第2章 第7話 人気コスプレイヤー幼馴染、参戦
打ち上げの店は、会場から少し離れた駅前の居酒屋風ダイニングだった。
もっとも、居酒屋と言っても未成年二人が入れる程度には明るく、個室寄りの半仕切り席もある、イベント帰りの客が使いやすい店らしい。夕方から夜へ移る時間帯、店内には同じように大荷物を持った者たちの姿もちらほら見える。
白瀬もえはキャリーケースを引きながら、店の前で一度だけ立ち止まった。
「……先に言っとく」
「何だ」
「たぶん、めちゃくちゃうるさい」
「幼馴染のことか」
「うん。悪い子じゃないんだけど、勢いがすごい」
「覚悟しておこう」
「あと、空気を読むのが上手い」
「それは厄介だな」
「でしょ」
白瀬は小さくため息をついた。
「今日のこと、絶対面白がられる……」
「何をだ」
「ぜんぶ」
「曖昧だな」
「曖昧なくらいでちょうどいいの!」
そう言って店に入る。
予約名を告げると、店員に奥の席へ案内された。半個室のように区切られたスペースで、人目はそこまで気にならない。テーブルの片側へ白瀬が荷物を寄せ、玲司も向かい側へ座ろうとした、その瞬間だった。
「もえぇぇぇぇ!」
甲高く、だがよく通る声が飛んできた。
「……来た」
白瀬が本気で嫌そうな顔をする。
次の瞬間、勢いよく仕切りを抜けて現れたのは、長い茶髪を高めの位置でまとめた、派手めの美少女だった。私服は露出が多いわけではないが、全体のシルエットや小物の選び方が華やかで、いかにも“見られる側の人間”という空気を持っている。
そして、玲司を見るなり、彼女はぴたりと止まった。
「……は?」
数秒の沈黙。
「え、なにこれ」
さらに一秒。
「本物の王子様じゃん」
白瀬が両手で顔を覆った。
「だから言ったのに……」
「いやいやいや、ちょっと待って。もえ、何? どういうこと? え、誰? 売り子さんって言ってたけど、もっとこう、オタク仲間の優しいお兄さん的な人を想像してたんだけど!?」
「その想像のテンプレが失礼なんだよ……」
茶髪の少女は、ずい、とテーブルへ身を乗り出した。
「初めまして! 九条かれんです! もえの幼馴染で、今日は別のコス広場の方にいたんだけど、打ち上げだけ合流しました!」
「天城玲司です」
「うわ、名前まで王子」
「そうか?」
「そうだよ!」
かれんは玲司を上から下まで見て、わざとらしく目を細めた。
「えー、なにこれ。ほんとにいるんだ、こういう人」
「失礼だよ、かれん」
「失礼じゃないよ。褒めてる」
「褒め方が雑なの」
白瀬は疲れたように言うが、その口調には慣れが滲んでいた。
つまり、これがかれんの通常運転なのだろう。
「で?」
かれんはまったく遠慮せず玲司へ向き直る。
「どこまで知ってるんですか?」
「何を」
「もえのこと。壁サーなこと、えっちな萌え絵への情熱、締切前は人格が一周して戻ってこなくなること、完売すると感情が壊れること」
「やめて!」
白瀬が叫ぶ。
「その紹介の仕方ほんと最悪だから!」
「でも大体合ってる」
「合ってても嫌なの!」
玲司は思わず少し笑ってしまった。
「大体は知っている」
「おおー」
かれんが目を輝かせる。
「じゃあ今日の現場も見た?」
「ああ」
「完売も?」
「見た」
「うわー、そこまで見てるのかあ……」
かれんはにやりと笑い、今度は白瀬の方を見た。
「もえ、あんたこれ危ないよ」
「は?」
「完全に“特別な男”の扱いしてる」
「してない!」
「してる」
「してないってば!」
「してるって」
断言された。
白瀬は耳まで真っ赤になり、テーブルの上のメニューを掴んで顔を隠す。
「違うから……! 今日たまたま、売り子の子が来られなくなって、天城くんが手伝ってくれただけで……」
「それを引き受ける時点でだいぶ特別なんだよなあ」
かれんはしみじみ言った。
「しかもこの人、絶対ただのお人好しで来てる顔じゃないし」
「……」
「もえ?」
「聞こえない」
「聞こえてるじゃん」
玲司は、ここで初めて少し居心地の悪さを覚えた。
白瀬本人と一対一でいる時とは違う。第三者の目で見れば、今日の自分の行動がどう映るのかが、妙に生々しく突きつけられる。
