第37話:氷の令嬢は未来を怖れたい
答案と一緒に配られた判定表を見た瞬間、俺、春トはしばらく呼吸を忘れた。
六月の模試結果が返ってきた日の教室は、いつもより乾いていた。
第一志望、C判定。
第二志望、D判定。
(分かってたけど、数字で出るときついな)
(このままだと、普通にまずい)
前の席で結果を受け取った美月は、紙を折りたたんで静かに筆箱へしまった。
表情はいつも通りだったが、俺には分かる。
たぶん、いい判定だ。
(美月はAだろうな。努力の量が違うし)
(……やっぱり、すごい)
尊敬と、情けなさが同時に来る。
その混ざった感じが、今日はずっと消えなかった。
◇
放課後。
いつもなら図書室へ向かう時間に、俺はわざと寄り道した。
廊下の掲示板の前で立ち止まり、意味もなく部活の予定表を眺める。
(今日は、会わない方がいい)
(今の俺と話しても、暗いことしか言えない)
(足を引っ張りたくない)
その瞬間、背中に静かな声が落ちた。
「……何を、勝手に決めてるの」
振り向くと、美月が立っていた。
いつもの無表情に見えるのに、目だけが強く揺れている。
「え、いや、別に……」
「……別に、じゃない」
美月は一歩近づいて、俺の腕を掴んだ。
「……足を引っ張るとか、会わない方がいいとか」
「……今、全部聞こえた」
逃げ道が塞がれる。
それでも俺は、うまく言葉が出せなかった。
「俺さ、今日の判定、かなり悪くて」
「……うん」
「美月は、たぶん順調だろ?」
美月は一瞬だけ黙り、短く答えた。
「……A判定だった」
予想通りの答えなのに、胸の奥がじくっと痛む。
「ほら、やっぱり」
「だから、俺は――」
言い終わる前に、美月の声が重なった。
「……だから何?」
初めて聞く強さだった。
教室じゃなく、階段踊り場の硬い空気がさらに張り詰める。
「……勝手に一人で決めないで」
「……私、そんなふうに並ばれたいわけじゃない」
「……一緒にいたいって言ったの、忘れたの?」
美月の声が、最後だけ少し震えた。
見れば、睫毛の先に涙が溜まっている。
俺はようやく、自分が何をしていたか理解した。
相手を思ってるつもりで、相手の選択肢を奪っていた。
「……ごめん」
それしか出ない。
でも、美月は首を振った。
「……謝って終わりにしないで」
まっすぐ見上げる目が、逃がしてくれない。
「……本音、言って」
俺は手すりに手を置いて、ゆっくり息を吐いた。
「怖いんだ」
「頑張ってるつもりなのに追いつかなくて、置いていかれる気がして」
「美月の隣にいるの、資格ないって思う時がある」
言葉にすると、情けなくて、でも少しだけ軽くなった。
美月は腕を掴んだ手を離さずに、はっきり言う。
「……資格なんて、私が決める」
「……春トくんは、隣にいていい」
「……というか、いてほしい」
涙声なのに、言い切るところが美月だった。
俺は小さく笑って、頷く。
「じゃあ、もう勝手に離れない」
「弱いって思った時も、ちゃんと言う」
美月は「……うん」と返して、やっと手を離した。
◇
外へ出ると、夕方の風が思ったより冷たかった。
昇降口で靴を履き替えながら、美月が言う。
「……次の模試まで、時間ある」
「……一緒に、計画つくろう」
俺は鞄を持ち直し、隣に並んだ。
「うん。今度こそ、一人で決めない」
怖さが消えたわけじゃない。
でも、怖いままでも並んで歩けるなら、それはもう敗北じゃない。
俺たちはそのまま、図書室へ向かった。
遅れてきた今日の約束を、ここから取り戻すために。




