第4章 第7話 守るためじゃなく、楽しむために会う
白瀬もえは、そのメッセージを何度も読み返していた。
次は、守るためだけではなく、楽しむために会おう。
「……言い方がずるい」
机の前で、白瀬は小さく呟いた。
守るため。
隠すため。
誤魔化すため。
最近の二人は、そんな理由ばかりで動いていた。
けれど本当は、違う。
会いたいから会う。
話したいから話す。
好きなものを見せたいから見せる。
それだけでいいはずなのに、天城玲司の家、学校の目、三枝の勘、黒いワゴン車――いろんなものが、その単純さを難しくしていた。
だからこそ、その言葉が胸に残った。
楽しむために会う。
その約束を、白瀬は少しだけ大事にしたかった。
◇
翌日の放課後。
白瀬は駅から少し離れた、小さな雑貨店の前で玲司を待っていた。
かれんの提案で選んだ場所だ。
学校の生徒が寄り道しにくい位置で、なおかつ駅から遠すぎず、人通りも多すぎない。店内は文具や小物、キャラクター雑貨、可愛い紙ものが並んでいて、白瀬がいても不自然ではない。
「待たせた」
「ううん。私も今来たところ」
玲司は制服ではなく、落ち着いた私服だった。
派手ではない。だが、やはり妙に整っている。
「……目立たない服って言ったよね」
「そのつもりだ」
「天城くんの場合、服じゃなくて存在が目立つんだよ……」
「それはどうにもならないな」
「うん、知ってた」
白瀬は苦笑して、店内へ入った。
中には、可愛い便箋、シール、カード、マスキングテープ、アクリル小物などが並んでいた。
「こういうところへ来たかったのか」
「うん。御礼イラストの背景とか、次の本の小物の参考にもなるし」
「なるほど」
「あと、単純に可愛いもの見ると元気になる」
「それはわかる」
「……わかるようになったんだね」
白瀬がそう言うと、玲司は少しだけ考えてから頷いた。
「ああ。君の影響だろうな」
「そういうの、店内で言わないで」
「なぜ」
「照れるから!」
小声で抗議しながら、白瀬はシール棚の前へ逃げた。
玲司はその隣に立ち、並んだ小物を真面目に見ている。
「この花柄は、君の完売御礼イラストに合いそうだ」
「え」
「色味が柔らかい。感謝の雰囲気にも近い」
「……ほんとに見る目が育ってる」
「褒めているのか」
「かなり褒めてる」
白瀬は少し笑い、それから小さなハート型のシールを手に取った。
「これは?」
「少し主張が強い」
「だよね」
「だが、あざとさを出したいならありだ」
「……そこまで言えるの、もう初心者じゃないよ」
「そうか」
「うん。もう売り子どころか、半分監修者」
玲司は少しだけ口元を緩めた。
「それは光栄だ」
そのやり取りが、楽しかった。
何かから逃げるためではない。
誤魔化すためでもない。
ただ、同じ棚を見て、同じものを可愛いと言い合う。
それだけの時間が、白瀬にはひどく大切に感じられた。
◇
店を出たあと、二人は近くの小さな公園へ寄った。
長居はしない。
それもルールの一つだ。
だが今日は、最初から「楽しむために会う」と決めていたから、五分ではなく十五分だけ。
白瀬は買ったシールの袋を見ながら、ベンチに座った。
「今日、楽しい」
「僕もだ」
「……即答するんだ」
「ああ」
「ずるいなあ」
白瀬は袋を膝の上に置き、少しだけ空を見上げた。
「最近、怖い話ばっかりだったから」
「そうだな」
「こういう普通の寄り道、ちょっと忘れてた」
「普通か」
「うん。普通。でも、今の私たちにはかなり特別」
玲司は黙って頷いた。
白瀬は続ける。
「守るのも大事だけど、それだけだと苦しくなるね」
「ああ」
「だから、たまにはちゃんと楽しいこともしよう」
「そうしよう」
その返事は短かったが、白瀬には十分だった。
すると玲司が、少し真面目な顔で言った。
「白瀬」
「なに」
「今日、会えてうれしい」
「……っ」
まただ。
ルールの最後の一文。
会えた日は、ちゃんと喜ぶこと。
それを彼は、律儀に守ってくる。
「私も」
白瀬は、頬を赤くしながら答えた。
「今日、会えてうれしい」
言葉にした瞬間、胸の奥がふわっと温かくなった。
喜ぶのは、怖い。
もっと欲しくなるから。
でも、喜ばないふりをする方が、きっともっと苦しい。
「……天城くん」
「何だ」
「この関係って、何なんだろうね」
「難しい質問だな」
「うん」
「恋人ではない」
「……うん」
「だが、ただの友人とも違う」
「うん」
「秘密を共有する協力者でもある」
「うん」
「そして、たぶん互いにかなり特別だ」
白瀬は息を止めた。
「……そういう整理の仕方、ほんと心臓に悪い」
「間違っているか」
「間違ってないから困るの」
夕方の風が、公園の木を揺らした。
白瀬は膝の上の袋をぎゅっと握る。
「特別、か」
「ああ」
「……うれしい」
「そうか」
「でも、まだ怖い」
「それもわかる」
玲司は、ほんの少しだけ白瀬の方へ視線を向けた。
「急がなくていい」
「……」
「今の形を大事にしながら、少しずつ進めばいい」
「天城くんは、それでいいの?」
「ああ」
「ほんとに?」
「君の普通も、君の世界も壊したくない」
「……ずるい」
「またか」
「うん。でも、今日のはかなりうれしい方」
白瀬は小さく笑った。
◇
別れ際、玲司は買った小さなシール袋を一つ、白瀬へ差し出した。
「これを」
「え?」
「君の御礼イラストの雰囲気に合うと思った」
「買ってたの?」
「ああ」
「いつの間に……」
白瀬は受け取って、中を見た。
柔らかい花柄のシール。
さっき玲司が「完売御礼イラストに合いそうだ」と言っていたものだった。
「……ありがとう」
「使わなくてもいい」
「使う」
「即答だな」
「使うよ。だって、天城くんが選んでくれたから」
言ってから、白瀬は自分で固まった。
「あ、今の」
「嬉しい」
「返事が早い!」
「事実確認だ」
「それ禁止って言ったのに!」
けれど、二人とも笑っていた。
その笑いは、最近の張り詰めた空気とは違っていた。
少しだけ、ただの高校生らしい時間だった。
「じゃあ、また夜に」
「ああ。また夜に」
白瀬は歩き出し、数歩先で振り返った。
「天城くん」
「何だ」
「今日は、守るためじゃなくて、ちゃんと楽しかった」
「僕もだ」
その答えを聞いて、白瀬は満足そうに笑った。
そして今度こそ、人混みの方へ歩いていった。
玲司はその背中を見送りながら思う。
防衛線は必要だ。
警戒も、計画も、慎重さも欠かせない。
けれど、その内側にあるものまで硬くしてはいけない。
白瀬もえと過ごす時間は、本来もっと柔らかく、温かく、楽しいものであるはずだ。
それを忘れないために、今日の十五分は必要だった。




