2.精霊使いと暗殺者
話は、ラファール王国軍の降伏を受け、レイアが大地を覆う氷から敵兵全員を解放し、領主の館に彼女達が転移魔法で戻って来る五分前に遡る。
レオ・マクシミリアンの遺体は、館の二階の右端にある客室に安置されていた。本来なら、街の葬儀場にある遺体安置室へ運ばれるのだが、彼の脈が停止する前に大精霊が何故か遺体の移動を拒んだからだ。
静謐な空気が漂う廊下は、ガラス窓から曇天の薄明かりが差し込むが、最奥の客室の前には届かず、物の怪が潜んでいるような闇が広がる。そこへ、白いカチューシャを付け、膝丈の黒ワンピースに白エプロンを掛けたメイド姿の猫人族の少女が音もなくやって来て、客室の豪華な装飾の扉へ猫耳を押し当てた。丸顔が可愛い女の子だが、顔は真剣で、スカート部分から出ている真っ直ぐ立った尻尾は彼女の緊張の度合いを現している。
しばらく身じろぎ一つしない少女が扉から耳を離すと、内開きの扉を蝶番が軋まないようにソッと押し、ゆっくり頭を入れて中を覗き込んだ。
部屋には明かりが灯されておらず、正面には空気を入れ換えるために開け放たれた窓から敷地内の木々や遠くの街並みが見え、差し込む弱い光で室内は仄暗い。少し前に城壁を越えて響いていた鬨の声や破砕音は消え、入り込む風はカーテンを揺らし続けている。
中に人の姿がないことを確認し、床の絨毯をソッと踏む忍び足で体を入れた彼女は、右端に置かれた寝台に横たわる白ローブの死に装束姿で裸足の遺体を凝視する。そうして、爪先立ちで衣擦れの音も立てないように寝台へ近づき、瞳に極度の警戒の色を浮かべ、太腿に装着している短刀を右手でスカート部分の上から確認する。
と、その時、遺体がカッと目を見開き、バネ仕掛けの人形の如く上半身を勢いよく起こした。瞠目する少女と視線を絡める翡翠色の双眸の彼は、四十代の人間。精悍な顔つきで筋骨隆々、小麦色の肌に栗色のもじゃもじゃ頭で、精霊使いというより歴戦の剣士がよく似合う。
「おいおい。誰かと思えば、くそ不味いお茶を運んできた嬢ちゃんかよ。あまりに不味いから気絶しちまったぜ。淹れ方、勉強しとけよ」
「――――」
「ふっ。その顔は、幽霊に驚いたんじゃなく、毒を食らってなんで生きているのか摩訶不思議って顔だな」
野太い声のレオが少女をよく見ようと顔を前に出すと、彼女は三歩後ろへ下がった。彼は、その警戒ぶりが面白くてたまらないという顔で話しかける。
「嬢ちゃん、ここのメイドじゃねえだろ? 俺がここの執事の名前をわざと間違えたとき、嬢ちゃん、訂正しなかったしな」
「――――!」
「誰かに変装して入れ替わったんだろ? そいつは今、哀れ、地下室でおねんねってとこかな?」
「――――」
「メイドから検死官に鞍替えして、ちゃんと死んでるのか確認しに来たとみたが、当たり? ってことは、大精霊は今、絶賛暴走中ってとこだな?」
「――――」
「おっと、母ちゃんから『刃物は危ないから人に向けちゃダメよ』って習わなかったか――って、聞いちゃいない」
饒舌な精霊使いの言葉を聞き流して短刀をスカートの中から素速く取りだした少女は、殺意に満ちた目を光らせて床を蹴り、大股で駆け寄ってレオの胸を突く。だが、長時間死体を演じていたとは思えない身のこなしの標的は視界から消え、得物は空を切った。
「こんな可愛い女の子を暗殺者に仕立て上げるラファール王国って、どんな教育を受けさせてるんだ?」
肩をすくめるレオの嘆息が耳に入らない少女は、両手で短刀を握り、彼との距離を瞬時に縮め、目にも止まらぬ速さで胸へ凶器を突き出す。だが、そこにはすでにレオの姿はなく、切っ先が虚空を突く。
「惜しいぜ、嬢ちゃん」
「――――!」
「的確に急所を狙うその動き。料理以外に刃物の使い方を知ってるって感じだな」
頭を左右に振って首の骨を二度鳴らしたレオは真顔になり、獣の俊敏さで得物を手に刺撃と斬撃を繰り返す少女に対し、常人を遥かに超える動きでことごとくそれらを躱す。防戦一方の彼だが、時折少女の手首を狙って手刀を振るうも、相手に擦りもしない。
「こりゃ相当訓練されているな。本気出さねえといけねえか」
後方へ跳んで感嘆したレオが、唇を緩めた。
「だが、俺は女の子には怪我させない主義でね。刃物は使わねえよ。神妙にお縄に付け」
彼は無詠唱で空中から麻縄を取り出して手に取り、余裕の表情を見せつける。これ以上殺傷は無理と判断した少女は忌々しそうに短刀をレオに投げつけ、彼がそれを麻縄で払い落とすと、今度はポケットから何かを取り出した。それは少女の小さな掌に収まる深紅の魔石だったが、彼女が小声で詠唱すると心臓の鼓動の如く不気味に明滅した。これには流石のレオも瞠目して身構える。
「おいおい、嬢ちゃん。なんでそんな物騒な物を持ってるんだ?」
「――――」
「悪い大人に持たされたな? 使い方を知らない――とは思えねえな、その顔は」
殺意と焦燥が入り交じる少女はなおも詠唱し、石を握りしめ、そのままレオへ抱きつくように飛びかかった。
――標的を確実に仕留めなければならない。毒殺や爆殺が得意な暗殺者ゾーイの名にかけても。
既の所で死に神の抱擁から横っ飛びに逃れたレオは、窓枠へ飛び移り、躊躇いを置き去りに館の外へ身を投げる。ちょうどクッションとなる軟らかい土の花壇が下に見えるが、それは事前に確認済みだ。そこに向かって落下を開始して間もなく、室内から轟く爆裂音と噴き出す爆風が彼の後頭部を掠めていった。




