第2話 不遇な王女
雨季が明けた初夏、眩しい日差しが部屋の中に差し込んでいた。そんな中で私は書類の山と格闘を続けていた。
南部の収穫は例年通り。流通も問題なし。この分なら、今年の税収は期待できそうだ。東部は雨が少なかったせいか、春季の収穫が思わしくない、か。この分だと減税をお父様に提案しないといけないかなぁ――む、報告書? 隣国の軍事状況か。国境付近に兵力を集めてる気配。食料の備蓄も進めてる様子がある。でも私、軍の統制権は持ってないしなぁ。王国軍は動かせないから、国境付近の貴族たちに派兵してもらう『お願い』をしないと。
そうやって書類に目を通しては署名をして、必要な手紙をしたためたり、お父様預かりの案件だけ書類を分けていく。書類の山が半分片付いたところで、私はペンを置いて大きく伸びをした。
「ん~! あと半分ね!」
侍女が机に黙って置いてくれた冷たいお水を口に含み、疲れと共に飲み込んだ。ふぅ、とため息をついて残った書類の山に手を付ける。そこで私の眉がひそめられた。
「……なんでお兄様宛ての請求書が来てるのかしら。それも女物のドレスや宝飾品じゃない」
さてはお兄様、また新しい女性に貢いでるわね? 以前の女性には振られたのかしら。懲りない人ね、ほんと。さらにお姉様宛ての請求書も出てきた。こちらはご自分用の新しいドレスか。社交シーズン前だというのに、なんでドレスを仕立てるのかな。男か。また新しい男なのか。ため息をついて、壁に控える侍従に尋ねる。
「お兄様とお姉様はどちらに?」
「マンフレート殿下は午前から出かけておられます。行き先は伺っておりません。お戻りは一週間後になられるそうです」
王都内じゃなく、離れた領地の貴族か。王都の貴族令嬢には、だいたい振られたものね、お兄様。
「お姉様はどうなさってるの?」
「ローザ殿下は……その、離宮にこもっておいでです」
侍従の困り顔を見て、私は深いため息をついた。お姉様の男好きは王宮内でも有名で、目ぼしい騎士は軒並み唾を付けられたという噂すらある。あの人、まだ続けるつもりかな。もう二十四歳だというのに結婚も決まってないし。私は思わず羽ペンを握りしめて声を上げる。
「お兄様もお姉様も! 少しは仕事を手伝っていただけないのかしら!」
侍従が苦笑を浮かべながら答える。
「その、申し上げにくいのですが……両殿下とも『リディア殿下がいれば大丈夫』と仰っておりまして……」
「私は小間使いではなくってよ?! お父様が不在の時期ぐらい、仕事を手伝おうとは思わないのかしら!」
思わないのだろうなぁ、あの二人は。二十歳を過ぎても遊び惚けるくらいだし。私は気分を落ち着けるためにコップの水を飲み干し、深呼吸をした。そのまま請求書に『不可』と書き、商品返品の手続きを進めるよう指示を出していく。私が書いていく書類に目を止めた侍従が、困惑した声で尋ねてくる。
「……よろしいので?」
「構わないわ。買ったものは処分させなさい。これ以上、無駄なお金を国庫から出すわけにはいかないの」
指示書を書き終わった私の前に、文官が新しい書類を抱えて部屋に入ってくる。
「リディア殿下、こちらもお願いいたします」
「……そちらに置いて頂戴」
片付けたはずの書類が元に戻った錯覚を受けながら、私は黙って署名を続けていった。
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お昼も部屋で軽食を取り、書類と格闘すること数時間。夕方になる前にはなんとか書類が片付いた。私は机に突っ伏しながら力なくつぶやく。
「よ~やく終わったわ~……」
「お疲れ様です、リディア殿下。ところで……その、申し上げにくいのですが」
私は顔を上げて侍従の顔を見る。
「何かしら? まだ書類があるの?」
「いえ、先ほどからフォーテン公爵がお待ちです。『殿下は公務中なのでお引き取りを』とお伝えしているのですが、『待つ』と仰っておりまして……」
私は眉をひそめて壁時計に目を向ける。
「何時からお待ちなの?」
「一時間ほど前からです」
うげ、しつこい男だなぁ、あの人も。とはいえ私の婚約者。仕事が片付いた以上、相手をしないわけにもいかない。私は気が進まないのを押して椅子から立ち上がり、侍従に告げる。
「ではフォーテン公爵に会いに行きます。案内して」
頷いて歩き出した侍従の背中を、私は重たい気持ちで追いかけた。
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応接間に入ると、ソファで待っていた中年男性――フォーテン公爵が勢いよく立ち上がった。
「おお、リディア殿下! お待ちしておりましたぞ!」
そのままの勢いで近づいてくるフォーテン公爵を、私は引きつった笑みで迎えた。
「よくいらっしゃいました、フォーテン公爵。それで今日はなんの御用かしら」
「用事など、我が婚約者の顔を見に来た、では不満ですかな?」
ウィンクを飛ばされ、背中におぞけが走る――のを悟られないように我慢した。彼が伸ばした手が私の手を掴もうとするのを、侍従の背中に隠れてやり過ごす。フォーテン公爵に睨まれた侍従は、慌てて私の前から立ち退いた――裏切り者?!
