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財閥御曹司の俺が恋したのは、コミケで壁サーを張る“えっちなお絵描き女子”でした  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第3章 第8話 疑念と独占欲のはじまり

 人は、自分の中にある感情の名前を、だいたい後から知る。


 天城玲司は、その日の昼休み、自分が抱いたほんの小さな違和感に、すぐには名前をつけられなかった。


 きっかけは、ごく些細なことだった。


「白瀬さんって、美術の成績いつも安定してるよね」

 隣のクラスの男子が、昼休みに廊下でそう声をかけてきたのだ。


 玲司は偶然、その場を通りかかっただけだった。

 止まって盗み聞きするつもりもなかった。

 けれど耳に入ってしまった以上、完全に無関心ではいられなかった。


「え、あ……まあ、普通だよ」

 白瀬もえが、少しだけ戸惑ったように答える。

「いや、普通じゃなくない? 前の文化祭の展示も上手かったし。ああいうの好きなの?」

「う、うん……好きっていうか、まあ描くのは」

「へえ。今度スケッチ手伝ってほしいかも」

「え?」


 その“え?”には、明らかに一拍遅れた動揺があった。


 玲司は足を止めこそしなかったが、胸の奥に小さく引っかかるものを感じた。


 スケッチを手伝ってほしい。

 ただそれだけの話だ。

 相手の男子にも特別な下心があるようには見えない。単に、美術が得意そうな同級生へ気軽に声をかけているだけなのだろう。


 なのに。


 玲司の胸の内に生まれたその感覚は、どうにも綺麗に流れてくれなかった。


 なんとなく、嫌だと思った。


 それがなぜ嫌なのかを考えた瞬間、さらに少しだけ気分が悪くなる。


「白瀬さん、今度時間あったら――」

「悪い」

 気づけば、玲司は口を挟んでいた。


 男子が振り向く。

 白瀬も目を見開く。


「天城くん?」

 男子が少し驚いた顔をする。


 玲司はそこで、今自分が割って入ったことに遅れて気づいた。

 かなり不自然だ。

 本来なら、何も言わずに通り過ぎるべき場面だった。


「その件なら、美術の先生が放課後に資料整理を頼んでいた」

 玲司は、反射的にそう言っていた。

「え?」

 白瀬が固まる。

「先にそちらが優先だろう」

「……あ、う、うん。そうだった」

 白瀬も、少し遅れて合わせる。

「ごめん、今日はたぶん無理かも」

「あ、そっか。じゃあまた今度で」

 男子はそれ以上深追いせず去っていった。


 その背中を見送りながら、玲司はようやく息を吐いた。


「……」

「……」


 白瀬が、じっと玲司を見ている。


「何だ」

「今の、何」

「何とは」

「いや、完全に助けに入ったよね」

「そう見えたか」

「見えたよ。ていうか、そうでしょ」

「……否定はしない」


 白瀬は一瞬きょとんとして、それから少しだけ頬を赤くした。


「なんで」

「……」

 玲司は、すぐには答えられなかった。


 なんで、か。


 それを今この場で言語化するのは、かなり危ない気がした。

 だが、誤魔化すのも違う。


「少し、気に入らなかった」

 玲司は低く言った。

「え」

「君が、ああいうふうに軽く持っていかれるのは」


 言ってから、自分でもかなりまずいことを口にした自覚があった。


 白瀬はぽかんとしていた。

 数秒遅れて、その意味がじわじわと届いたらしい。


「……それって」

「なんだ」

「かなり、やばい発言では?」

「そうかもしれない」

「そうかもじゃなくて!」


 白瀬は頬を押さえた。


「天城くん、今すごい顔してる」

「どんな顔だ」

「自分でもちょっとわかってなさそうな顔」

「……」


 たしかに、その通りだった。


 今の自分は、自分でもあまり見たことのない種類の感情を持っている。

 守りたい、とは違う。

 ただ心配、でもない。

 もっと原始的で、もっと子供っぽい。


 ――取られたくない。


 そういう感情に近い気がした。


 それを認めるのは少しだけ嫌だった。

 だが、否定もしきれなかった。


     ◇


 その日の午後、今度は白瀬もえの方が落ち着かなかった。


 原因は、教室の窓際に集まっている女子たちだ。


「天城くんってさ、今日も顔面完成されてるよね」

「それ毎日思う」

「ていうか、あの人ほんと崩れないよね」

「ちょっと笑うだけで強い」


 そういう会話は、別に珍しくない。


 天城玲司が“完璧王子”として扱われるのは今に始まったことではないし、女子たちがそういうふうに騒ぐのも日常の範囲内だ。


 なのに今日は、それが妙に耳についた。


 白瀬はノートへ視線を落としながら、無意識にシャーペンを強く握る。


「……」

 落ち着かない。


 別に、女子たちが何か特別なことを言っているわけではない。

 ただ事実を言っているだけだ。

 顔がいい。優しい。完成度が高い。全部、白瀬もわかっている。


 わかっているからこそ、余計に嫌だった。


「白瀬さん?」

 隣の女子が首を傾げる。

「え」

「シャーペン、芯折れてる」

