第33話:氷の令嬢はチョコを手作りしたい
家庭科室の隅で、エプロン姿の美月は真剣な顔をしてボウルをかき混ぜていた。
二月十三日の放課後だった。
「……三回目」
隣で見ていた女子――同じクラスの佐倉が、苦笑いしながら肩をすくめる。
「冬月さん、気合い入りすぎ。味は一回目から普通においしかったって」
美月は首を横に振る。
「……普通じゃ、だめ。……春トくんに渡すから」
その一言は小さかったけど、迷いがなかった。
チョコを湯煎で溶かして、型に流して、冷やして、またやり直す。
完璧主義の矛先が、今日はまっすぐ恋に向いていた。
◇
二月十四日、朝。
俺、春トは通学路で手袋の中の手を握り開きしていた。
(落ち着け。今日はバレンタインだ)
(“もらえるかな”じゃない。“もらった時にちゃんと受け取れるか”が勝負だ)
教室に入ると、空気はすでに浮き足立っていた。
男子はそわそわ、女子は妙ににぎやか。
東雲は朝一で俺の机に肘をついた。
「で、春ト。今日は当然、冬月さんから特別便が届くんだろ?」
「うるさい。声でかい」
東雲はにやにやしながら去っていった。
その背中を睨みつつ、俺は隣席の美月を見る。
美月はいつも通り静かに教科書を開いていた。
でも、ページをめくる手が少しだけぎこちない。
(緊張してる……?)
(いや、俺が勝手に期待してるだけかもしれない)
その心の声を聞いたのか、美月の耳がじわっと赤くなる。
けれど授業中、彼女は何も言わなかった。
昼休みになっても、放課後になっても、タイミングは来ない。
俺も焦って話しかけられず、気づけば教室の人がほとんどいなくなっていた。
◇
夕方。
窓の外が薄いオレンジに染まるころ、教室には俺と美月だけが残っていた。
先に口を開いたのは、美月だった。
「……春トくん」
彼女は鞄から、小さな箱を取り出す。
白い箱に、赤いリボン。
持つ手がかすかに震えていた。
「……これ」
差し出された箱を、俺は両手で受け取る。
軽い。けど、重い。
中に入っているものより、そこまでにかかった時間の方が、ずっと重いのだと分かる。
「ありがとう。……開けてもいい?」
美月はこくりと頷いた。
そっと蓋を開けると、ハート型のチョコが三つ並んでいた。
表面はきれいで、艶があって、売り物みたいに整っている。
「……上手じゃないかも、って思ってた」
美月は視線を落とす。
「昨日、何回も作り直して。……結局、正解か分からなくて」
俺は一つ摘んで口に入れた。
甘さは控えめで、後からほんの少しだけビターが来る。
美月らしい味だと思った。
「おいしい」
短く言ったあと、ちゃんと続ける。
「でも一番うれしいのは、味そのものより、これを作る時間を俺のために使ってくれたこと」
「その時間ごと、受け取った気がする」
言い終えた瞬間、美月の目が揺れた。
長い睫毛の下に、うっすら涙がにじむ。
「……ずるい」
泣きそうな顔で、でも笑っている。
「……そういうこと、ちゃんと言葉で言うの、ずるい」
「最近、頑張ってるからね」
俺が苦笑すると、美月は小さく鼻を鳴らした。
「……えらい」
それから、彼女は少しだけ声を潜める。
「……じゃあ、来月。……ホワイトデー、空けておいて」
「了解。今度は俺が、ちゃんと悩む番だ」
美月は頷いて、机の上に置かれた進路希望調査のプリントをちらりと見た。
「……これも、そろそろ書かないと」
甘い空気のまま、現実はきっちり追いついてくる。
でも、もう前みたいに怖くはなかった。
「一緒に考えよう」
「……うん。一緒に」
夕暮れの教室で、俺たちは並んで進路用紙を見下ろした。
机の端には、空になったチョコの箱。
恋も将来も、どちらかじゃなく、どちらも選んでいける気がした。




