第32話:氷の令嬢は家族に紹介したい
冬休みが明けて最初の週末。
朝ごはんの味噌汁をすすっていた俺、春トに、母さんが何気ない顔で爆弾を投げた。
「ねえ春ト。今度、彼女さんちゃんと紹介してよ」
「ぶっ!?」
危うく味噌汁を吹くところだった。
母さんはお玉を持ったまま、にこにこしている。
「だって最近ずっと名前出るし。美月ちゃん、でしょ?」
(なんで知ってるの!? 俺そんなに家で口滑らせてた!?)
俺が固まっていると、母さんはさらっと追撃してきた。
「この前、近所のスーパーで冬月さんのお母さまと会ってね。『うちの娘がお世話になってます』って」
情報網が強すぎる。
もう逃げ道はなかった。
◇
その日の午後。
俺は駅前で美月と合流し、事情を説明した。
「……ってわけで、母さんが紹介してほしいって」
美月は一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに背筋を伸ばした。
「……分かった。……挨拶、行く」
(即答!? もっと悩むと思ってた!)
「いや、無理しなくていいんだよ?」
「……無理じゃない。……春トくんのお母さんに、ちゃんと“彼女です”って言いたい」
言葉は静かだったけど、芯があった。
俺は覚悟を決めて頷いた。
◇
翌日。
俺の家の玄関に、美月が立っていた。
淡い色のワンピースにコート、手には小さな紙袋。
(礼儀正しすぎる……! うち、普通の2LDKだよ!? 緊張させてないよな!?)
ピンポーン。
ドアを開けた母さんは、一瞬固まってから満面の笑みになった。
「いらっしゃい、美月ちゃん!」
この人、テンションの切り替えが早い。
美月は丁寧に頭を下げる。
「はじめまして。冬月美月です。いつも春トくんにお世話になっています」
「こちらこそ、息子がお世話になってます。あら、手土産まで!」
母さんの頬がゆるみっぱなしだ。
リビングに通すと、二人はすぐに会話を始めた。
「春ト、学校ではどんな感じ?」
「……優しいです。少し抜けてるけど」
「でしょう! 家でもずっとそんな感じ!」
(俺の評価、地味に下がってない?)
美月はくすっと笑って、紙袋から焼き菓子を取り出した。
「母と選びました。よかったら」
「もう完璧すぎる……春ト、あんた本当にこんないい子と付き合ってるの?」
母さんの視線が疑いの目になった。
実の息子への信頼が低い。
それでも空気はずっと和やかだった。
美月は必要以上に取り繕わず、でも失礼なく、自然体で話していた。
俺はその横顔を見て、胸の奥がじんわり熱くなる。
(家族に紹介できるの、こんなに嬉しいんだな)
(俺の大事な人だって、ちゃんと見てもらえるの)
その心の声が届いたのか、美月は湯呑みを持つ手を少しだけ止めて、ほんのり頬を染めた。
帰り際、母さんは玄関まで見送りに出て、深々と頭を下げた。
「またいつでも来てね」
「……はい。ありがとうございます」
ドアが閉まったあと、廊下で美月が小さく息を吐く。
「……緊張した」
「分かる。俺も今めちゃくちゃ緊張してる」
美月は少し笑って、俺の袖を引いた。
「……次は、私の番」
◇
数日後。
俺は冬月家の玄関前で、姿勢を正して立っていた。
高級感のあるエントランス、静かな廊下、足音すら響きそうな空気。
(落ち着け。挨拶して、失礼なく、誠実に。呪文みたいに繰り返せ)
ドアが開き、美月が迎えてくれる。
「……いらっしゃい」
いつもより少し緊張した顔だ。
リビングに通されると、ソファに美月のお父さんが座っていた。
「はじめまして。春トです。今日はお時間いただきありがとうございます」
低く落ち着いた声が返ってくる。
「……座ってください」
圧がある。
怒っているわけじゃないのに、背筋が勝手に伸びるタイプの人だ。
隣で美月が、膝の上で指をぎゅっと握っているのが見えた。
最初は天気や学校の話だった。
けれどすぐに、まっすぐな質問が飛んできた。
「春トくんは、うちの娘とどう付き合っていきたいと考えていますか」
逃げられない球だ。
でも、逃げるつもりもなかった。
「まだ高校生ですし、できることは限られてます」
「それでも、気持ちを雑にしないことと、困った時に話し合うことだけは、ずっと守るつもりです」
言いながら、手のひらに汗がにじむ。
俺の言葉が軽く聞こえていないか、不安はあった。
数秒の沈黙。
美月のお父さんは、俺をまっすぐ見たまま頷いた。
「分かりました」
それだけだった。
けれど、その一言で肩の力が抜けた。
帰り際、美月のお母さんが玄関まで来てくれて、柔らかく微笑んだ。
「また遊びに来てね」
外に出た瞬間、俺は大きく息を吐く。
「……寿命縮んだ」
隣で美月が、くすりと笑った。
「……お父さん、あれでもかなり好印象だったと思う」
「ほんとに?」
「……うん。厳しい顔の時ほど、本気で話を聞いてる時だから」
そして美月は少しだけ歩みを遅め、俺の袖を掴んだ。
「……今日の春トくん、すごくかっこよかった」
不意打ちだった。
耳の奥まで熱くなる。
「それ、反則」
「……褒めてるだけ」
冬の夕暮れの歩道を、俺たちは肩を並べて歩いた。
二人だけの関係だったものが、少しずつ生活の中に溶けていく。
その変化が、怖いより先に嬉しいと思えた。




