3.大立ち回り
レオの逞しい体躯が花壇へ落下し、庭師が心を込めて育てた色彩豊かで可憐な花々が無残に土中へめり込むと、湿った風が遠雷の音を運んできた。着地の弾みでうつ伏せに倒れ込んだ彼は、直ぐさま起き上がり、「燃えてないよな?」と頭の後ろを心配そうに撫でながら視線を二階の窓へ移した途端、白煙が立ちこめる中をひょいと顔を出して下を向いた丸顔の少女と目が合った。
「よっ」
「――――」
「お生憎様、爆裂お嬢ちゃん」
片手を上げたレオが少女に向かってニッと笑うと、口をへの字に曲げたゾーイは窓枠に足をかけて、しゃがむ格好をしてから跳躍した。この危機的状況にも拘わらずもう一言付け加えようと悠長に構えて彼女を見上げていた彼は、反射的に立ち上がり、跳ぶように駆けて落下地点から距離を置く。身軽なゾーイは放物線を描きながら、花壇を越えて芝生の上へ難なく着地後、拳法の構えを見せた。
「ほう。嬢ちゃんの着地は、俺の惨めな着地より見事だぜ。でもな――」
「――――」
「スカートの中がバッチリ見えちまったのは減点だな」
「――――!」
一瞬、両手でスカートの上から太腿の間を押さえて内股になったゾーイは、憤怒の形相で元の構えに戻る。
「あのラファール流略式詠唱の防御魔法を知ってるとは、嬢ちゃんは見かけに依らず、かなりの腕利きと見た」
「――――」
「で、爆弾切れで今度は素手でやり合うつもりか? と思ったら、連れがいるのかよ……」
片時も少女から目を離さないレオの視界に、二階から飛び降りてきた一人の猫人族の給仕が割り込んだ。そこへ、館の左右から一人ずつ猫人族の警備兵が慌ただしく駆けつけて来た。賊の侵入に飛んできたと期待したレオだったが、二人とも帯刀したサーベルを抜いて自分を睨みつけたので、落胆して肩をすくめる。
「おいおい。どんだけ、館の警備はザルなんだ? 侵入者だらけじゃねえか」
深く嘆息するレオに向かって薄笑いを浮かべる給仕は、彼の役職には似つかわしくない二本の鞘に入った曲剣を手にし、そのうち一本をゾーイへ投げ渡してから抜剣し、帽子を被り直す。そして、彼は残りの二人へ目配せして、抜剣した彼女と一緒に獲物を四方から素速く取り囲んだ。レオの正面にゾーイ、両側に警備兵、背後に給仕の配置である。
四面楚歌のレオだが、動じる様子もなく、手にした麻縄を煙のように消してから両腕を斜めに下ろすと、今度は手の先に光の粒と共に現れた二本のグラディウスを握りしめた。
「精霊使いをやる前は、これでも、ちったあ名の知れた剣闘士だったんだぜ。見ろ。この剣は、傷口を焼き焦がし、擦っただけでも肌が火脹れになる優れものよ。しかも、振る力が数倍に増幅され、叩かれただけで骨が折れるから気をつけろよ」
彼が馴染んだ柄を握る手に力を入れると、たちまち刀身が紅蓮の炎に包まれる。だが、元剣闘士を取り囲む四人は、彼の経歴や得物の技をすでに把握済みなのか、瞳に動揺の色はない。
「んだよ。フーンってな顔しねえで、ちょっとくらいビビれよ。俺が虚勢を張ってるアホみてえだろうが」
腰を低くして周囲の動きに目を配るレオは、顔は笑っていても、翡翠色の眼には闘気が漲る。自分を包囲する四人の剣の構えをさりげなく観察すると、剣闘士の目から見て達人級だ。なので、二階で見せつけられた少女の剣捌きを最低レベルと考えておかないと、巧みな連係プレイで襲ってきたら敗北を喫する可能性がある。何人に囲まれても剣の勝負は所詮一対一だが、鍔迫り合いを長く演じるとその原則が崩れて、不意に背後を突かれる危険があるのだ。全方向から迫る気配へ常に神経を注ぐのは並大抵ではないが、それをやらないと命がない。
