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患者たちは逃げなかった  作者: キロヒカ.オツマ―


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その二 富山紘一のその後

証拠が正式に公開されたのは、それから半年後のことだった。


 複数の全国紙が、聖嶺会メンタルセンターを巡る一連の記録を、連続企画として報じた。富山紘一の名前も、当然のように取り沙汰された。


 富山は、記者会見を開き、二十年前の関与を、一部認めた。だが、彼はシステムの首謀者ではなく、あくまで「利用した側の一人」であったという立場を崩さなかった。


「私は、この件について、然るべき形で責任を取る」


 会見での彼の言葉は、どこか、あの夜、ホテルの一室で哲太に語った言葉と重なっていた。「知らない方が幸せだった」という彼の忠告は、結局、彼自身にも跳ね返ってくることになった。


 この日の会見では、彼はまだ、次期総理候補としての立場を、正式には降りなかった。だが、党内外からの批判は、日を追うごとに強まっていった。この一連の件そのものについて、富山が刑事責任を問われることはなかった。当時の法制度の下では、彼の行為そのものを直接裁く条文がなかったからだ。


 一方で、報道をきっかけに、検察は、山本修司の死について、改めて捜査を始めることになった。殺人罪には時効がない。もし修司の死が、事故や病死ではなく、何者かの手によるものだったとすれば、たとえ十五年が経っていようと、罪に問うことは可能だった。深田源一郎をはじめ、当時の関係者への任意の聞き取りが、静かに進められているという。捜査の行方は、この本の執筆時点では、まだ分かっていない。


 その一方で、深田の兄をはじめ、三十年以上前に起きたとされる不当な監禁については、逮捕監禁罪の公訴時効が、すでに成立してしまっていた。哲太は、その事実を知ったとき、法律の残酷な一面を、初めて実感した。真実が明らかになることと、それが裁かれることは、必ずしも同じではない。


 この結末に、納得できない人間も多かった。哲太自身、複雑な思いを抱えていた。


「特定の一人を吊るし上げて、それで幕引きにはならない」


 陽子がかつて語った言葉の意味を、哲太は、この結末を通じて、改めて噛み締めることになった。誰かを罰することでは、決して終わらない問題。だからこそ、必要なのは、個人の断罪ではなく、システムそのものを変えることだった。


 報道をきっかけに、精神科医療における入院措置の要件を厳格化する法改正の議論が、国会で始まった。時間はかかるだろう。だが、確かに、何かが動き始めていた。

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