第19話 偽装
次の日、私はフリードリヒ殿下と二人でゼクレゾン侯爵の家に向かった――もちろん、首にはティルニアを巻いて、だけど。陽の光を浴びながら風を受けていると、ティルニアの毛が顔を撫でてくすぐったい。
「ちょっとティルニア、くすぐったいよ」
『そうですか? でも脱皮をするまで毛は抜けません! 我慢してください!』
あー、竜って脱皮するのか。トカゲみたいだしなー。そこは似てるのかな。私はフリードリヒ殿下を見上げながら尋ねる。
「侯爵にはなんて説明なさるんですか?」
「事実を告げる。聖竜が去ったことと、あの地に妖魔が封じられてることをだ」
私はびっくりして目を見開いた。
「妖魔のことも伝えるんですか? 王家の秘密じゃなかったんですか?」
「あれほどの脅威がそばにあるなら、領主には知る権利がある」
そっかー、まぁフリードリヒ殿下がそう判断するなら、大丈夫なのかな。国王陛下の決裁、なくてもいいのかなぁ? う~ん、この国のパワーバランスも、まだよく掴めない。早く覚えておかないとなー。
私たちを乗せた飛竜は、風を切りながら遠くに見える大きな邸宅に向けて空を駆けていった。
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邸宅の中庭に飛竜が降り立つ。中庭では金髪を風になびかせた、優しい顔の男性が私たちを待っているようだった。フリードリヒ殿下の手を借りて飛竜から降りると、男性が私たちに話しかけてくる。
「ご無沙汰ですね、フリードリヒ殿下。今日は何の用ですか?」
「ゼクレゾン侯爵、竜峰山に異変があった。その報告だ」
金髪の男性――ゼクレゾン侯爵が顎に手を置いた。
「すると……昨日あった『聖竜が空を飛んでいくのを見た』という報告と関係が?」
フリードリヒ殿下が小さく頷いた。
「そのことを伝えたい。部屋へ案内してくれ」
ゼクレゾン侯爵も微笑んで頷き、視線を私に移した。
「そちらの女性はどなたですか?」
「……我が王家が迎える、俺の妻だ」
私の首もとでティルニアが小さく息をつき、ゼクレゾン侯爵が目を見開いた。
「殿下に、婚約者ですか。それはめでたい……ですが、となるとどこのご令嬢ですか?」
私はゼクレゾン侯爵に微笑んで答える。
「アルティナウス第二王女、リディア・ラネティア・フォン・アルティナウスです。まだ婚約者の身ですが、よろしくお願いいたしますわ」
ゼクレゾン侯爵が絶句していた。その視線が私とフリードリヒ殿下を往復していく。ティルニアがため息をついて口を開いた。
『星の乙女! それでは説明になっていません! きちんと名乗ってください!』
え、いや貴族の身分は名乗って……ああ、『聖女として名乗れ』って話? うーん、しょうがないなぁ。私は苦笑を浮かべて侯爵に告げる。
「先日、洗礼の儀で『星の乙女』を授かりました。殿下と婚姻できるかは、夜天教会本部で協議中と伺っています」
ゼクレゾン侯爵が私をしばらく見つめたあと、軽い咳払いをしてから微笑んだ。
「なるほど、あらましはだいたい把握しました。星の乙女にお目にかかれるとは光栄です。私はアギット・レニース・フォン・ゼクレゾン、この地を治める侯爵を務めています。フリードリヒ殿下とは、親しくさせていただいてますよ」
ゼクレゾン侯爵に握手を求められ、私は微笑んでその手を握り返した。首もとでティルニアが侯爵に告げる。
『人間、星の乙女に馴れ馴れしく触るなど、分を弁えなさい』
侯爵の視線が、今度はティルニアに注がれた。
「……さきほどから聞こえる声は、もしかしてその毛皮から?」
フリードリヒ殿下が小さく頷いて答える。
「聖竜の娘、竜の幼体だ」
ゼクレゾン侯爵が眉間にしわを寄せてティルニアを凝視し始めた。顔を近づけた侯爵に、ティルニアが威嚇するように牙を向ける。
『失礼ですよ、人間』
「……驚いた。よく捕獲できましたね」
私は苦笑を浮かべながら答える。
「捕獲というか、お目付け役というか、彼女は聖竜の代わりに私を助けてくれる存在です」
ゼクレゾン侯爵が真面目な顔で頷いて答える。
「わかりました。細かい話は部屋でしましょう。どうぞこちらへ」
踵を返して屋敷に向かうゼクレゾン侯爵の背中を、私とフリードリヒ殿下が追いかけた。
