資料編・三 「先生」、最後の言葉
占拠が解かれたあと、「先生」は、正式に退院し、三十五年ぶりに、病院の外で暮らし始めた。彼が真っ先に望んだのは、海を見ることだった。教師時代、教え子たちと海辺の学校行事に行けなかったことが、ずっと心残りだったという。波多野の計らいで、彼は、支援団体のスタッフに付き添われ、電車を乗り継いで、初めて自分の意志で、海を見に行った。
「思っていたより、うるさいものだな」
波の音を聞きながら、彼は、そう言って笑ったという。それから一年、彼は、地域の公民館で、かつての教師としての経験を活かし、子供たちに算数を教えるボランティアを始めていた。教壇に立つことは、彼にとって、三十五年ぶりに取り戻した、もう一つの居場所だった。
占拠が解かれてから一年後、その公民館での活動を終えた帰り道、彼は体調を崩し、そのまま病に倒れた。旧病棟の個室ではなく、地域の病院のベッドで、静かに息を引き取った。
哲太は、危篤の報を受け、最後の面会に駆けつけた。老人は、すでに、多くを語れる状態ではなかったが、哲太の手を握り、かすれた声で、こう言った。
「記録は……守られたか」
「はい」哲太は、涙を堪えながら答えた。「先生が守り続けた記録は、確かに、世の中を、少しずつ変え始めています」
「それなら……よかった」
老人は、静かに目を閉じた。
「私は……この病院で、三十五年を過ごした。長い……それとも、短かったのか、自分でも、もう分からない。だが、最後の一年は、悪くなかった。海も見た。子供たちにも、また教えられた」
「先生」
「一つだけ……お前に伝えたいことがある」
「何ですか」
「逃げることは、恥ではない」老人は、絞り出すように言った。「私たちは、たまたま、逃げないことを選んだ。だが、それは、誰にでも強要できる選択じゃない。逃げて、生き延びることも、また、一つの勇気だ。それを、忘れないでほしい」
それが、老人の最後の言葉になった。
葬儀は、聖嶺会メンタルセンターの中庭で、ささやかに行われた。かつて彼が三十五年間、外の世界を眺め続けた、あの場所で。
哲太は、その日、改めて、自分がこの物語から受け取った、最も大切な教訓を、胸に刻んだ。
留まることも、逃げることも、どちらも、等しく尊い選択でありうる。大切なのは、その選択が、誰かに強いられたものではなく、自分自身の意志によるものであること。それだけだった。




