第5話「兆し」
『エドワード及びファイの居場所は、相変わらず不明です』
「そうか……」
低く応じたトーマスの声には、わずかな重みが滲んでいた。
『引き続き、捜査を続行します』
「よろしく頼む」
短いやり取りののち、通信が途切れる。
『こちらも、一切の手がかりは掴めず、だ』
モニター越しに映し出されたのは、日本軍の代表・火神の姿だった。
『EDを含むエーテルに関する事柄については、オルフェは我々より遥かに理解がある』
淡々とした口調だが、その一言一言には重圧が込められている。
『我々としても、“エーテルコードとの共存”を以前から望んでいる』
『元より、日本軍とオルフェは強い協力関係にある』
一拍の間。
『しかし……今回の一件。“エドワード氏の逆襲”とも言うべきか……』
『大国をも滅ぼしかねない、未知の兵器の所有』
その言葉は、静かに、しかし確実に場の空気を冷やしていく。
『たとえエドワード氏がオルフェを脱退したとはいえ……オルフェも無関係では済まなくなる』
『最悪の場合——オルフェの解体、職員およびファクターの拘束、幽閉……』
『それらも、十分に現実となり得る』
冷徹な可能性が、はっきりと提示される。
『無論、我々も……そしてオルフェも、そのような事態は望んでいない』
『ただ……言いたいことは、分かるね?』
「はい、火神大将……重々、承知しております……」
トーマスは深く頭を下げた。
『一刻も早く見つけ出し、対処せねば……日本そのものの立場も危うくなる』
『元より、日本政府は——』
(……分かっているさ、そんなことくらい……)
頭を下げたまま、トーマスの拳が静かに握りしめられる。
その内心とは裏腹に、表情は微動だにしなかった。
◆
火神との通信を終えたあと、トーマスはしばらく椅子に座り込んだまま動かなかった。
静まり返った司令室に、わずかな機器音だけが響いている。
——やがて、ドアが静かに開いた。
現れたのは松永だった。
「トーマス……あなた、ちゃんと休めてる?」
その声は柔らかいが、どこか気遣うような響きを帯びている。
「……そんな暇ないよ」
返ってきた言葉は短く、どこか重かった。
トーマスの表情には、隠しきれない疲労がにじんでいる。
「焦る気持ちはわかるわ。でも、焦ったって状況が動くわけじゃない」
松永は静かに言い聞かせるように続けた。
「……何かしてた方が、動いてた方が楽なんだ……」
絞り出すようなその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようでもあった。
松永は、一瞬だけ言葉を失う。
それ以上、何も言えなかった。
なぜなら、その感覚を、自分もよく知っているからだ。
立ち止まることの方が、ずっと苦しい。
だからこそ、動き続けてしまう。
トーマスの気持ちが、痛いほど理解できてしまった。
松永はただ、少しだけ目を細めて、静かに彼を見つめていた。
◆
司令室を後にした松永は、静かな廊下を歩きながら、頭の中で状況を整理していた。
まず浮かぶのは、世界情勢。
世界でも指折りの勢力である天華連盟——その本拠地が、たった一夜にして“消滅”する。
常識では考えられない出来事が、現実として起きてしまった。
しかも、それを成し遂げたのは、たった一機の兵器。
当然、その事実は公にはされていない。
もし露見すれば、世界は一瞬で混乱に飲み込まれるだろう。
先日、ファイに対して使用された“フレアⅢ”も、表向きは軍事演習という扱いになっている。
だが、それが苦しい言い訳であることなど、少し考えれば誰にでもわかる。
本拠地を失い、指導層すら不在となった今、最も混乱の渦中にあるのは、間違いなく天華だ。
そして——
エドワード、ファイ、アリス。
その3つの存在が、確実に世界の均衡を揺るがし始めようとしていた。
◆
訓練室に1人立ちながら、音は先日見たファイの姿を思い返していた。
あの映像だけでも、力の差は明らかだった。
おそらく、あれでさえ“ほんの一部”に過ぎない。
“光のファクター”
それは本来、歴史や神話の中で語られる存在のはずだった。
だが今、それは現実として目の前に現れている。
同じ“ファクター”という括りで語るには、あまりにも次元が違う。
(もし……あれと戦うことになったら……)
脳裏に浮かぶ、あの圧倒的な姿。
胸の奥に、じわりと恐怖が広がる。
(今のままじゃ……絶対に勝てない……)
それは直感ではなく、確信だった。
きっと、他の3人も同じことを感じている。
(やっぱり……完全同調の力がいる)
以前、閃が口にしていた言葉がよみがえる。
完全同調を、自分の意思で引き出せるようになれば——と。
その可能性を探るため、閃は牧のもとを訪ね、システムによる補助を模索していた。
だが、現時点での結論は“ほぼ不可能”。
その事実は、すでにファクターズ全員に共有されている。
(閃くんも、動いてくれてる……)
胸の奥に、小さな灯のようなものがともる。
(あたしも……何かしなきゃ……!)