先に少女と剣を交えるのは弱い者いじめみたいで気が引けるレオは、まず給仕を倒そうかと振り返った刹那、左右の兵士から同時に斬りかかられた。二本のサーベルの優雅な刀身が血に飢えた鋼となり、刃先は加速度を増して弧を描いて獲物へ迫る。だが、渾身の力で振り下ろされた二つの凶器は、肉を切る音ではなく鋭い金属音を響かせて、遣い手の頭上へ弾き返された。
両腕を斜め上に振り上げるレオは全身から鬼気を放ち、燃える二本のグラディウスはどんなもんだと言わんばかりに火勢を増す。
右から斬りかかった兵士は、尋常ならぬ手の痺れに柄を握る手が緩んで頬を歪めるが、自分が狙った相手が剣で弾き返したことを理解する前に、燃える剣で右の前腕を殴打された。骨が折れて苦鳴を上げる間もなく、今度は高熱の刀身で左頬を強打され、右横を向いた瞬間に鳩尾へ足蹴りを食らって芝生に沈んだ。
左から斬りかかった兵士は手から外れそうになるサーベルの柄を痺れる手でなんとか握り直し、背中を向けて味方へ蹴りを入れた標的に接近し、今が好機と力を込めて振り下ろす。だが、得物は虚空を斬り、いつの間にか右方向へ身体を躱した相手から灼熱の剣で額を強打され、続けて右上腕の骨が刀身の殴打で折られた。激痛で顔が歪む兵士は、芝生の上へ崩れ落ちた。
「長老から『賊は生け捕りにしろ』って言われててな。でなきゃ、お前ら、とっくに首も腕も泣き別れ――」
そう言いかけたレオは、背後からの給仕の突きを察知して右方向へ素速く避け、勢い余って通過する敵の後頭部に赤く焼けた刀の腹を叩きつけ、「最後まで言わせろよ!」と吠えた後、もう一方の剣で右の前腕を強打する。主から離れた帽子とサーベルが芝生に転がり、苦悶で顔が歪み膝を折った主は、首が飛ぶかと思われたレオの強烈な回し蹴りを顔面に食らい、後頭部を地面に打ち付けて大の字に倒れた。
「構えがいいから警戒したが、そこからの動きが全然なってねえ。下手クソな剣捌きに、見え見えの背後からの不意打ち。戦い方がめちゃくちゃだぜ。てめえら、元剣闘士相手に嘗め腐ってんのかよ。どうせ、毒が頼りで剣術はまともに訓練されてねえ暗殺者だろ? ――さてと」
「――――」
「俺は男には容赦しねえ質でな。でも、嬢ちゃんには、こんな酷いことはしねえよ」
レオが少女の方へ顔を向けて頬を緩めると、彼女は曲剣を構えたまま一歩退いた。彼が一歩踏み出すと、彼女は一歩下がる。二歩踏み出すと、二歩下がる。
「逃げても無駄。それに、そんな武器を振り回しても、俺には勝てねえよ」
「――――」
「悪いことは言わない、諦めて大人しく降伏しな。そして、嬢ちゃんをそそのかしたラファール王国と手を切れ。あそこは悪い大人しかいねえぞ」
「――――」
「よしよし、そうだ。それでいい」
レオの説得でゾーイは手にした剣を右横へ放り投げたので、二本のグラディウスを消した彼は、右手に麻縄を出現させて手に取る。覚悟を決めて投降したかの相貌を向ける彼女は、肩幅に足を広げて右の掌を彼に突き出した。
「おいおい、大人しく縛られるなら両手を出せ――って、なんだその笑いは?」
口角を吊り上げたゾーイの手に、レオの頭上と両側面を掠めるように飛来する三つの深紅の魔石が集まった。これらの石は倒された三人が隠し持っていて、彼女が魔法で手元に引き寄せたのだと気付いた時には、すでに石を両手で持った彼女の詠唱が始まっていた。不気味な点滅を開始した三つの凶暴な爆弾を見て悦に入るゾーイは、それらを持ったまま地面を蹴って、瞠目する元剣闘士へ突進する。
「待て待て待て待て!!」
