外伝・五 占拠の七日間、名もなき患者たちの記録
施設が占拠されていた七日間、そこには、報道では決して伝えられることのなかった、無数の小さな日常があった。
ある老女は、毎朝、決まった時間に、中庭の花壇に水をやり続けた。占拠の混乱の中でも、その習慣だけは、崩さなかった。
「花は、何も悪いことをしていないから」
彼女は、心配して声をかけた若い患者に、そう答えたという。
ある中年の男性は、占拠の間、施設内の食堂で、毎晩、他の患者たちのために、簡単な料理を振る舞い続けた。食材は限られていたが、彼は工夫を凝らし、少しでも温かい食事を、みんなに届けようとした。
「こういう時こそ、ちゃんと食べないと、心が折れる」
彼のその言葉は、静かに、施設内の緊張を和らげていた。
また、ある若い女性患者は、占拠の間、毎日、日記をつけ続けていた。後に、その日記は、当時の施設内の様子を伝える、貴重な記録の一つとなった。
「私たちは、怖くなかったわけじゃない。でも、逃げるという選択肢よりも、ここに留まって、みんなで支え合うことの方が、なぜか、自然に思えた」
彼女の日記の一節は、この物語の本質を、静かに、しかし雄弁に語っていた。
この七日間、施設に残った患者の中には、統合失調症や双極性障害など、実際に長期の治療を必要としている人たちも、数多くいた。ある四十代の男性患者は、双極性障害の診断を受けて十五年になる。彼は、占拠が始まった夜、誰よりも早く、記録の入った段ボール箱を、安全な場所へ運び出す作業を買って出た。
「俺は、本物の患者だ。だから、これは、俺の話でもある」
彼は、後になって、そう語っている。「診断がついているかどうかなんて、関係ない。ちゃんと扱われる権利があるかどうかの話だ」
彼のように、実際に病を抱えながらも、この行動に自らの意志で加わった患者は、決して少なくなかった。この物語は、「本当は病気ではなかった人たち」だけの物語ではない。病を抱える人も、抱えていない人も、等しく、一人の人間として扱われることを求めた、という点で、初めて一つになれた七日間だったのだ。
もちろん、全員が同じ選択をしたわけではなかった。体調を優先し、早い段階で施設を離れることを選んだ患者も、少なからずいた。陽子たちは、そうした患者たちの意志を、一貫して尊重した。「残ることも、去ることも、同じだけ尊重されるべきだ」というのが、この七日間を通じて、静かに守られ続けた、もう一つの原則だった。
クーデターと呼ばれたこの七日間は、外部から見れば、緊迫した対立の日々に見えたかもしれない。だが、施設の内側では、人々が、互いを気遣い、日常を守り、静かな連帯を紡ぎ続けていた。
それは、暴動でも、洗脳でもなかった。
ただ、長年、声を奪われ続けてきた人々が、初めて、自分たちの意志で、時間を紡ぐことを許された、七日間だったのだ。
(外伝・完)