ぐっと拳を握る。
けれど——
(でも……実際、どうすればいいのか……)
答えは、すぐに霧の中へ消えていく。
音は思わず頭を抱えた。
完全同調の発生条件は、はっきりとしている。
同調率を100パーセントに到達させ、それを維持すること。
理屈だけなら、答えはもう出ている。
——だが
そもそも100パーセントに到達すること自体が稀だ。
たとえ到達できたとしても、その数値はすぐに揺らぎ、維持することは極めて困難。
「……難しすぎるよ……」
ぽつりと、弱音がこぼれる。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
音はゆっくりと顔を上げ、再び前を見据えた。
◆
音が頭を抱えて唸っていると、訓練室の扉が開いた。
「あ、いたいた。音ちゃ〜ん」
軽やかな声とともに、牧が小走りで近づいてくる。
「あ、牧主任。お疲れ様です」
音ははっと顔を上げ、ぺこりと頭を下げた。
「お疲れ様、音ちゃん。ちょっと提案というか……話したいことがあって」
そう言って、牧は音の様子をじっと見つめる。
「あのさ……話半分で聞いてほしいんだけど」
前置きを置いてから、ゆっくりと言葉を続けた。
「閃くんから聞いてると思うけど、完全同調をシステムで補助するのは、やっぱり現時点じゃ難しいのね」
音は静かに頷く。
「でね……思いついたのが、音ちゃんのスキル《安静のウィンド》。あれって、エーテルを整える効果もあったよね?」
「だから、それを応用すれば……同調率をある程度コントロールできるんじゃないかって思って」
音の反応は、ぽかんとしていた。
その表情を見て、牧は少し慌てる。
「あ……!ごめんね!あくまで素人考えっていうか、ただの思いつきで……私はエーテルファクターじゃないし——」
その言葉を遮るように、音は、牧の両手をぎゅっと掴んだ。
「牧主任!とんでもないです!そ、それです……それですよ!!」
「え……?」
予想外の勢いに、牧は目を瞬かせる。
「牧主任の言う通りです!なんで気づかなかったんだろ……さすがです、牧主任!」
音の瞳は、これまでにないほど強く輝いていた。
「そ、それなら良かった……」
少し驚きつつも、牧はほっとしたように微笑む。
音の中では、すでに確信が生まれていた。
これは、ただの思いつきじゃない。
できる——そう、はっきりと感じていた。
音はすぐに意識を集中させ、風のエーテルを発生させる。
元のスキルを軸に、新しい形を思い描く。
“新スキル”のイメージを、ゆっくりと組み上げていく。
その様子を見届けた牧は、そっと一歩下がった。
邪魔をしないように、静かに訓練室を後にした。
◆
翌日。
採血を含む一通りの身体検査を終えたメルは、共用スペースのPCに向かっていた。
画面にはショッピングサイトが開かれており、慣れた手つきで次々と注文を進めている。
その隣では、閃とみのりが身を乗り出すようにして画面を覗き込み、あれこれと口を挟んでいた。
「それ絶対いらないでしょ!」
「えー必要だもん!」
「PC1台に120万って……そのスペック、一体何に……?」
「ネトゲ」
3人のやり取りは、すっかり打ち解けた様子で、どこか賑やかで楽しげだ。
少し離れた場所からその光景を見ていた加藤は、自然と柔らかな笑みを浮かべていた。
そのまま歩きながら、端末を取り出し、松永へと連絡を入れる。
「松永主任……いえ、松永副総帥。メルさんの件ですが、すでに皆と打ち解けていますよ」
『そう……同世代の子たちと過ごす方が、メルにとってもきっと良い影響があるでしょうね』
穏やかな声が返ってくる。
「ええ。我々大人は、このまま見守るのが良さそうですね」
『報告ありがとう、加藤先生……それと、無理に“副総帥”って呼ばなくていいわよ』
くすりと笑う気配が混じる。
「フフッ、では遠慮なく。松永主任、と呼ばせていただきますね」
短いやり取りののち、通信が切れた。
加藤は端末を下ろし、ふと足を止める。
(松永主任……いえ、松永先生)
ほんのわずかに、表情が引き締まった。
(どうか、ご無理はなさらないでください)