猛烈な勢いで駆けてくる彼女に背を向けて一目散に駆け出したレオは、頭上を越えて二個の魔石が行く手に転がるのを目撃した。爆弾に退路を塞がれたレオは、すかさず方向転換して回避しようとしたが、芝生に素足が滑って尻餅をついてしまう。不気味に明滅する凶弾がカウントダウンを始めて、いよいよ万事休すと目をつぶったその時、大音響が鼓膜を激しく揺らし、死を覚悟した彼は全身を強張らせた。
ところが、何故か爆風が襲ってこない。実はもう五体が吹き飛んでしまっていて、感覚がなくなったのか。でも、耳がキーンと鳴る。死後の世界の音か。いや、おかしい。粉々になったはずなのに音がするのは――。
「何やってるんですか、貴方らしくもない」
「えっ?」
天の声にしては聞き覚えのある銀鈴の声に、レオは恐る恐る目を開けた。
「また女の子の前で鼻の下を長くしていたのでしょう? 相手は殺し屋なのに」
正面で両手を腰に当てた大精霊レイア・マキシマが、形の良い眉を歪めて吐息をつき、レオに反省を求める視線を投げかけた。
「俺、生きているのか?」
「死なせませんよ」
笑顔が戻ったレイアが頼もしい言葉を口にするので、即死確実の土壇場から救われた喜びでレオの頬が緩む。
「あっちは終わったのか?」
「ええ。それで戻ってきてみれば、貴方が狙われていて慌てました。間一髪、結界が間に合って良かったです」
レイアがレオを指差すと、彼を包んでいた薄青色のドーム型の結界が消えた。まだうっすらと漂う粉塵は、芝生を撫でる風に運ばれていく。
「どっちも流石だな」
「何のこれしき、です」
「言うなぁ」
「それにしても、領主様のお庭が派手に荒らされましたね」
「ああ、二階から飛び降りた際に、花壇の花を踏んじまった」
「そっちは知りませんが、違います、これですよ」
振り返るレイアが指差す地面には、直径二メートル以上ある穴が二つ。
「魔石は三つあったから穴は三つあるはずだが……」
レオがもう一つの穴を探しに頭を巡らすと、後方で走る格好のまま氷漬けになった少女が苦悶の表情を浮かべていて、そこへ長老と五人の兵士が駆け寄って来るのが見えた。しかし、それ以外どこを見ても緑の絨毯が広がっているだけだ。
「三つ目の穴がない?」
「あと一つは空中で爆発しました。貴方のすぐ後ろで」
「マジで? こえー」
少女が投擲した魔石の凄まじい破壊力を間近で見せつけられ、それが背後でも爆発したことを思い描くレオは、怖気を震い自分を抱きかかえる。
「それはそうと、あの子はあのままにしておくのか?」
「貴方を殺そうとする者は、何人たりとも万死に値します」
「ちょっと待て! あの長老から生け捕りにしろって言われているんだ!」
「そこは曲げてもらいます」
「それをなんとか曲げてくれない?」
レイアが困惑の表情になって、両手を広げて嘆願するレオと視線を絡める。
「生け捕りって、本当は女の子だから許すのでしょう?」
「男なら許せねえが、女は、その、あの、……許す」
「こんな残酷な暗殺者でも?」
「そそのかされたんだよ、間違いなく」
「どうだか」
「根は真っ直ぐな子なんだよ、おそらくだけど」
「ほんと、可愛い子に甘いお人好しですね」
「「今に始まったことじゃない」」
レイアとレオの言葉がハモって、顔を見合わせた二人は吹き出した。
氷の束縛から解放されたゾーイは、失神して倒れ込む。彼女は他の三人共々レオに麻縄で捕縛され、騒ぎに駆けつけてきた五人の警備兵に引き渡された。長老は、四人を連行する兵士達十人を見送ると、レオとレイアに向き直った。
「あらかじめ、万が一でも毒を盛られたら芝居を打つから慌てるなと聞かされていたから良かったものの、事件が起きて大精霊様も消えて慌てましたぞ」
「敵を欺くにはこれが一番なんで。長老さんも演技に付き合ってくれて感謝しますぜ。こんな死に装束まで用意してくれて」
「レオ殿が本当に脈を止められるとは驚きですな」
