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財閥御曹司の俺が恋したのは、コミケで壁サーを張る“えっちなお絵描き女子”でした  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第2章 第8話 帰宅後、財閥家の影

 打ち上げが終わる頃には、夜もだいぶ深くなっていた。


 店を出たあとの空気は、昼間の熱をかろうじて残してはいたが、それでも朝の会場へ向かう途中とはまるで違う。祭りのあとの静けさと、街のいつもの夜が、ゆっくり混ざり合っている時間だった。


 九条かれんは最後まで騒がしく、最後まで白瀬もえをからかい、最後に玲司へ向かって「とりあえず次も来てね、王子」と勝手な約束まで置いて帰っていった。


 白瀬はそのたびに「勝手に決めないで!」と怒っていたが、怒鳴るほどの元気はもう残っていなかったらしい。


 駅前の分かれ道で、玲司と白瀬の二人だけになった時、彼女は目に見えて肩の力を抜いた。


「……つかれた」

「そうだろうな」

「イベント一日分と、かれん一人分で二日分くらい消耗した」

「幼馴染は大変だな」

「ほんとだよ……」


 白瀬はキャリーケースの持ち手に額を預けそうな勢いでうなだれたあと、ちらりと玲司を見た。


「天城くんは平気そう」

「疲れてはいる」

「見えない」

「見せていない」

「そういうの、ずるいよね」

「最近よく言われるな」

「今日は特に言いたい」


 白瀬はふっと小さく笑って、それから真面目な声になった。


「でも、今日はほんとにありがとう」

「それも何度目だ」

「何度でも言う」

「そうか」

「うん。だって、今日の私はたぶん、天城くんがいなかったら最後までちゃんと笑えてなかったから」


 玲司は一拍だけ黙った。


 白瀬もえは、自分の世界を一人で守ってきた人間だ。

 その彼女が“いてくれてよかった”ではなく、“いなかったらできなかったかもしれない”とまで言う。


 それが軽い意味でないことくらい、今の玲司にはわかる。


「それなら、来た意味はあった」

 玲司は静かに答えた。

「……うん。すごくあった」


 白瀬はそう言って少しだけ視線を逸らした。


 今日一日の出来事が、また二人の間へ戻ってくる。

 早朝の駅。

 初めての会場。

 売り子。

 列。

 学校関係者。

 完売。

 会場の外でふらついた彼女を支えた瞬間。

 打ち上げでかれんに散々からかわれた時間。


 たぶん、どれも簡単には忘れられない。


「じゃあ」

 白瀬がキャリーケースを引き直す。

「今日は帰ったらちゃんと寝る」

「信用できない」

「今日は本当に寝る!」

「ならいい」

「あと、明日の学校では普通にして」

「努力する」

「またその返し……」

「君も好きだろう、もう」

「好きじゃない! ……いや、ちょっと慣れたけど」


 最後の一言は小さかったが、玲司にはしっかり聞こえた。


「じゃあ、おやすみ」

「ああ。おやすみ、白瀬」

「っ」


 名前を呼ばれた白瀬は、一瞬だけ足を止めた。


「……今、それ反則」

「なぜだ」

「今日いろいろありすぎた日の最後に、普通のトーンで名前呼ばないでよ……」

「問題があるか」

「ある。私の心臓に」


 白瀬はそう言いながらも、少しだけ嬉しそうに笑った。


「……おやすみ、天城くん」


 そして彼女は、夜の人波の向こうへ消えていった。


 玲司はしばらくその背中を見送り、それから自分も駅とは逆の方向へ歩き出した。

 天城家の車が待つ場所へ向かうためだ。


 だが、その足取りは行きよりもずっと軽かった。


 疲労はある。

 それでも、胸の内には心地よい熱が残っている。


 白瀬もえの世界は、思っていた以上に眩しかった。

 そして彼女自身も、思っていた以上に強く、脆く、可愛かった。


「……好きになった、か」


 誰にも聞こえない声で呟く。


 確認のような言葉だった。

 けれど、もはや答えを探す段階ではない気がした。


 今日一日で、それはほとんど決定的になってしまったのだ。


     ◇


 天城家の屋敷へ戻ると、夜はさらに深まっていた。


 広い玄関ホールはいつも通り静かで、使用人たちの動きにも無駄がない。何も変わらない。整っていて、静かで、息苦しいほどに完成されている。


 ほんの数時間前までいた会場の熱が、急に遠いものへ変わる。


「お帰りなさいませ」

 執事の一人が一礼する。

「ああ」

「お食事は」

「外で済ませた」

「かしこまりました」


 それだけのやり取り。


 普段なら何も思わない。だが今夜は、不思議とこの整いすぎた空気が少しだけ息苦しく感じられた。


 玲司はそのまま二階へ上がろうとして、足を止める。


 廊下の先。

 書斎へ続く扉の前に、一人の男が立っていた。


 黒峰蒼一郎。


 天城家に仕える若手秘書であり、玲司付きに近い立場の男だ。年齢は三十前後。常に整ったスーツを着て、表情は穏やかだが、その穏やかさの奥で何を考えているのか読ませない。


