第二章
それから、もう二十年近くたつ。それでも、あのポスターの印象は脳の片隅から離れず、ときおり、ふと目にした白い壁にあの人魚の残像が映ることがあった。
ある遠い晩のこと、高校生の僕はベッドに横たわって、灰色の天井を見上げていた。夕方まで長引いたサッカー部の練習が終わって、自転車で自宅までかけ戻り、シャワーを浴びた後だった。
とくに、サッカーが好きだというわけでもなかった。ただ、水泳部の先輩に入部を誘われて、サッカー部に入るから、と断っただけのことだった。
そんなふうに、熱心でもなく、怠けるのでもない姿勢のおかげか、部員のなかでも、宙にぶら下がっているような、身の置く場所のない、だが、完全に外れているのでもない立場にとどまっていた。
そういう状態は、僕の気質に合っていた。
もともと、根なし草なんだ。脳はホルマリン漬けで、思考はうねるナマズ。人の瞳や、表情筋の運動を観察しても、ちっとも相手の感情が読み取れない。誰かの言葉の行間から浮かび上がるのは、独特のアトモスフィアだけで、それは異国の言語に似ていた。
それらは誰かにとって重要でも、僕についてそうだとは限らない。でも、努力をすべきだった。どんなにわずかでも、人間的な共感を全く示さないよりはいい。
しばらくして、閉じたカーテンの隙間から、乗用車のクラクションや街灯の光が入り込み、その光はカーテンレールを越え、天井で台形状に広がった。
何かが僕の背後でうごめくのを感じ、瞼を閉じて、毛布に体を埋めた。
瞼の裏に、あのポスターがよみがえった。
サーモンピンクの唇。白い歯。黒い髪。ちょっとした痛みに耐えるように、額の中央へ寄せられた眉。
「坊や」
柔らかな息が鼓膜に触れる。深海の底から湧き上がる泡のような、くぐもった笑い声。
おまえなんか、知らない。どうして、いまだに、坊や、だなんて呼ぶんだ。
僕は熱くなる身体を抑え込んで、布団の中で丸まった。冷めた頭の隅が、この格好は冬眠するオオサンショウウオみたいだ、と呟いていた。
その一方で、何としてでも耐え抜かなくては、と第二の僕は叫んでいた。第三のそれはむくむくと血液を介して心臓から広がっていった。