売り子を引き受けた。
早朝から同行した。
彼女の世界を見た。
完売の瞬間まで隣にいた。
たしかに、それは“ただのクラスメイト”の動きではない。
「天城くん」
かれんが、面白がる気配を隠さずに尋ねる。
「ぶっちゃけ、どこまで本気ですか?」
「かれん!」
白瀬がメニューの向こうから抗議する。
「その聞き方やめて!」
「えー、でも気になるじゃん。もえが学校の人を、しかも男子を、自分のスペースに入れる時点で大事件なんだよ?」
「だからそれは不可抗力というか!」
「不可抗力で王子様は来ないの」
かれんはけろっと言い切った。
それから玲司へ向き直り、今度は少しだけ真面目な声色になる。
「もえ、好きなもののことになるとめちゃくちゃ頑固でしょ」
「ああ」
「そのくせ、好きなものを雑に扱われるのもすごい苦手なんです」
「知っている」
「で、自分でも大事にしすぎて隠しちゃうタイプ」
「……うん」
玲司は自然に頷いていた。
かれんはそこで、ほんの少しだけ表情を和らげる。
「ならまあ、たぶん大丈夫か」
「何がだ」
「もえの世界に入ってきていい人かどうか」
「かれん!?」
白瀬が今度こそ顔を上げた。
「何その上から目線!」
「幼馴染特権」
「最悪!」
「でも、変な人なら止めるよ、私」
「……」
玲司は少し黙った。
その言葉の重みは、冗談のようでいて本物だった。
幼馴染として、白瀬もえが何を大切にしてきたかを知っているからこそ、軽い相手なら許さないということなのだろう。
「なら、止められないよう努力しよう」
玲司がそう言うと、かれんは一拍置いてから吹き出した。
「何それ、真面目すぎる!」
「笑うところか?」
「笑うよ! でも、嫌いじゃない」
その返答に、白瀬は疲れたように額を押さえた。
「もうやだ……」
「大丈夫だって」
かれんはからから笑う。
「むしろ安心した。もえが変な男に引っかかったわけじゃなさそうで」
「引っかかってないし!」
「そこ、全否定の速度ちょっと遅くなかった?」
「なってない!」
「なってた」
「なってない!」
ちょうどそのタイミングで店員が注文を取りに来たため、一度会話は中断された。
白瀬は明らかに救われた顔をしてメニューへ逃げ込み、かれんは「じゃあ私は打ち上げなので映えるやつ」と適当なことを言い、玲司は無難な食事と飲み物を頼む。
注文が終わると、かれんはさっそく第二ラウンドを始めた。
「で、現場どうだった?」
今度は玲司に向けた質問だ。
「想像以上だった」
「おお、どの辺が?」
「熱量も、規模も、彼女がそこにいることの自然さも」
「……」
白瀬が、ぴくっと反応した。
「あと、mocoとしての顔が、思っていた以上に強かった」
「……っ」
「うわ」
かれんがにやりとする。
「それ本人の前で言う?」
「事実だ」
「もえ、今のどう?」
「……聞こえない」
「また逃げた」
白瀬はメニューを盾にしていたが、耳まで真っ赤なので全く隠せていない。
かれんはそんな幼馴染を横目で見ながら、にんまり笑う。
「ねえ、天城くん」
「何だ」
「もえのそういう反応、かわいいでしょ」
「かれん!!」
「え、違う?」
「違うとかそういう話じゃなくて!」
白瀬はついにメニューをテーブルへ叩き置いた。
その勢いに、かれんは声を立てて笑う。
「ほら、そういうとこ。学校じゃ絶対見せない顔してるじゃん」
「……」
玲司は、その言葉に少しだけ考え込んだ。
たしかにそうだ。
今日一日で見た白瀬もえの顔は、学校にいる彼女のどれとも違う。
mocoとして笑う顔。
完売して感情が壊れかける顔。
会場の外でふらついて支えられ、真っ赤になる顔。
そして今、幼馴染に振り回されて怒っている顔。
どれも知らなかった。
そして、どれも好きだと思ってしまう。
「……天城くん?」
かれんが不思議そうに首を傾げる。
「何か考えてた?」
「少し」
「へえ」
「かれん、それ以上深掘りしないで」
白瀬が疲れ切った声で釘を刺す。
「いや、でも気になるじゃん。今、完全に自覚進んでる顔してたよ」
「じ、自覚!?」
