第6話「調律」
翌朝。
ファクターズの面々は、いつものように食堂で朝食を囲んでいた。
和やかな空気の中、音は昨日の出来事——牧とのやり取りを、少し興奮気味に語っていた。
話を聞き終えた3人は、揃って目を見開く。
「たしかに……!言われてみればそうだ!全然思いつかなかった……!」
閃は、完全に盲点を突かれたという顔で額に手を当てた。
「既存のスキルの発展系なら、イメージも掴みやすいしな!」
烈も納得したように、明るく頷く。
「……風のエーテルは、癒しと安らぎを司る属性。相性もいい」
怜も静かに言葉を添えた。
「でしょ!?それに、烈くんの言う通り……もうイメージも掴めそうなの!」
音は思わず身を乗り出す。
そのまっすぐな熱に、3人の表情も自然と引き締まっていった。
「よしっ!他のことは俺たちに任せて、音はトレーニングに集中して!」
閃が力強く言う。
「ああ!困ったことがあったらすぐ言えよ。何でも協力するぜ!」
烈も頼もしく続ける。
怜は穏やかに微笑みながら、静かに頷いた。
「ありがとう、みんな……!そうさせてもらうねっ!」
音は満面の笑みで応える。
「新スキル!……え、えーっと……」
勢いよく言ったものの、ふと音は言葉に詰まった。
「な、なんかいい名前ないかな……?」
少し照れたように3人を見る。
そのとき——
「……“調律”」
怜がぽつりと呟いた。
「え?」
「《調律のウィンド》……なんて、どう?」
調律——乱れた音を整え、あるべき響きへ導く行為。
その言葉は、今の音と重なっていた。
「すごくいい名前だよ、怜!!」
音はぱっと顔を輝かせる。
怜は小さく笑った。
「新スキル、《調律のウィンド》に決定!」
閃が明るく言い切る。
その言葉とともに、音の中で新しい力の輪郭が、よりはっきりと形になり始めていた。
◆
昼下がり。
オルフェの中庭にあるベンチには、トーマスと黒須の姿があった。
トーマスから手渡されたタブレットを、黒須は無言で見つめている。
画面に映し出されているのは——ファイの戦闘記録だった。
やがて映像が終わると、黒須は何も言わずにタブレットを返し、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
ゆっくりと煙を吐き出しながら、空を仰ぐ。
「……たしかに、俺が設計したやつだな」
淡々とした声だった。
「博士に設計を依頼されたのは、どれくらい前だった?」
トーマスが静かに問う。
「半年以上前だったかな……ちょうどイシュタールの連中が出てきた頃だ」
煙をくゆらせながら、黒須は思い返すように言った。
「なるほど……だとすると、ファイが完成したのは、そう昔の話じゃないな……」
トーマスは小さく頷く。
「エドワードさんに頼まれて、大型EDの基礎設計をな……」
「ま、俺は開発屋だ。依頼されたらやるだけだが」
どこか投げるような口調。
「AからDまで、全部のプランを渡した。それが……まさか、こんな形で使われるとはな」
自嘲気味に笑い、再び煙を吐き出す。
「博士……この件で、あなたが罪に問われることはない。安心してほしい」
トーマスははっきりと言った。
「……別に心配なんかしてねぇよ」
黒須は肩をすくめる。
「もしそうなったら、その時はその時だ」
遠くを見つめるその目には、諦めとも覚悟ともつかない色があった。
トーマスもまた、ポーチからタバコを取り出し、火をつける。
久しく遠ざけていたはずのそれを、自然な動作で口に運ぶ。
その様子を横目で見た黒須が、ぽつりと呟いた。
「……タバコ、また始めたのか?」
かつてトーマスは、クレアの誕生を機にそれをやめていた。
「……今は、吸わないとやってられないよ」
トーマスは苦笑する。
「ま、無理もねぇわな……」
黒須はそれ以上何も言わず、ただ静かに煙を吐き出した。
◆
深夜。
人気のない研究室で、クレアはひとりデスクに向かっていた。
最低限の照明だけが灯る室内は、薄暗く、静まり返っている。
キーボードを叩く音と、タブレットを操作する微かな音だけが響いていた。
エドワードの脱退——それに伴う父・トーマスの総帥代理就任。
そして、連鎖するように変わっていく状況の数々。
クレア自身もまた、松永の主任としての業務を引き継ぎ、その渦中にいた。
気づけばここ数日、父の姿を見ていない。
家に帰る時間すらないほどの激務に追われているのだろう。
心配はしている。
けれど、それを口にすることはできなかった。
ただでさえ大変な父に、これ以上負担をかけたくない。
(……今こそ、目の前の任務に集中する)
トーマスの言葉が、胸の奥で繰り返される。
クレアは、それをそのまま実行していた。
——いや、しようとしていた。
しかし、心はもう余裕を失いかけている。
明らかに、無理をしている。
それは、彼女をよく知る者なら、誰が見てもわかるほどだった。
親友のアンジュも、何度か声をかけていた。
それでも返ってくるのは、決まって同じ言葉。
“大丈夫だから”
そして、その笑顔は、どこか不自然で、必死に取り繕ったものだった。
(パパだって……松永主任だって……みんな、頑張ってる)
