第35話:氷の令嬢は進路希望を知りたい
「三年A組……三年A組……」
人の肩越しに名簿を追いながら、俺、春トは息を止めていた。
四月の始業式の朝。新しいクラス表が貼り出された廊下は、最初から騒がしい。
自分の名前を見つけて、そのすぐ下に冬月美月の名前があった。
(よしっ)
(別クラスじゃない。助かった……)
背後から、聞き慣れた声がした。
「……見つかった?」
振り向くと、美月がいつもの涼しい顔で立っている。
けれど俺の心の声を拾ったのか、口元がほんの少しだけ緩んだ。
「同じクラス」
「……うん。同じ」
短いやり取りなのに、胸の中のざわつきがすっと静まる。
◇
新しい教室、新しい担任、増えた進路プリント。
三年生になった実感は、チャイムより先に紙の枚数で来た。
放課後、俺は机に広げた大学案内を前に固まっていた。
学部名、就職率、通学時間、学費。
読んでいるはずなのに、頭に入ってこない。
(美月はもう目標がある)
(俺もちゃんとした志望を書かなきゃ)
(せめて、釣り合う場所を選ばないと)
その時、椅子を引く音がして、美月が隣に座った。
「……まだ残ってたんだ」
「うん。ちょっと資料見てて」
美月は俺の返事を聞くと、黙って机の上を整え始めた。
山になっていたパンフレットを分野別に分け、付箋を貼っていく。
「……これ、興味ある順に並べよう」
「え、手伝ってくれるの?」
「……一人で抱える顔してるから」
図星だった。
◇
日が傾くころ、プリントの山はだいぶ薄くなっていた。
俺はペンを回しながら、志望欄の空白を見つめる。
「美月さ」
「……うん」
「正直、どれ選んでも“違う”気がするんだよね」
言葉にすると、思ったより情けない響きになった。
美月は少し考えてから、俺の進路希望用紙を指先で押さえる。
「……偏差値だけで決めないで」
「続けられるかどうかで、選んでほしい」
俺は思わず顔を上げた。
「でも、現実は偏差値も見るだろ」
「……見る。けど、それだけじゃ続かない」
「……春トくん、頑張れる理由がある時の方が強いから」
静かな口調なのに、妙に刺さる。
たぶん、よく見られているからだ。
(俺、どこかで“美月に釣り合う進路”を先に置いてたな)
(かっこよく見られたいってだけで、志望欄を埋めようとしてた)
心の中でそう整理した瞬間、美月の睫毛がわずかに揺れた。
「……今の、聞こえた?」
「……聞こえた」
逃げ場はなかった。
「……ごめん。俺、かっこつけてた」
言うと、美月は首を横に振った。
「……謝らなくていい」
「……見栄を張るのは、悪いことじゃない」
「でも、私には本音でいて」
その言葉は、責めるためじゃなく、隣に立つための言葉だった。
「……うん。じゃあ本音言う」
「俺、文章とか、人の話を整理するのは好きなんだ」
「だから、その延長にあることを学べるところに行きたい」
美月は目を細め、嬉しそうに頷く。
「……それ、春トくんらしい」
「遠回りでも?」
「……隣にいてくれるなら、遠回りでもいい」
照れたように言い切る彼女に、俺は笑ってしまった。
◇
校門を出るころには、空は春の薄青に変わっていた。
俺と美月は、進路資料の入った重い紙袋を一本ずつ持って歩く。
「重くない?」と俺が聞くと、美月は小さく肩をすくめた。
「……重い」
「だよね」
「……でも、前より怖くない」
美月は歩幅を合わせながら続ける。
「……一緒に考えられるから」
恋人として隣にいるだけじゃない。
将来の相談をぶつけ合える相手になりたい。
そんなことを、紙袋の重みが教えてくれている気がした。
駅前で別れる前、美月が俺の袖を軽く引く。
「……次、面談の前に、もう一回話そう」
「うん。今度は白紙じゃなくて持ってく」
そう答えると、美月は満足そうに頷いた。
春は、始まったばかりだった。