「……黒峰」

「お帰りなさいませ、玲司様」


 黒峰は、いつものように静かに一礼した。


 だがそのタイミングが、あまりにも“待っていた”それだった。


「何か」

 玲司が問う。

「少々」

 黒峰は穏やかな笑みのまま言う。

「お疲れのところ恐縮ですが、少しだけお時間をいただけますか」


 玲司はすぐに理解した。


 これはただの挨拶ではない。


 何かを、確認しに来ている。


     ◇


 通されたのは書斎ではなく、その手前の小さな応接スペースだった。


 大げさな尋問にしない、という配慮なのか。

 あるいは、逆に“まだそこまで大事にはしていない”という意思表示か。


 黒峰は紅茶を勧めるでもなく、立ったまま口を開いた。


「最近、放課後や休日の行動が少々目立っております」

「……」

「もちろん、玲司様の交友関係に逐一口を出すつもりはございません」

「だが?」

「念のため、把握だけはしておくべきかと」


 念のため。


 便利な言葉だ。


 玲司は表情を変えないようにしながら、黒峰を見る。


「何を把握している」

「直近では、学外で同じ学校の生徒と接触する機会が増えていること。平日夕方の外出先が固定化しつつあること。本日はかなり早い時間から行動していたこと」

「……随分だな」

「玲司様のお立場を考えれば、当然の範囲かと」


 その声音は柔らかい。

 だが、柔らかいだけに余計に逃げ道がない。


「どこまで知っている」

 玲司はあえて直球で聞いた。

「詳細までは」

 黒峰は即答した。

「ただ、一般的な交友や買い物、学業関連だけではない可能性がある、と」

「可能性」

「はい」


 そこまで聞いて、玲司はほんのわずかに安堵した。


 まだ名前までは掴まれていない。

 まだ“白瀬もえ”にも、“moco”にも辿り着いていない。


 だが、予兆としては十分だった。


 黒峰はさらに続ける。


「玲司様がどなたと過ごされるかは自由です」

「本当にそう思っているなら、今ここにはいないだろう」

「……手厳しいですね」

「事実だ」


 黒峰は少しだけ目を細めた。


「少なくとも、天城家の名前に余計な騒ぎを呼ぶ類の関わりは、お控えいただければと存じます」

「余計な騒ぎ、とは?」

「世の中には、面白半分で拡散されやすい場所や関係がございますので」


 玲司の胸の奥に、ひやりとしたものが走る。


 言葉は曖昧だ。

 だが十分にわかる。

 黒峰はまだ答えを持っていない。けれど、“そういう方向”を疑い始めている。


 学校の知人。

 放課後の外出。

 休日の早朝行動。

 どこかでそれらが線になれば、そこから先は早い。


「黒峰」

 玲司は低く言った。

「仮に、僕が何かを本気で大切にしたいと思ったとしても、それは“余計な騒ぎ”になるのか」

「相手と内容によります」

「便利な答えだな」

「職務ですので」


 穏やかなまま、一歩も引かない。


 玲司はそこで、今日会場で感じた熱と、この家の冷たさをはっきり比べてしまった。


 好きなもののために並ぶ人たち。

 自分の本を待ってくれる人たち。

 そして、その場所で笑っていた白瀬もえ。


 それに比べて、ここは何もかもがあまりにも整いすぎていて、感情が生きにくい。


「忠告として受け取っておきます」

 玲司がそう言うと、黒峰は深追いしなかった。

「それで十分です」


 短く一礼し、下がっていく。


 残された空間には、夜の静けさだけが落ちた。


     ◇


 自室へ戻った玲司は、ネクタイも緩めず、しばらく窓際に立っていた。


 スマホを取り出す。

 画面には、打ち上げの帰りに白瀬から届いていた短いメッセージが残っている。


 今日楽しすぎた……

 でも学校で顔合わせるのちょっと恥ずかしい

 あと、完売したの今でも信じられない


 その文面を見て、玲司は少しだけ目を閉じた。


 今日の彼女は、本当に嬉しそうだった。

 怖がってもいた。

 泣きそうにもなっていた。

 だが最後には、たしかに楽しそうだった。


 そんな彼女の世界へ、自分はもう足を踏み入れてしまった。


 そして今日、黒峰の言葉で初めてはっきりしたことがある。


「……好きになるだけでは、足りないのかもしれないな」


 小さく呟く。


 白瀬もえの世界へ関わるということは、ただ彼女を想うだけでは済まない。

 自分の立場が、彼女へ危険を運ぶ可能性を持っている。


 学校バレだけではない。

 もし家が動けば、彼女の“普通”も“秘密の世界”も、どちらも脅かしかねない。


 それでも、引く気にはなれなかった。


 今日、彼女が笑っていたからだ。

 自分が隣にいたことで、少しでも楽に笑えたのだと、彼女自身が言ったからだ。


 ならば――守るしかない。


 ただ好きでいるだけではなく。

 ただ近づくだけでもなく。


 彼女の世界を壊さない形で、ちゃんとそばにいる方法を考えなければならない。


 それはたぶん、今までの玲司が最も慣れていない種類の覚悟だった。


 窓の外では、夜の東京が静かに光っている。


 その光を見ながら、玲司はスマホへ短く返信した。


 完売、おめでとう

 今日の君はすごくよかった


 送ってすぐ、返信が返る。


 やめて

 今日それ言われるとまだだめ

 でもありがとう


 その短い文面に、思わず小さく笑みが漏れた。


 大丈夫だ、と玲司は思う。


 簡単ではない。

 きっとこれから面倒なことも増える。

 学校でも、家でも、どこかで歪みは出る。


 それでも、今日見た彼女の笑顔ひとつで、その全部に向き合う価値があると思ってしまった。


 それがもう、答えだった。

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