その四 波多野五郎の選んだ道
波多野は、事件の後も、聖嶺会メンタルセンターに残ることを選んだ。
「僕は、この病院を、本当の意味での医療施設に作り直したいんです」
彼はそう語り、病院の運営体制の刷新に、率先して取り組み始めた。父の代からの負の遺産を、少しずつ、しかし着実に清算していく作業だった。
「簡単な道ではないと思います」哲太が言うと、波多野は静かに頷いた。
「はい。でも、僕の父は、最後まで、行動する勇気を持てなかった。僕は、同じ後悔を、繰り返したくないんです」
波多野は、退院を望まない一部の長期入院患者たちのケアにも、これまで以上に力を注ぐようになった。彼らの多くは、本当の意味で医療的なケアを必要としており、システムの犠牲者であると同時に、支援を必要とする患者でもあった。
「『患者』というカテゴリーそのものを、否定するわけじゃないんです」波多野は言った。「大切なのは、そのカテゴリーが、誰かを助けるためのものであり続けること。誰かを黙らせるための道具に、二度と使わせないことです」
その言葉は、陽子がかつて語った「P-0の真相」と、静かに響き合っていた。
証拠の精査が進む中、当時の職員名簿と、施設の入退室記録が照合され、二十年前の防犯カメラに映っていた白衣の男が、波多野の父であったことも、正式に確認された。波多野は、その結果を、静かに受け止めた。
「やはり、そうでしたか」波多野は、哲太にそう告げたあと、少し間を置いて続けた。「でも、映像の中の父は、哲太さんを怒鳴りつけているわけでも、脅しているわけでもなかった。おそらく父は、上から命じられた役目と、目の前にいる少年への良心との間で、あの中庭で、ただ立ち尽くしていたんだと思います」
「その通りかもしれません」哲太は言った。「僕を、直接どうこうしようとした様子は、映像にはありませんでしたから」
「父らしいです」波多野は、寂しげに笑った。「最後まで、行動には移せない。でも、見て見ぬふりも、しきれない。そういう人でした」




