第14話 竜峰山
「姫様、起きてください」
カリンの声で私の目が覚める。ベッドの中で伸びをしてから起き上がり、部屋の中を見渡す。昨晩の騒ぎが嘘のように平和な朝がそこにはあった。
「……夢だったのかしら」
そうだよねぇ、あのフリードリヒ殿下が大爆笑するなんて、あるわけないし。そんなことを思っていたら、カリンが私の髪を梳きながら答える。
「夢だったらよかったんですけどね。残念ながらフリードリヒ殿下の大爆笑は私も覚えております。あの方、あんな笑い方もなさるんですね」
夢じゃないのか……私、なんであんなに笑われたんだろう? 身支度を整えて部屋を出ると廊下ではフリードリヒ殿下が壁に背中を預けて立っていた。私の顔を見たフリードリヒ殿下が真顔で告げる。
「朝食を食べたら出発する。支度をしておけ」
「ええ、わかっています。それより殿下、昨日の妖魔のことですけど……」
フリードリヒ殿下が私を手で制した。
「……それはここで口にするな」
ふむ、町中で口にしていいことじゃないと。何か秘密があるのかな? 私はカリンを伴って、殿下と一緒に一階の食堂へ降りていった。
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朝食のパンとスープを口にしながら、フリードリヒ殿下に尋ねる。
「ここから聖竜のところまで、どのくらいかかるのですか?」
「半日と少しだ。夜までにはたどり着く。聖竜から話を聞いたら、近くの砦に宿泊して王都に戻る」
うわー、忙しいなぁ。まぁ殿下が王都を空けると、それだけシュテファン殿下に政務が回ってきちゃうからなぁ。早く戻りたい気持ちはわかるんだけど。もう少し私との旅を楽しんでもいいんじゃないかなぁ。私がフリードリヒ殿下の目を見つめていると、殿下はスッと私から視線を外して告げる。
「……なんだ」
「いえ、昨晩大笑いした殿下と同一人物とは思えませんでしたので」
「……忘れろ」
「ええ、覚えておきますわね」
フリードリヒ殿下は小さく息をつくと、バターを塗ったパンを口に運んでごまかしていた。ご自分でも失態だとわかってるのかな? まったく、淑女を見て大爆笑するとか、失礼しちゃうよね。そんなに変なこと、言ったかなぁ?
朝食を食べ終わるとすぐに荷物をまとめ、私たちは町の外で待機していた竜騎士たちと合流し、飛竜に乗り込んだ。飛竜が浮き上がるたびにカリンや従者たちから悲鳴が上がる。そんなに怖いのかなぁ? 飛竜は朝もやを切り開くように空高く舞い上がり、まっすぐ北東に向けて進み始めた。風を受けながら、フリードリヒ殿下の顔を見上げて尋ねる。
「ここならよろしくて? 妖魔のこと、教えていただけないかしら」
フリードリヒ殿下は小さく息をついて私に答える。
「俺にも詳しいことはわからん。血の匂いがしない場所になぜ現れたのかも。だがあれは妖魔だ。それは間違いない」
「妖魔は剣で退治できないのですか?」
「物理攻撃はほとんど効果がない。だが剣で倒せたという報告もある。何らかの方法でこちらの攻撃を無効化しているのかもしれん。夜天教会本部の高位司祭なら、何かを知ってるかもしれん」
セクレトス王家でも、よくわかってないのか。妖魔かぁ。地上に封印されてるって話じゃなかったんだっけ?
「妖魔はよく見かけるのですか? なぜ封印されてないんでしょうか」
「そうめったに見ることはない。奴らも多勢に無勢なら、逃げることが多い。封印されていると伝えられる妖魔が現れる理由も、俺にはわからん」
ま、この辺は聖竜に聞けばいいか。殿下が私を見下ろして尋ねてくる。
「リディア、おまえは恐ろしくはなかったのか」
「ええ、怖くはありませんでしたわ。私が睨むと相手の動きも鈍るようでしたし、睨み付けて動きを止めておりました。寝ていれば危なかったでしょうけれど、幸い目を覚ましましたし」
殿下がしばらく私を見つめて、小さく息をついた。
「おまえが無事なら、それでいい」
そう言ってフリードリヒ殿下は、前を向いて手綱を操っていた。……変な女って思われてるんだろうなぁ。もうちょっと可愛らしく『こわかったです!』とか演技した方が良かった? でもそんなの、私らしくないしなぁ。んー、どうやったら可愛い女として見てもらえるのかな。私は思案しながら、殿下に体重を預けて戦略を練っていった。
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お昼を過ぎると、遠くに大きな山が見え始めた。まだ遠くにあるけど、山々が連なる山脈だ。
「殿下、あれが竜峰山ですか?」
「そうだ。思ったより早く着いたな」
ぐんぐんと近づいてくる山影――その一番大きな山の中腹に、異物を見つけた。背中に羽を生やした真っ白なトカゲが、山を取り巻くようにして寝そべっている。……いや、大きいでしょ。どんだけ離れてると思ってるの。なんでここから姿がわかるの。え、下手な町より大きくない?
