第二章 患者たちのクーデター
夜が明ける頃には、聖嶺会メンタルセンターの事態は「立てこもり」としてニュース速報に流れ始めていた。
だが哲太が現場で見聞きした限り、その言葉はどこか的外れだった。
人質はいない。少なくとも、職員たちは施設の外に避難できている。怪我人の報告もない。破壊行為の形跡もほとんどない。ただ、患者たちが施設の主導権を握り、外部からの立ち入りを拒んでいる――それだけだった。
規制線の外に集まった野次馬とマスコミの中で、哲太は病院関係者らしき白衣の女性を見つけ、声をかけた。
「取材ですか」名札には「事務局・鈴木」とあった。
「フリーの記者です。何が起きているのか、分かる範囲で構いません」
鈴木は疲れた顔で首を振った。
「私たちにも、正直よく分かっていないんです。夜勤の職員が、中央病棟から締め出されて……でも、患者さんたちは誰も、怒鳴ったり、暴れたりしていなくて」
「要求は?」
「今のところ、何も」
哲太はその言葉に引っかかりを覚えた。
立てこもりというものは、たいてい何かを要求する。金、逃走経路、あるいは何らかの主張。だが、この現場からは、そのどれもが聞こえてこない。
まるで、彼らはただ、そこに「留まる」ことだけを目的にしているようだった。
昼近くになって、施設の敷地内に、簡易の張り紙が一枚、フェンス越しに提示された。マジックペンの手書きだった。
「私たちは逃げません。これは反乱ではありません。話をしたい相手が来るまで、私たちはここにいます」
署名はなかった。
その紙を写真に収めながら、哲太は妙な胸騒ぎを感じていた。話をしたい相手――それが誰なのか、この時点ではまだ分からなかった。
テレビカメラの砲列の中で、警察の指揮官らしき男が記者団に向けて簡潔な会見を開いた。
「現在、施設内部の患者と、電話回線を通じて接触を試みています。人質は確認されておらず、緊急性は低いと判断していますが、慎重に対応します」
緊急性は低い、という言葉に、哲太は妙な違和感を覚えた。百二十人もの患者が施設を占拠しているというのに、警察はどこか及び腰に見えた。まるで、下手に踏み込めば、もっと厄介なものが表に出てくると分かっているかのように。
分かるのは、もう少し後のことだ。




