第二十章 患者たちは哲太を知っていた
その夜、哲太は中央病棟のロビーで、思いがけない光景を目にした。
数十人の患者たちが、静かに集まり、彼を遠巻きに見つめていたのだ。誰も声をかけてはこない。ただ、じっと、見つめている。
「みんな、あなたのことを知っています」陽子が、隣に立って言った。
「僕を?」
「二十年前、この病院にいたあなたのことを、みんな、覚えています。あなたのお父さんが、証言を集めるために、患者一人ひとりと会っていたとき、あなたも、そこに同席していたことがあった」
「そんな記憶、僕には」
「ないでしょう。でも、彼らにとっては、あなたは、初めて自分たちの話を、まっすぐに聞いてくれた記者の息子でした」
哲太は、集まった患者たちの顔を、一人ずつ見渡した。老いた男性、中年の女性、まだ若く見える青年。それぞれが、まったく違う人生を歩んできたであろう人々。だが、その目には、共通した何かが宿っていた。
諦めではない。
静かな、確信のようなもの。
「みんな、あなたが、いつかここに戻ってくると信じていました」陽子は言った。「お父さんが集めた証拠を、あなたが最後に完成させる日が来る、と」
「なぜ、僕なんですか。他にも、記者はいるはずです」
「他の記者は、この病院の内側を、信じていません」陽子は静かに言った。「でも、あなたは、違う。あなたは、二十年前、すでにここの一部だった」
哲太は、目の前の患者たちを見つめながら、自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。
彼らは、被害者ではあった。だが、それだけではない。彼らは、証人であり、記録者であり、そして今、この瞬間、哲太を待ち続けた、最後の意志の集合体だった。
――なぜ、患者たちは逃げないのか。
その問いに対する、一つ目の答えが、哲太の中で形になり始めていた。
彼らは、逃げれば失われてしまうものを、守っているのだ。
だが、それだけでは、まだ足りない。
誰が、二十年後の今夜、哲太をここへ呼んだのか。その問いは、まだ残されたままだった。
(第二部・完 第三部「誰が哲太を呼んだのか」へつづく)




