第39話:氷の令嬢は聞こえなくて不安になる
朝の小テストが返ってきて、教室の空気がまだざわついている時間だった。
俺、春トは答案を机に伏せたまま、隣の美月をちらっと見る。
(今日も横顔、綺麗だな)
(寝不足っぽいけど、大丈夫かな)
いつもなら、ここで美月の耳が赤くなる。
けれど今日は、何も起きなかった。
美月は淡々とノートを閉じて、俺の方を見た。
「……今、何か考えた?」
「え? うん、まあ」
「……聞こえなかった」
心臓が一拍遅れた。
「聞こえないって……」
「……朝から、何回か」
美月の声は落ち着いていたが、シャーペンを持つ指先だけが硬い。
◇
異変は、その日ずっと続いた。
俺が内心で「寒くない?」と思っても、美月はマフラーを差し出さない。
美月が手を伸ばした瞬間に俺がノートを取って、タイミングがぶつかる。
気遣いの呼吸が、半拍ずつずれる。
たったそれだけなのに、教室の中に妙な沈黙が増えた。
放課後、二人でメモを照合すると、傾向ははっきりしてきた。
寝不足の日は弱い。雑踏ではさらに途切れる。
逆に、どちらかの感情が大きく振れた瞬間だけ、急に戻ることがある。
最初からあった「距離と感情で強度が変わる」性質に、受験期の疲労が重なっていた。
昼休み。
美月は弁当箱の箸を揃えながら、小さく言う。
「……私、変なこと考えてた」
「変なこと?」
「……嫌われたのかも、って」
思わず箸を落としそうになった。
「なんでそうなるの」
「……聞こえないと、分からないから」
その答えが、痛いくらい正直だった。
便利だったはずのものが、なくなった瞬間に不安を増幅する。
俺たちは、そこに足を取られかけていた。
◇
放課後の図書室。
窓際の席に向かい合って、俺はノートを閉じる。
「美月、提案がある」
「……うん」
俺は深呼吸して、はっきり言った。
「これを機に、心の声に頼らない練習しよう」
「聞こえるかどうかじゃなくて、伝える責任は同じだと思う」
美月は目を伏せたまま、しばらく黙っていた。
拒否されるかもしれない、と思った時、彼女がゆっくり頷く。
「……怖いけど、必要だと思う」
そこで俺たちは、ルールを二つ決めた。
「不安になったら、その日のうちに言う」
「先回りで悪い方に解釈しない」
俺が書き出すと、美月はその横に小さな丸をつけた。
「……守れなかった日があっても、やめない」
「うん。続けることを優先で」
席を立つ前に、美月がそっと俺の手を握る。
冷たい指先が、少し震えていた。
「……聞こえなくても、離れたくない」
俺は握り返して、短く返す。
「離れない」
超能力が不安定になった日。
でも、関係まで不安定にする必要はないと、俺たちはやっと決められた。