「大精霊と組んでから何度も殺されかけてるんで、解毒の術と一緒に身につけたって訳で」
目を見開く長老は、常人では考えられないレオの術に感嘆する。
「毒など効かない頑丈な身体というわけですな」
「ええ、どんと来いです。何度でも死んで見せますぜ。演技ですが」
「ほっほっほっ」
「それにしても、刺客が屋敷の中までうろうろしているのは警備に相当問題あると思うんで、もっと厳重に警戒した方が良くないですか?」
「守備隊長にきつく言っておく必要があるな」
「屋敷は燃えるし、庭に大穴は開くし、これは厳罰ものだって叱ってくださいよ」
それらの被害はレオの捕り物が原因でもあるのだが、一切を棚上げにしたレオは白い歯を見せる。
「で、俺達の役目は、増援部隊が来れば終わり、で良いんですよね?」
「本当はここにもっといて欲しいのじゃが」
「まさか、この戦争が終わるまでですか? そいつは無理な相談です。俺達は旅を続けていますんで。それに、ラファール王国は停戦協定を平然と破棄する奴らだから、叩き潰さない限り、終わりはないです」
「それをお願いしたいのじゃが」
「えっ? 今なんて?」
真剣な眼差しの長老がさりげなく大胆な依頼を口にするので、レオは耳を疑って聞き返した。
「実は、夕刻にクルツシュタイン王からレオ殿へ直々にラファール王国討伐の依頼が来るのじゃ」
「夕刻に依頼が来るって、まさか、援軍の中に王様が?」
「左様。クルツシュタイン王が指揮官なのじゃ」
「俺達の所へ王様が直々に依頼に出向くのも驚きだが、あの大国を討伐するって、正気ですかい?」
「わしが嘘を言う顔をしているとでも?」
「こりゃ恐れ入った……。こう言うとき、精霊の言葉でなんて言うんだっけ?」
レオがレイアに目を向けると、彼女は悪戯っぽく笑う。
「恐れ入谷の鬼子母神」
「そうそう、恐れ入りやのキシボジンってやつ。なんか、精霊の世界ではそう言うらしいんですが、なんかこえーって感じがしませんか?」
「はて?」
レオが口にする「精霊の言葉」とは、レイアの転生前――真樹嶌レイアだった時の言葉のことだ。彼女が、その記憶に残っている言葉を「精霊の言葉」と称していて、それを彼が真に受けているだけである。
三人が談笑していると、メイド服を着た猫人族で面長な少女がレオの服を持ってやって来た。彼女の視線は、長老とレイアの方を警戒するように行き来した後、レオに釘付けだ。
「おっ、ちょうど良いところに着替えが到着。ありがとな」
「――――」
「なに? 服を着せてくれるのか?」
畳んだ上着を広げて左手で持った少女は、右手を服の裏に隠して、作り笑いの顔のままレオに駆け寄った。鼻の下を長くする彼は、このまま突進されたらぶつかるな、受け止めちゃうか、でもレイアに怒られるなと思った瞬間――、
「させません!」
右の掌をメイドへ真っ直ぐ突き出したレイアは、突進する彼女をたちまち服ごと氷に閉じ込めた。
「おい! 可愛い子にいきなり何をするんだ!」
「もう……。貴方は女の子を前にすると、目が節穴になるのですね」
「へっ?」
「その子が持っている貴方の服の裏を見れば分かります」
レオが長老と一緒に少女の横から上着の裏を覗き込むと、ズボンを腕に垂らして右手を隠し、そのズボンから短刀の切っ先が彼の立っていた方へ真っ直ぐに向けられていて、彼女の作戦を見事に現していた。彼は驚愕し、黒雲が広がってきた天蓋を仰いで肩をすくめた。
「こりゃ、どんだけ敵がいるか、分かったもんじゃないぞ」
「ですな。警備を強化せねば」
険しい表情の長老を半眼で見つめるレオの舌打ちと「おせーよ」という呟き声は、どちらも、通り過ぎる生暖かい風が持ち去った。




