第三十八章 哲太の過去
証拠の引き渡しを翌日に控えたその夜、哲太のもとに、一人の少年が訪ねてきた。
十七歳ほどだろうか。細身で、どこか怯えたような目をしていた。
「山本さん、ですよね」
「はい。君は」
「西村悠人といいます」少年は、深く息を吸ってから、続けた。「あの夜、あなたに電話をかけたのは、僕です」
哲太は、息を呑んだ。
「なぜ、君が」
「僕は、二週間前まで、外の世界にいました」西村は、震える声で話し始めた。「でも、ある事情で、この病院に連れて来られそうになっていたんです。父が、地元の政治家の秘書をしていて……その政治家に都合の悪いことを、僕が知ってしまって」
「都合の悪いこと、というのは」
「詳しくは言えません。でも、僕を黙らせるために、父は、この病院と繋がりのある指定医に話をつけて、診断書を用意させようとしていました。『精神的に不安定』だという、僕には身に覚えのない診断書です。あとは、保護者である父が同意すれば、手続きは成立してしまう状態でした」
哲太の背筋に、冷たいものが走った。二十年前の自分と、あまりにも重なる話だった。
「僕は、逃げようとして、この病院の資料室に迷い込みました。そこで、山本修司さんのノートの一部と、あなたのことを知りました。あなたが、かつて僕と同じように、P-0候補にされかけたことも」
「僕の連絡先まで、よく分かったね」
「ノートに挟まっていた、古い名刺です。あなたが記者になったばかりの頃の携帯番号が載っていて……変わっていないことに、賭けるしかありませんでした」西村は、少し照れたように言った。「もし繋がらなかったら、それで終わりのつもりでした」
「実は、僕があなたに電話をかける少し前から、外の元患者さんたちのグループにも、こっそり連絡を取っていました」西村は続けた。「父の仕事を通じて、聖嶺会メンタルセンターの噂を、前から少しだけ知っていたんです。だから、自分が危ないと分かったとき、ネットで見つけたそのグループに、藁にもすがる思いでメッセージを送りました」
「じゃあ、あの人たちが言っていた『熱心な、若い人』は」
「僕のことだったんだと思います。でも、グループの人たちは、僕がここに連れてこられそうになっていることまでは、知らなかったはずです。あなたに電話をかけたのは、本当に、僕一人の判断でした」
「それで、僕に電話を」
「はい」西村は、涙を堪えながら言った。「僕は、怖かったんです。このままだと、僕も、あなたのお父さんが救った、あの時のあなたのように、誰にも知られないまま、消されてしまうんじゃないかと。声が震えて、うまく話せる自信がなかったから、伝えることを紙に書いて、それを読み上げました。だから、変な話し方になっていたと思います」
哲太は、あの夜の、抑揚のない、台本を読むような声を思い出した。あれは、感情がなかったのではなく、感情を押し殺すための、精一杯の手段だったのだ。
「陽子さんたちは、君のことを」
「知りません。僕は、誰にも相談せず、勝手にあなたに電話をかけました。すみません」
哲太は、少年の肩に、そっと手を置いた。
「謝る必要はない。君は、僕を、そして、みんなを救ってくれたんだ」




