越中市八尾町水谷:伝統の水島工場製RIM成型筐体
ハードウェアの話だけです。
またログインできませんでした。
量子力学の世界の玄関口は木の靴箱だった。横に置かれたガラスケースには、色褪せた瓶や紙袋、乳鉢に薬研と、昔の薬や道具が置かれている。
「靴箱も薬棚の流用ですか?」
「薬棚だと抽斗でサイズも合わないから模して作ったものだが、意匠に気付いてもらえて嬉しいね」
「ああ、確かに薬入れに靴は入りませんか」
暗い中でインジケーターや誘導灯らしきLEDが明滅するSFの世界に照明が点る。
室内に入ると、壁から迫り出して高さ方向を分断するアーチが目を引く。これは途中から中2階を載せている。一方で、白い壁には等間隔で木柱が露出している。耐震補強による伝統と近現代の折衷。電気が点く前の純サイバーな印象とは感じがズレたけども、これも一種のサイバーパンク風味がある。
「漆喰壁から木がちょっと出てるこのデザイン、北陸の人は特に好きですよね」
「デザインではないのだよ、元々は」
「そうなんです?」
「荷摺木。荷物を摺る木と書くのだが、荷物が壁に直接当たらないようにする、今の言葉で言うと保護棒だね」
それは知らなかった。ゲームしに来たのでなければもう少し見学に充てたいところだ。
大型の機器が並ぶ光景はまるでゲームセンター、というよりは。集中治療室か、移民船の冷凍睡眠室の様相だ。
「なんだか、サーバールーム状態ですね?」
「間違いでもないね。データ処理部が結構大きいから」
ゲーム誌に載っていた頃の事前情報通り、冥王星をイメージしたブルーグレーの機体。流行りの帆立貝形とは異なる、体感ゲーム伝統の奥行きある筐体が並ぶ。旧来のベガの体感ゲーム筐体よりすっきりして感じられるのは、筐体そのものを物理的に摺動させる揺籠機構が噛まされていないからだろう。全感覚没入なら当然その機構は要らない。
「ベガ伝統の水島工場製RIM成型筐体だよ」
と会長が誇らしげに示す。
「……?」
「……え、知らない?」
「水島が水島臨海工業地帯のことなら知ってますけど……」
「その水島だね。化成品業界では知られた話でね。ナフサからガスと合成ゴムを取った余りは樹脂にしても当時の合成樹脂の用途には特性が合わず、使い道がなくて燃やしていたのだが……、これをカラオケ装置とゲーム筐体に採用して伸びたのがベガだ」
「全国580万人のベガフリークも知らないと思います」
「そうかー……。書いておいていいよ」
「書くところがありませんよ」
さっきから試遊体験をネットに書き込む前提で話されているけど、ブログやってないんですよ。
生命維持ポッドという見た目の機体がフラットベッドタイプだろう。ベッドを半筒状のカバーが覆っている。頭の側には大きなスモークガラスの窓が開いている。同じゲーム機とは思えない形状のこれは、医療用MEGそのものの筐体なのだと思う。剱サイバネティクスロゴがそのまま入っている。サブベンダーから出るハイエンド機には頭文字を振る法則からすると、Tプルートといったところか。実際の開発順序はこちらが先かもしれない。
「これは……動くんでしょうか?」
「もちろん。何か疑問があるかな」
「地磁気もシャットアウトしないとノイズが入るんですよね? 肝心の頭の部分がガラスカバーでは磁場も電場も素通しの気がするんですが……」
そういえば専用筐体の方も覗き窓がある。電子レンジだとガラスに入っているメッシュが吸うから前で覗いている人の目はチンされないけど、こちらは金網も見えない。
「ああ……このガラスはね、核融合用に開発された磁気シールドガラスなのだよ。重量比だと8割方金属だから実質金属だね」
「なんと。差し支えなければどんな金属か教えていただいていいですか?」
「うん、差し支えたら答えないだけだから気を使わなくていいよ。常温で磁気シールド効果の高い金属は少ないし、分かる人にはすぐ分かるはずだ。硼珪酸ガラスにコバルトとニッケルを少し、レアアースのテルビウムとジスプロジウムを目眩がするほどつぎ込んでいる」
コバルトとニッケルはどちらもステンレスや硬貨でおなじみ。鉄や銅みたいなコモンメタルじゃないからレアメタルに分類されるけど、アンコモンメタルぐらいの捉え方をすると把握しやすいと思う。
ジスプロシウムは磁石の強化に使われるレアアースで、いずれ日中開戦の原因のひとつになるだろうと言われている。以前は中国だけが採掘して日本だけが利用していた。日本が技術を教えて中国も使うようになるとあまり輸出してくれなくなった。ここまでなら中国の自由なのだけど、南鳥島周辺の深海泥やマンガン団塊に含まれるのが発見されると中国が潜水艦をうろつかせ始めたからギスギスしている。日本に売るために数カ国で新規採掘が始まったのも中国の怒りを煽っている。特に、タンザン鉄道以来の親中国家であるタンザニアが日本に出荷し始めたのは大きかった。僕はどこの特産が何という地理の話に興味があるだけなのに生臭い政治が付いてくる……。
「コバルト、ニッケル、ジスプロシウムは分かるとして……イッテルビウムですか?」
「いや、テルビウム。いってないやつだよ」
「知らない子ですね……」
「まあ簡易な周期表には載っていない元素だからね」
「え、そんな元素あるんですか」
まだ正式名の決まっていない人工元素ウンウントリウムでも載っているというのに?
「ランタノイドでしょ。ジスプロシウムもそうよね。ですよね?」
奈月ちゃんが割って入る。そういう上から目線の物言いほんと好き。
「そうそう」
「ああ、希土類ってことか……」
「だからレアアースって言われてたじゃない」
奈月ちゃんがもどかしく思うのは無理もない。希土と書いてレアアースと読むのだ。レアアースの話をしていて周期表の左下に折り畳まれている3A族の希土類に思い至らないのは意味不明である……化学的には。でもちょっと言い訳させてほしい。地理学的には、レアアースは産業のビタミンと呼ばれるレア鉱物で、それだけだ。周期表の畳まれた所には知識のパスが繋がらない。この見落としは許してほしい。地理学は自然科学である以前に人文科学だから、自然科学にそぐわない部分も結構ある。たとえば、化学のテストに出ない最初の元素スカンジウムを地理学では重希土類に分類する。実際は希土類ではいちばん軽い元素である。これは、地理学では実際の比重や原子量とは関係なく、あちこちで採れるSRアースを軽希土、世界で数カ所でしか採掘されないSSRアースを重希土と呼ぶから。非科学的だけど、そうなっている。
「全感覚没入なのにそこまでして窓を設ける必要はあったんでしょうか」
「うん……。従来、病院では部屋全体をニッケル合金で囲った防磁室を作ってMRIやMEGを置いてきたのだが、装置1つで防磁シールドが完結するようにしたかったのだね。しかし外が見えない蓋をされるのは怖いというご意見があって、窓を開けることになった。開けられるなら小さな覗き窓サイズより外からもある程度中を見通せるようにしてほしいとご要望が当然出てくる。そこで顔が見える範囲を窓にすると、今度は棺桶みたいで縁起でもないという話になってしまってね。窓をかなり大きく取らざるを得なかったのだよ」
「それはまた……大変ですね」
医療機器ならではのご意見だ。純粋にゲーム機なら、ランプやモニタを付けておけば外が見える窓は要求されないだろう。実際、よくある体感ゲームの密閉コクピット型筐体は背後に外部からの監視用の窓があるだけだ。