「……あ」


 本当に折れていた。


「ぼーっとしてた?」

「ちょっとだけ」

「珍しいね」


 珍しいのは、自分でもわかっている。


 玲司が他の女子に騒がれているだけで、こんなに落ち着かなくなるなんて。

 しかもその理由が、“なんとなく嫌”というかなり幼い感情だということが、さらに白瀬を困らせた。


 放課後、どうにかして話したい。

 でも、話したところで何と言えばいいのかわからない。


 そんな曖昧な気持ちを抱えたまま、一日が過ぎた。


     ◇


 放課後。


 今日は、白瀬の方から連絡が来た。


 少しだけ話したい

 人いないとこ


 玲司は短く、わかったと返した。


 待ち合わせたのは、学校から少し離れた川沿いの遊歩道だった。

 帰宅部の生徒もほとんど通らず、夕方の風が静かに吹いている。

 ここなら、少なくとも誰かに会話を聞かれることはない。


「……ありがと」

 白瀬が先に言う。

「何の礼だ」

「昼のやつ」

「ああ」

「助かったのはほんとにそう」

「ならいい」

「でも、それとは別に」

 白瀬は少しだけ視線を逸らす。

「変な感じもした」

「……変な感じ」

「うん」


 沈黙。


 白瀬は、指先で制服の裾を少しだけつまんだり離したりしている。

 かなり言いにくいことらしい。


「最近」

 ようやく彼女が口を開く。

「他の人と話してるの見ると、ちょっと変な感じする」

「他の人」

「うん。今日も、女子が天城くんのこと騒いでるの聞いて、なんか、妙に落ち着かなかった」

「……」


 玲司は、それを聞いた瞬間、自分の中の昼の感情と綺麗に繋がるものを感じた。


 ああ、これか、と。


 名前がつく。


 独占欲。


 まだ小さいし、たぶん未熟だ。

 けれど、間違いなくそれに近い。


「白瀬」

「なに」

「たぶん、僕も似たようなものだ」

「……え」


 白瀬が目を見開く。


「昼、あの男子が君へ気軽に近づいてきた時、少し気に入らなかった」

「……」

「理屈ではなく」

「……」

「かなり単純に」


 白瀬の頬が、ゆっくり赤くなる。


「それって……」

「独占欲に近いものかもしれない」

 玲司は、はっきり言った。


 言ってしまえば、妙に落ち着いた。


 危ういことを言っている自覚はある。

 だが、ここまで来ると、もう曖昧にする方が不自然だった。


「……やばいね」

 白瀬が、小さく言う。

「ああ」

「かなり」

「否定はしない」

「でも」

 白瀬は、そこで少しだけ笑った。

「ちょっとうれしい」


 その一言は、玲司の胸へまっすぐ落ちた。


「うれしいのか」

「うれしいよ。だって、私だけじゃなかったんだなって思うし」

「……」

「独占欲って言い方は、ちょっと恥ずかしいけど」


 白瀬は頬を押さえながら視線を落とした。


「でも、天城くんがそう思ってくれてるなら……その……」

「うん」

「私が変になってるだけじゃないんだなって、ちょっと安心する」


 玲司は、ゆっくり息を吐いた。


 今この瞬間、二人の間にはかなり危ういものがある。

 ただ好き、という言い方ではもう収まらない熱がある。

 近づきたい。

 離したくない。

 他の誰かに軽く扱われたくない。


 その感情を、互いに認め始めている。


 距離が、少しだけ近づく。


 物理的に、ではない。

 空気が、だ。


 白瀬が何か言いかける。

 玲司も、たぶん続きの言葉を持っている。


 その時だった。


 玲司のスマホが震えた。


 着信。


 画面を見る。


 黒峰蒼一郎


 その名前が表示された瞬間、空気が変わった。


「……」

「天城くん?」

 白瀬が不安そうに呼ぶ。

「家か」

 玲司は低く言った。


 着信音は止まらない。

 このタイミングで黒峰が電話してくるということは、何かしら動きがあったのだろう。


 さっきまでの熱が、一気に別の緊張へ変わる。


「出た方がいい?」

 白瀬が小さく聞く。

「……そうだな」

 玲司は画面を見つめたまま答える。


 そしてその瞬間、はっきりと理解した。


 ここまでは偶然と反射で守れてきた。

 学校での誤魔化しも、駅前での対処も、その場その場で切り抜けてきた。


 だが次は、もうそれでは足りないかもしれない。


 家が本格的に動き始めれば、偶然では守れない。

 白瀬もえの普通も、mocoの世界も、どちらも。


「白瀬」

「なに」

「今日はここまでだ」

「……うん」

「だが、離れるわけではない」

「わかってる」


 白瀬は、少しだけ不安そうに、それでも頷いた。


「ちゃんと連絡して」

「ああ」


 玲司はその返事を確認してから、ようやく通話ボタンへ指を伸ばした。


 夕暮れの川沿いに、静かな風が吹く。


 さっきまでそこにあった甘い緊張は消えていない。

 だが、それを包み込むように、もっと大きな現実が迫ってきていた。


 画面の光を見つめながら、玲司は胸の内で静かに思う。


 ――次はもう、偶然では守れないかもしれない。

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