第28話:氷の令嬢は日常を抱きしめたい
俺、春トは机に突っ伏していた。
修学旅行から帰って最初の月曜日。
「……眠い」
当然だ。
昨夜は旅館での深夜ミッション(先生の巡回回避)と、その後の余韻で、ほとんど眠れていない。
隣を見ると、美月も珍しく小さな欠伸をしていた。
「……春トくん、目の下」
「そっちもだよ」
二人で顔を見合わせて、つい笑ってしまう。
同じ理由で寝不足だと思うと、それだけで胸が温かくなった。
そこへ東雲がやってきて、俺の机をバンバン叩いた。
「おい春ト! 京都土産は!?」
「はいはい、八つ橋あるって」
「それと夜の話もな!」
こいつの目が完全にゴシップ記者だ。
俺が適当にいなしていると、東雲はひょいと美月の方を見て、ピタッと動きを止めた。
「冬月さん、おはようございます」
九十度のお辞儀。
迫力ある『氷の令嬢』スマイル(零度)が炸裂し、東雲は脱兎のごとく逃げていった。
美月は何事もなかったように教科書を開き、俺の袖を小さく引く。
「……八つ橋、抹茶味」
「了解。放課後に献上します、お姫様」
俺がふざけると、美月は耳だけ赤くして、そっと視線を逸らした。
◇
ホームルームで、担任がプリントを配った。
「修学旅行の写真、クラス掲示用に班ごと一枚提出なー。締切は明日」
教室が一気にざわつく。
俺たちもスマホのアルバムを開いて、どの写真にするか相談し始めた。
「これどう? 清水寺のやつ」
「……こっちは? 二年坂の」
画面を指で送るたび、京都の空気が蘇ってくる。
紅葉、石畳、抹茶パフェ、そして――。
俺の指が、ある一枚で止まった。
二年坂で撮った写真だ。
背景の紅葉も綺麗だけど、何より美月が笑っている。
いつもの澄ました微笑みじゃなくて、いたずらが成功した子どもみたいな顔で。
(この笑顔、いいな)
(修学旅行の思い出っていうより、これから先の「普通の日」にも、ずっと見ていたい笑顔だ)
隣で美月の肩がピクリと震えた。
俺は慌てて画面から目を上げる。
美月は真っ赤な顔で、でも逃げずに俺を見ていた。
「……それ、にする」
短い言葉だったけど、声は少しだけ震えていた。
◇
放課後。
写真データを提出したあと、俺たちは誰もいない屋上にいた。
秋の風が、少し冷たい。
「……春トくん」
「ん?」
美月はフェンス越しの空を見ながら、ゆっくり言った。
「……修学旅行、終わっちゃって」
「……うん」
「……昨日の夜、ずっと寂しかった」
中庭で聞いた「帰りたくない」が、まだ続いていたのだと分かった。
俺は黙って、彼女の手を握る。
「でも」
美月は握った手に、そっと力を込めた。
「……さっきの写真見て、ちょっと安心した」
「安心?」
「……春トくん、非日常だけじゃなくて、普通の日も一緒にいたいって思ってくれてるんだって、分かったから」
図星だった。
心の声は、ときどき俺が言葉にできない本音まで先に運んでしまう。
けれど、今はそれに甘えたくなかった。
「うん。ちゃんと言う」
俺は美月の目をまっすぐ見た。
「特別な日だけじゃなくて、月曜の朝も、眠い一限も、テスト前の地獄も、全部一緒にいたい」
「俺にとっては、その日常が一番特別だから」
言い終えると、美月の瞳がふわっと潤んだ。
「……ずるい」
彼女は小さく笑って、俺の肩にもたれかかる。
「……じゃあ、次の約束」
「うん」
「……初詣。……一緒に行きたい」
冬の気配が、少しだけ近づいた気がした。
俺は強く頷く。
「もちろん。来年も、その先も」
美月は「……ん」と短く返して、俺の指を絡め直した。
秋空の下、俺たちは旅の終わりじゃなく、日常の続きを歩き始めた。