「殿下、あれって――」
「あれが聖竜だ。危険はないはずだが、気を付けておけ」
あー、やっぱりそうなのか。飛竜が山に近づいていくと、聖竜は首をもたげてこちらを見つめているようだった。あの距離からこっちが見えるの? だって、こっちは小さいよ? 竜って目がいいんだなぁ。私たちを乗せた飛竜は、まっすぐ聖竜の頭がある場所にめがけて滑空していった。
飛竜が山の中腹にふわりと着地する。王宮くらい大きな聖竜は、じっとこちらを見つめてきていた。カリンたちから悲鳴のような声が聞こえてくる。そりゃまぁ、こんだけ大きければ怖いよね。でも目を見ると、とてもやさしい眼差しを私に向けてきてる。悪い竜じゃないみたい。フリードリヒ殿下の手を借りて飛竜から降りると、殿下が私の前を歩いて聖竜に近づいていく。
「聖竜! 星の乙女になんの用だ!」
聖竜の視線がフリードリヒ殿下に移り、急に険しくなった――おや? 人によって態度を変える竜なのかな? 山を震わせるような低い声が辺りに響き渡る。
『セクレトスの王子よ、貴様は黙っていろ。私は星の乙女に用がある』
うーん、おなかに響くような低音がくすぐったい。私は小さく手を挙げて聖竜に尋ねる。
「ではお伺いしますわ。私になんのご用なのかしら。なぜ星竜神は『あなたに会え』と言ったのか、ご存じ?」
聖竜の視線が、再び私に向けられ――あ、目が蕩けた。わかりやすい竜だなぁ。
『星の乙女、よく来たな。歓迎しよう。おまえに使命を伝えること、それが今の私の役目だ』
「使命とは何ですか? 夜天教会が言うように、各地を巡礼しろと仰るの?」
『そう命じたいところだが、今のおまえが巡礼をしても意味がない。封印の強化には星竜神様への信仰心が求められる。おまえは星竜神様を、よく思っていないからな』
いや、そりゃそうでしょ。いきなり特大の貧乏くじを押し付けてくる神様を信仰しろって言われても、無理がある。私は元々、聖神様を信仰してきた人間だし。聖竜が地面を揺らすような声で笑った。
『そうふてくされるな、星の乙女。おまえには望みがあるはずだ。言ってみるがいい』
望み、望みねぇ……。私は聖竜の目を見つめて答える。
「聖女の名前を、神様に返品したいのですが。なぜ私が聖女に任命されたのか、それもわかりません。私では聖女なんて務まらないと思いますわ」
聖竜の目が楽しそうに細められた。
『おまえは“竜に愛されし者”。星の乙女は、その中から選ばれる。今の時代で、最も竜に愛された人間、それがおまえだ。他の人間では代わりにならん』
竜に愛される? どういう意味だろう? 私は小首を傾げながら聖竜に尋ねる。
「愛されるとは、どういうことでしょうか」
『そのままの意味だよ、星の乙女。おまえは生まれつき、竜に愛される体質をしている。そういう運命の下に生まれた人間だ。そしておまえを愛する竜の中に、星竜神様も含まれる。おまえは神に愛されし人間、というわけだ』
「愛する人間に貧乏くじを押し付けるのが、神様のやることですか!」
再び地面を揺らすような笑い声が辺りに響く。
『星の乙女が務めを果たさなければ、大陸に混乱が訪れる。平和を望むなら、おまえは務めを果たさなければならない』
私は聖竜を睨み付けながら答える。
「そのために、個人の幸福を捨てろと仰るの?!」
『そうは言っていない。おまえの幸福を否定せずに済む道も、ちゃんとある』
え? あるの? 私が幸福になる道が?
「……どうしろと仰るの?」
『星の乙女、おまえには試練が必要だ。それに耐えられれば、おまえはひとときの幸福を手に入れられる。だが幸福な人生を手に入れたければ、やはり長く険しい試練を潜り抜けねばならん』
「……試練とは、なにをすればよろしくて?」
聖竜は私を見定めるように見つめてきた。やがて低く轟く声で答える。
『この地に眠る妖魔を退治してみるがいい。それができれば、私が便宜を図ろう。それにより、おまえはそこの王子と結婚することも可能になる――やる気はあるか?』
私は迷うことなく頷いた。聖竜が楽しげに笑みを浮かべ――竜って笑うの?!
『よかろう。では案内役を付ける――ティルニア、出ておいで』
聖竜の背中から、何か小さいものがふよふよとこちらに向かってきた。あれは……空を飛ぶ、犬? 毛に覆われた空飛ぶ犬が、私たちの目の前で静止した。目を輝かせたその白い犬が、元気な声で告げる。
『私はティルニア! 星の乙女! あなたを案内します!』
フリードリヒ殿下が驚いたような声を上げる。
「馬鹿な……これは、竜種の子供、なのか」
私はフリードリヒ殿下に振り向いて尋ねる。
「竜の子供って、珍しいのですか?」
殿下はティルニアを見つめたまま頷いた。
「今まで報告例はない。竜種の生態は、実はよくわかっていない」
へー、不思議な生き物なんだな。私もティルニアに視線を戻して尋ねる。
「あなた、男の子? 女の子?」
『見てわかりませんか? 立派な雌ですよ!』
いやー、見てわかったら苦労はしないんだけどねー……。そうか、女の子か。
「じゃあティルニア、案内して頂戴。その試練とやらに」
『はい! わかりました!』
元気に私の頭の周りを飛び回るティルニアを見ながら、私は『これで大丈夫かなぁ?』という不安に襲われていた。