「そこ反応するの、もえの方なんだ」
「だって、そういう言い方するから!」
料理が運ばれてきても、かれんの勢いは止まらない。
イベントの裏話、コスプレ広場の修羅場、今日見た面白い出来事、差し入れの話。話題は次々に飛ぶが、そのたびに最終的には“もえと天城くん”へ戻ってくる。
「にしてもさあ」
唐揚げをつつきながら、かれんがしみじみ言う。
「もえが“学校の男の子”をここまで自分の世界に入れる日が来るとは思わなかった」
「……」
白瀬が小さく黙る。
「しかもよりによってこんな完成度高い人」
「完成度ってなんだ」
玲司が問う。
「全体の雰囲気」
「雑だな」
「でも伝わるでしょ?」
「否定はしない」
「ほら」
かれんは勝ち誇ったように頷いてから、今度は少しだけ真面目な顔をした。
「もえ、今日すごく楽しそうだったよ」
「え」
「スペース寄った時、顔見たらわかった。完売して泣きそうなのも見たし」
「見てたの!?」
「見てた」
「最悪……」
「でも、天城くんが隣にいて、ちゃんと支えてるのも見た」
「……」
白瀬は言葉を失う。
「だから、茶化してるけど、わりと本気でよかったなって思ってる」
「かれん……」
「ただし」
かれんはすぐに人差し指を立てた。
「もえを泣かせたら、コスプレ用のヒールで踏む」
「物騒だな」
「踏むよ?」
「……覚えておく」
「そこ真面目に返すんだ」
かれんは吹き出した。
白瀬は両手で顔を覆っていたが、その隙間から小さく笑いも漏れている。
この二人のやり取りを見ていると、かれんがただ騒がしいだけの人間ではないことがわかる。彼女は空気を壊すようでいて、実は必要なことをちゃんと差し込んでくる。
幼馴染として、白瀬もえを見てきた人間なのだ。
「……天城くん」
白瀬が、小さく呼ぶ。
「何だ」
「今日のこと」
「うん」
「その……来てくれて、ほんとにありがと」
「またそれか」
「何回でも言うって決めたから」
「そうか」
そのやり取りに、かれんがにやりとする。
「はい、出ました。“二人だけの空気”」
「出してない!」
「出てるよ」
「出てないってば!」
「もえ」
「なに!」
「否定が弱い」
「うるさい!」
白瀬はついにテーブルの下でかれんを蹴ったらしく、かれんが「あっ痛っ」と声を上げた。
だが、その笑い声の中で、玲司は自分の中の変化をはっきり感じていた。
第三者にからかわれることで、逆に輪郭がはっきりする感情がある。
今日の自分は、たしかに白瀬もえのためにここへ来た。
彼女の世界を見たいと思った。
役に立ちたいと思った。
笑っていてほしいと思った。
その積み重ねは、もはや“ただ少し気になる”では済まないところまで来ている。
「……」
「天城くん、また静かになった」
かれんが面白がるように言う。
「考え事だ」
「へえ。もえのこと?」
「かれん!」
「図星っぽいのやめて、こっちまで楽しくなってくるから!」
玲司は否定しなかった。
そのことに、白瀬の方が先に気づいたらしい。
彼女は一瞬だけ言葉を失い、それから何も言えなくなった。
店内の照明が、少しだけあたたかく見える。
打ち上げの席はにぎやかなはずなのに、ほんの一瞬だけ、三人の間に妙な静けさが落ちた。
その静けさを破ったのは、やはりかれんだった。
「ま、いっか」
「何がだ」
「今日のところはこれくらいで勘弁してあげる」
「最初から勘弁してほしかった……」
「でも面白かったでしょ?」
「……ちょっとだけ」
「ほら!」
かれんは勝ち誇ったように笑い、グラスを持ち上げた。
「じゃ、改めて。もえ完売おめでとー!」
「ありがと」
「臨時売り子、超有能王子もお疲れさま!」
「どうも」
「そして、今後の進展に期待して」
「かれん!」
「冗談冗談」
冗談と言いながら、その目は全然冗談だけではなかった。
玲司はそれを見て、小さく息を吐く。
面倒だと思わないわけではない。
だが、不思議と嫌でもなかった。
こうして誰かに“二人の距離”を可視化されることで、自分の気持ちも少しずつ言い逃れできなくなっていく。
それは少し怖い。
だが、たぶん必要なことなのだろう。