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紅茶を給仕した侍女たちが部屋から出ていった。私たち三人と一匹だけになった部屋で、ゼクレゾン侯爵がため息をつく。
「フリードリヒ殿下が聖竜の件だけでここを訪れるとは思えません。何がありました?」
殿下が頷いて話を切り出す。
「竜峰山で聖竜に会い、そこで星竜神の封印結界に案内された。そこには『力ある妖魔』が大勢封印されているという話だ。この件を侯爵の耳には入れておこうと思ってな」
ゼクレゾン侯爵が手を額に当てて天井を仰いだ。しばらく考え込んだ後、姿勢を戻して殿下に真顔で尋ねる。
「……どこまで信用できる情報ですか? 妖魔の戦力は?」
「外に出ていた伯爵級と呼ばれる妖魔は、俺たちが滅ぼした。一匹で竜峰山をまるごと吹き飛ばす力が本来はあるそうだ。それをティルニアは『雑魚だ』と言った。その程度の戦力が、あの地に眠っている」
侯爵の視線がティルニアに注がれる。
「山を丸ごと吹き飛ばす妖魔が、雑魚ですか。となると、この地の防衛を強固にしなければなりませんね。その妖魔を討伐する算段はつきますか?」
ティルニアが私の首もとでため息をついて答える。
『並の人間ごときでは、何万人揃えても勝ち目はありません。愚かなことを考えず、結界を維持することのみ考えなさい』
ゼクレゾン侯爵が気圧されるように私から顔を遠ざけた――さては、ティルニアが睨んでるな?
「こーら、ティルニア。侯爵を威嚇してどうするの」
『嫌いな人間に顔を近づけられたので、つい』
私には首に抱き着いてるのに?! 極端な子だなぁ。ゼクレゾン侯爵は軽い咳払いをしてから、フリードリヒ殿下に尋ねる。
「聖竜が去った理由は?」
「それはティルニアに聞いてほしい。俺にも詳しくはわからん」
ゼクレゾン侯爵の視線がこちらに向けられると、ティルニアが疲れたように答える。
『人間が知ることではありません。あなた方は戦争を起こさないように努めなさい。この地が戦火に見舞われれば、その分だけ結界が弱まります。自分たちの寿命を削りたくなければ、戦いを回避する方法に死力を尽くしなさい』
あー、妖魔って血の匂いが好きだって話だもんねー。戦場で見かけるとも聞いたし。侯爵がティルニアを見つめながら私たちに告げる。
「おおよそ理解しました。ですがひとつよろしいですか」
フリードリヒ殿下が短く「なんだ?」と答えた。ゼクレゾン侯爵はティルニアに視線を注ぎながら答える。
「竜の幼体であるというティルニアのことは、極力伏せておいた方がいいでしょう。『人語を話す犬』と思われるのも巧くない。この竜の正体を、なんとか隠せませんか」
ふむ、『竜の幼体』であることを隠せばいいのかな。殿下も『聞いたことがない』って言ってたしなー。それだけ貴重な情報ってことかな。ティルニアが私の首元から離れ、空に浮いて光出した。女の子の姿になったティルニアが、冷たい眼差しをゼクレゾン侯爵に向けて告げる。
「これで満足ですか、人間」
「え、ええ……驚いたな。竜は人間に変身できるのか」
ティルニアは不機嫌そうに私の横に座り、腕に絡みついてきた……と、同時に鼻歌を歌い始めた。不機嫌なのかご機嫌なのか、はっきりしてほしい。ゼクレゾン侯爵も、苦笑を浮かべて紅茶を口に含んでいた。
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昼食に誘ってきたゼクレゾン侯爵に断りを入れ、私たちは砦に戻っていた。人間の姿になったティルニアは、私が前に抱えている。
「ねぇティルニア、これで本当に落ちないの?」
「問題ありません! 私はこの姿でも空を飛べますから!」
そっかー、なら心配いらな……いや、膝丈ワンピースで空を飛ぶのは、問題が多いぞ?
「ティルニア、その姿で空を飛ぶのは、緊急事態だけにしようね?」
「星の乙女がそう仰るなら、そうします!」
私が相手だと、素直でいい子なんだけどなー。私は前からティルニア、背中からフリードリヒ殿下の体温を感じながら、空の旅を楽しんだ。
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