程度で済むはずだ」
となると、今の国庫でも払える範囲だなぁ。それならお父様もすぐに頷くはずだ。でも、私の婚姻生活を売りに出すとか、もうちょっと親の愛を感じたかった……。いや王族だから、覚悟はしてるけどさー。フォーテン公爵より条件はいいかもしれないけど、会話もままならない人も困りものだよ?
私がティーカップに視線を落としていると、フリードリヒ殿下がポツリと告げる。
「人質婚が成立するだけで充分だろう。俺に女は要らん。世継ぎは兄上が作られるはずだ。おまえはセクレトスに移り住んだ後は、好きに過ごせばいい」
これは……いわゆる『白い結婚』という奴なのかな。
私は視線を上げてフリードリヒ殿下の目を見つめた。
「殿下は本当にそれで構わないのですか? 私に子供を産めとは仰らないのですか?」
フリードリヒ殿下が小さくため息をついた。
「俺は女の扱いを知らん。おまえのように華奢な女を相手にして、壊してしまえば元も子もない。父上には婚姻の事実だけで満足してもらうさ。おまえも子は諦めろ。婚外子は、さすがに王家としても認められんからな」
む?! それは聞き捨てならないぞ!
「失礼ですが殿下、あなたは私が夫以外の男と通じるような女だとお思いなのですか?」
「だが俺と婚姻する限り、おまえに子をもうける機会がない。それではおまえも寂しいだろう。子をもうけないなら、隠れて他の男と通じるくらいは目をつぶる」
「殿下……それも失礼な言葉ですよ? アルティナウスの王女として、婚姻する以上は夫に操を捧げます。殿下が私を女として見なくても、そこに違いはありません」
フリードリヒ殿下が眉をひそめ、私の目を睨み付けてきた。
「……変な女だな、おまえは」
「あなたこそ、変な男性ですわね」
ニコリと微笑んだ私の顔を、フリードリヒ殿下はしばらく見つめているようだった。……お父様たち、まだ戻ってこないのかなぁ。紅茶でごまかすのも限界なんだけど。
それから私たちは、言葉のない気まずい時間を過ごしていった。