公爵が私の手を取り、語り掛けてくる。
「リディア殿下、我々の婚姻はいつになりますか。婚約してから早一年、そろそろよろしいのでは?」
私は全身が総毛立つのを我慢しながら、必死に微笑みを貼り付ける。
「今は公務で手一杯なのです。公爵にはまだお待ちいただきたいのですが」
おっさん、もといフォーテン公爵が、私の手を堪能するように撫でまわしてくる。
「それではあなたの若さが損なわれてしまいます。早く我が公爵家に嫁ぎ、子を作りませんか。我が公爵家の跡継ぎを、ぜひあなたに産んでいただきたい」
逃げ出したい! 今すぐ、この場から!
私は必死に張り付けた微笑みを維持しながら、フォーテン公爵に答える。
「そう仰らないで? 今は国の大事な時ですもの。お兄様やお姉様が手伝ってくださるようになれば、私が王家を離れることもできるのですけれど……」
フォーテン公爵が眉をひそめて息をついた。
「まだ遊んでおられるのですか、あの方々は。私からも何度も生活を改めるよう具申しているのですがねぇ」
そういうあんたも! 若い女性に手を出す癖をなんとかしなさい! 噂はきっちり耳に届いてるんだからね!
背後から侍従が近づいてきて私に告げる。
「リディア殿下、陛下がお戻りになられました。殿下をお呼びです」
「――お父様が?!」
私が振り返ると、侍従が微笑んで頷いた。今度は私がフォーテン公爵に微笑んで告げる。
「ということですので、私はこれで失礼いたしますわね? お父様には報告しなければならないことがありますの。まさか、公務の邪魔をするなどとは……仰いませんわよね?」
フォーテン公爵が名残り惜しげに手を放し、私に答える。
「そういうことであれば、本日は引き下がりましょう。では明日、王都散策などいかがですか? たまには婚約者同士、共通の時間を過ごしましょう」
「……考えておきますわ。では失礼しますわね」
私はそのまま公爵に会釈すると、急いで応接間を後にした。
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廊下で侍女たちから手を拭き取ってもらいながら、横を歩く侍従に尋ねる。
「お父様のお帰りはもう少しあとではなかったかしら。少し早くなくて?」
「それは私にも……ですが、お客様をお連れのようです」
お客? 誰だろう? お父様は隣国セクレトス王国へ行っていたはず。寄り道してる時間はないし……同盟は無事に結べたのかなぁ。役人でも連れてきた? でも理由が分からない。
考えてるうちにお父様がいるらしい応接間に辿り着いた。中にいるのはお父様とお母様……と、若い男性?
「失礼します、リディアです」
部屋に入ると、お父様が立ち上がって私を迎えた。
「おお、リディア! 待っていたよ。私が留守の間、異変はなかったかい?」
私は苦笑を浮かべて答える。
「グルセウス王国の動きが活発ですわね。防衛線を築かないと、危ないかもしれません。国内にこれといった異常はありませんでしたわ――それで、そちらは?」
私が視線で尋ねると、お父様が若い男性に振り返った。黒ずくめの鎧を着込んだ男性は、私を睨み付けるように見上げたあと、ゆっくりと立ち上がった――なんか、怖い人だな?!
お父様が私を男性の前に導いて告げる。
「こちらはフリードリヒ殿下、セクレトスの第二王子だ。今回は交渉の結果、婚姻同盟ということで話がついた。リディア、おまえの結婚相手だよ、ご挨拶を」
……今、なんと?
「お父様? 仰っている意味がよくわかりませんわ。私には婚約者がおります。お相手がいらっしゃらないお姉様が適任では?」
お父様が苦笑を浮かべて答える。
「それがなぁ。さすがにローザの噂は、セクレトスにも届いているらしくてな。『そんな王女は要らん』と、一刀両断で断られた。代わりにお前を要求されてな。何度も交渉したんだが、他の条件では頷いてもらえなくてな。仕方なく応じることにした」
若い男性が良く響くバリトンボイスで告げる。
「……フリードリヒだ。そういう運びになった。不満だろうが両国のためだと思い、諦めろ」
怖いっ?! 声が付くと、この人印象よりずっと怖いぞ?! え?! 私の夫、この人になるの?!
「――お父様?! フォーテン公爵はどうなさるのですか?! あの方は我が王国軍の要ですわよ?! 私との婚約を破談にして、黙ってらっしゃる方ではありませんわ!」
「う~ん、公爵もセクレトス王国に歯向かう力はないし、納得してもらうしかないなぁ」
お父様ののんきな声を聞きながら、私は絶望していた。
脂ぎったおじさんよりはマシだけど! 若くても不愛想で怖い人が夫なのも嫌なんですがっ?! しかも婚姻同盟?! 同盟を締結するために、この身を売られたの?! 体裁を取り繕ってるけど、国力差から言えば人質婚ってことじゃないっ! いくら隣国の防衛力が欲しいからって、娘を売る?!
私は唖然としながら、フリードリヒ殿下が見つめてくる顔を見つめ返していた。