キーボードを打つ手が、ほんのわずかに強くなる。
(向き合って、前に進もうとしてる……)
画面に映るデータを見つめながら、クレアは唇を引き結ぶ。
(……私も、弱音なんて吐いてられない)
その想いが、彼女を支えていると同時に、無理をさせていた。
◆
ふと視線を上げると、時計は深夜1時を回っていた。
(……一旦シャワー浴びて、それからまた戻ろうかな……)
そう考えて、軽く伸びをした、そのとき。
「よぉ」
背後から、不意に声がかかった。
振り返ると、そこには部屋着姿の烈が立っていた。
「あ……新井くん……」
普段なら驚いて飛び上がるところだが、今はそんな気力も残っていない。
烈は何も言わず、クレアの隣の椅子を引いて腰を下ろす。
そして、持っていた缶ジュースのひとつを差し出した。
それは、クレアの好きな、“ももの汁”だった。
「あ……ありがと……」
少し戸惑いながらも、それを受け取る。
「大分、疲れてんな」
烈はもうひとつのスポーツドリンクを開け、ひと口飲んでから静かに言った。
「だ、大丈夫……だよ」
声は小さく、どこか頼りない。
「あ、いただきます……」
クレアも缶を開け、ゆっくりと口をつける。
「なぁ……クレア」
烈が、ぽつりと呼びかけた。
「あんま無理すんなよ……って言いたいところだけど——」
少し間を置く。
「俺もさ、もしクレアの立場だったら、たぶん同じことしてると思う」
その言葉に、クレアは何も言わず耳を傾ける。
「だから、気軽に“無理すんな”なんて言えねーし……」
苦笑混じりに続ける。
「かと言って、もう十分すぎるくらい頑張ってるやつに“もっと頑張れ”とも言えねー」
「……うん」
クレアは缶ジュースを両手で包み込むように持ちながら、小さく頷いた。
烈は、そんな横顔を見つめてから、ゆっくりと言葉を続ける。
「前さ……美晴さんが倒れたとき、あの時、真っ先に動いたのクレアだったよな」
クレアの視線が、わずかに揺れた。
「それでさ……ヘリの中でさ、俺のこと、ずっと支えてくれてた」
「あの時……正直、めちゃくちゃ心強かった」
一言一言、噛みしめるように。
「クレアが一緒に来てくれて、ほんとによかったって……マジで思った」
クレアの瞳に、じわりと涙が溜まっていく。
「だからさ……その……」
少しだけ言い淀んでから、
「もっと頼ってくれねーか?俺や、みんなのこと」
一粒、涙がこぼれ落ちた。
「ごっ……ごめんっ……!」
慌ててハンカチを取り出し、涙を拭う。
烈は一瞬だけ戸惑ったように視線を揺らしたが、やがて静かに手を伸ばし、そっとクレアの肩に触れた。
その手は、大きくて、あたたかい。
「泣きたいときは、泣くのが自然だって……前、俺に言ってくれたよな」
落ち着いた声で、優しく言う。
「俺も、そう思うぜ」
クレアはもう言葉を返せなかった。
そのまま、しばらくの間、涙を流し続けた。
烈は何も言わず、ただ隣で寄り添い続けていた。
◆
クレアはようやく泣きやみ、目元はすっかり赤くなっていた。
しかし、その表情には、さっきまでの張りつめた影は消えていた。
「あはは……いっぱい泣いちゃった……」
少し照れくさそうに笑う。
(こんなに泣いたの……いつぶりだろう)
ふと、そんなことを思った。
隣では、烈が何も言わずに、ただ穏やかに頷いた。
「ありがとう……新井くん。なんだか、すごくスッキリしたよ」
「それなら、なによりだ」
短く、確かな声で返した。
クレアが時計に目をやると、すでに2時を過ぎていた。
「えっ!!もうこんな時間!?新井くん、大丈夫なの!?」
「おう!明日……というかもう今日か?休みだからな!」
烈は、にかっと笑う。
「なら、よかった……」
ほっと息をつくクレア。
「クレアは?」
「一応、休みだけど……」
「もう休んじゃえよ」
さらりと、迷いなく言った。
その一言に、クレアは少しだけ目を丸くした。
「……うん。そうね、そうしよっかな!」
今度は、ちゃんと力の抜けた笑顔で答えた。
◆
「じゃ、そろそろ戻るぜ」
烈は立ち上がり、軽く伸びをした。
「新井くん、遅くまで付き合ってくれて、ありがとう」
クレアはまっすぐにそう言う。
「全然構わねーよ!むしろ、もっと頼れって」
烈は、明るく笑って答えた。
そのまま踵を返そうとしたとき——
「あ、新井くんっ!」
呼び止められて、烈はくるりと振り返った。
「ん?」
「あ、あのさ……もし良かったら……」
少し視線を泳がせながら、クレアは言葉を探す。
「烈くんって……呼んでもいい?」
その声は小さくて、でもちゃんと届いた。
一瞬きょとんとしたあと——
「あたりめーだろ!そっちの方がいい!」
烈はぱっと顔を綻ばせる。
その屈託のない笑顔に、クレアの頬がわずかに緩んだ。
「ありがとう……新井くん……じゃなくて……れ、烈くん」
言い直す瞬間、少しだけ照れくさくなる。
「おうっ!ゆっくり休めよ、クレア」
軽く手を上げて、烈はそのまま部屋を後にした。
静かになった研究室で、クレアはしばらく立ち尽くす。
(烈くん……か)
クレアの胸の奥が、さっきとは違う意味で、そわそわと騒ぎ始めた。




